『猫物語 黒/白』~羽川翼の物語~
羽川翼は『猫物語 黒(以下「黒」)』において、自らのストレスの権化である「猫」を阿良々木暦によって切られた。
彼女が抱えていた家族に対する劣等感。自らの闇に彼女は向き合うことが出来ず、暦にその処理の全てをゆだねてしまった。
『黒』のOPソングである「perfect Slumbers」の一節、「心の行方を今はまだ知りたくない」。『黒』が失恋の物語あることを考えれば、彼女の恋心の所在について歌っている部分であるとも読み取れるが、それだけではないように思える。
「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」
羽川の代名詞ともいえるこの台詞。「つばさキャット」において、羽川本人が否定し、『猫物語 白(以下「白」)』で、臥煙伊豆湖によって完全に否定されてはいるが、これほど羽川翼という少女を見事に表した言葉もないだろう。
作中で対比関係に置かれる「何でも知っている」伊豆湖と、「何でもは知らない」羽川。だが、この両者の描かれ方において、「知っている」という観点では、この二人はほぼ全知の存在として描かれており、その差異はそれほど大きなものではない。
羽川の全知に関しては、忍野メメの「あの子は何でも知ってるよ」という言葉にも示されている。
では、「翼ちゃん、君は何にも知らないんだね」という伊豆湖の言葉の真意は、何なのであろうか。『猫物語 白』は、この伊豆湖の言葉への羽川のアンサーとしての物語であったとすら言えるだろう。
『白』は羽川が語り部となる物語だ。忍野メメをして「何でも知っている」と言わしめる、ほとんど全知の存在である羽川は、阿良々木暦よりも、よほど優れた語り部の素養を持っているはずである。
けれど、『白』の冒頭は「羽川翼という私の物語をしかし私は語ることが出来ない」という彼女の敗北宣言からはじまることが非常に興味深い。
『黒』において、あるいは『傷物語』においても、羽川は圧倒的な強者として描かれている。「相手のために死ねないのなら、私はその人を友達とは言わない」。彼女のすさまじいまでの善性は、しかし裏返してみれば、彼女の精神的な弱さを表現しているとも言える。
すなわち、羽川は無知なのではなく、自分のことだけを知らない少女なのである。外部や他者の事に関して、ほぼすべてのことを彼女は知っている。
しかし、彼女は自分については「何も知らない」。
「何でもは(自分のことは)知らない」彼女は、確固たる自我を持った暦に『黒』において救われる。だが、そのことは羽川翼が、本当の意味で救われたことにはなっていなかった。
この意味で「つばさキャット」「白」は、羽川が暦に「助けられなくなる」までの物語であったとすら言えるだろう。「つばさキャット」では、自身の分身であるブラック羽川が、暦を殆どギリギリのところまで殺しかけている。
「しのぶタイム」で明かされたように、羽川は忍が影に居なかった世界線において、暦を完全に殺害している。羽川にとって、暦に依存しないということは、暦を殺してしまってでも叶えたい願いであったことが、ここから読み取ることが出来る。
だが、阿良々木を殺すという潜在的な彼女の願望は忍の登場によって叶えられることなく、結局羽川は『白』において、自らの物語を語り、自らについて「知る」ことによって、暦から自立する道を選ぶのである。
羽川が本当の意味で救われる『白』。この作品において、彼女は自ら語り部となるによって、これまで知らなかった自分の事を、ようやく知ることが出来るようになるのである。
知っていること(外部)と、知らないこと(内部)の、とてつもない乖離が彼女の異常性を形作っていた。
自らの物語を語ることで、あるいはブラック羽川への手紙を書くことによって、彼女は自らの抱えている矛盾、あるいはまだら髪を受け入れることが出来るようになるのである。
自分を責め、他者との本質的なつながりを求めず、すべての困難を「知」によって解決してきた彼女だが、「知」には自分の事だけが書かれていないことに、「つばさファミリー」「つばさキャット」を経て、「つばさタイガー」で語り部となることによって、ようやく本当の意味で気づくことが出来るのである。
自らの歪みを認め、ひたぎに、ブラック羽川に、そして暦に、その歪みをさらけ出すことが、語り手となった『白』に至ってようやく出来るようになる。そうすることによって、本当の意味で羽川翼は「一人で勝手に助かることができた」のである。阿良々木暦にちゃんと振られ、涙を流すことが出来た。
本当は 全部 識らなかったの
本当は 全部 理解っていた
目を醒まさなきゃ いけないんだね
君との朝では なくても
『白』のアニメ版で最終話のOPで流れたBパートの歌詞。ここに羽川の暦に対しての、潔い決別とまどろみから「目覚めること」への強い決意が読み取れるだろう。
暦に頼らずとも、自らの意思での外側に行くことが出来る。だからこそ、彼女は旅をする決意をするのだ。戦場ヶ原に止められようと、阿良々木に何を言われようと、彼女は自らの世界の外側に飛び出すことが出来るのである。