見出し画像

満たされる(愛と再生)

例えば、Instagramの投稿。何気ない日常を切り取ったストーリー。長いときから短いときまで、そのときの気持ちを教えてくれたり、何を食べたのか、何をしたのか報告してくれたり、知りたいことを「教えて!」と言ってくれたりする、ちょっとしたコミュニケーションツールにもなっているほぼ毎日更新のブログ。それにプラスしてお写真をくれるときもある。自撮りから他撮り、可愛いからかっこいい、ソロショットからメンバーとのものまで、ありとあらゆる種類のもの。グループできちんと撮影したり、個人的にゆるく撮影しているIsland TV。雑誌掲載やTV出演、YouTubeで見せてくれる姿も加えると、毎日のように何かしら自担に関する供給がある。

これらについては、彼が自主的にやってくれていることも多く、その気持ちも含めて嬉しくなる。一時期、本当に一日に何度も「えっ今日もストーリー!」「またストーリーきてる!」「IslandTVきた!」「ブログに自撮りある!!」と喜ぶ日々が続いていた。ぴょこんと現れて小さなお菓子をくれたり、どーんとホールケーキを丸ごとくれたり、そんな感じの嬉しさを毎日毎日受け取りながら過ごしていた。全部細かく記録したらどんな感じになるかな?と思って記録をしてみたこともあったけど、あまりの一日当たりの供給の多さに記録が追いつかなくなってしまった。嬉しい悲鳴。「彼のことが好きで幸せだなあ」と呟く毎日。心から溢れ出た幸せで体中が満たされ、頭も心もぽんやりと浮かれてしまう。

これは昔読んだ本に書かれていたこと。人の心には、幸せや喜びを受け取る器があり、その器は誰かが満たすものではなく、自分自身で満たすものだということ。自分の心の器に幸せや喜びを満たしていれば、それが溢れ出て周りに波及するから、自分の心を自分できちんと満たしていくこと。その本を読んだ当時、深く深く納得し、完璧にできているかどうかには関わらず、頭に常に置いている考え方のひとつとなっていた。

心の器を喜びや幸せで満たす。「満たされた」状態で過ごす。彼が日々くれる供給の数々を受け取ることも、私の心を満たすことのひとつ。一つ一つ、大きいものから小さいものまで、確実に受け取っては心の器に入れていく、そんな日々。彼のことが好きで幸せだ、という気持ちを、噛み締めては浸る日々。

でも、私は先日、心の器をひっくり返してしまった。心に満ちていたものが流れ出ていくところを、茫然と見つめるしかできなかった。大賞、恋人部門のランクダウン。それでも一桁、素晴らしい順位であることに変わりはない。私たちに見えているものはあくまで相対的なものでしかないことも。ただ、去年彼に手渡すことのできた順位のこと、一年間何度も嬉しそうにそのことを話し感謝を伝えてくれていたこと、今年の順位を知ったときの彼の気持ち、いろいろなことを思うと、彼の顔を見るたびに胸がちくりと痛んだ。

彼の気持ちを、考えてみる。きっといろんな感情を抱いているはずなのに、受賞コメントに並ぶ言葉は、こちら側への感謝の言葉やまっすぐなアイドル精神だった。結果が出てから3日後に更新されたブログに並ぶ言葉も、お礼に加えて、私たちの気持ちが自分の心に届いているよ、ということ、これからも頑張る決意表明、といった内容のものだった。どこまでも私たちの気持ちに寄り添ってくれている彼の思いに、涙が零れた。正直なところ、自分の作業に関する後悔は無い。結果は結果として受け止めてはいる。それが思った通りの形にはならなかっただけ。一つ一つが彼に届いているならば、それでいいのかもしれない、とも思う。そして、未だに私はこのときの自分の気持ちを言語化しあぐねている。

ひっくり返してしまった心の器には、確実にひびが入っていた。それからも変わらず更新される彼のブログ、雑誌掲載、YouTubeの更新、可愛い猫耳姿でのお写真、グループで更新したIsland TV。フラットな素の佇まいや振る舞いから感じるふんわりとした優しさ。発する言葉、選び取る言葉がいつも心に優しく響くこと。普段だったら嬉しく感じること、楽しく感じること、愛しくてたまらないと感じること、もちろん嬉しいし楽しいし見る度に彼のことが大好きだと思うし幸せだと感じていた。それは間違いない。でも、ひびの入った器から、それらが少しずつ零れてしまっていたのだと思う。

受け取ることができなければ、自分の心を満たすことはできない。変わらずに在る愛しい姿、降り注ぐ優しさや可愛らしさ。それらを何もかも余すことなく、取りこぼすことなく全力で享受できていない自らの状態に、また胸が痛んだ。胸が痛むのは、彼のことが好きで仕方ないからだ、と思いながらも、彼がくれるものを全部全部思い切り受け取って心に満たして多幸感でふわふわとするあの感情を、早くまた味わいたいのに、と、何度も何度も思った。

壊れた器の修復方法に、漆を使い、継ぎ目を金粉で装飾する「金継ぎ」という手法がある。何度か見たことのあった、金の線が入った模様の器。その手法や、あの模様は割れ目や欠けたところだったということを初めて知ったとき、傷を模様として割れた器を再生させるという、その考え方そのものに強く感銘を受けたことを覚えている。

見ないふりをして、忘れて、新たな器を用意することもきっとできる。でも、私は、今後も彼の担当を続けていく上で、この気持ちから目を逸らしてはいけない、忘れてはいけない、と、思った。心の器の傷と向き合い、その上で、傷を模様として修復し、甦らせる。

あれだけ優しい言葉をたくさん貰っておきながら折々にしゅんとなる自分に凹んでしまうときもあった。でも、今の私は、心の器の欠けたところや割れたところを繋ぎ合わせているところなんだ、と思うと、少し心が楽になるような気がした。

漆を塗る。割れた破片を繋ぎ合わせる。乾かす。削る。欠けた箇所を埋める。乾かす。漆を塗る。金粉を蒔く。研磨する。長い時間を掛けながらゆっくりと、一つ一つの工程を重ねていく。金継ぎは、作業をする時間よりも、乾かす時間の方が圧倒的に長いという。その時間を経て、割れた器に新たな模様が入り、より美しく甦っていく。「満たされる」日々をまた送れるように、彼のくれる優しさを、愛を、またこの器にきちんと余すことなく満たすことのできる日を迎えるために。

大丈夫。その日はきっと来る。だって、私は彼のことが大好きで大好きで仕方ないから。こんな調子でも彼の写真を見ては胸がきゅんとなり、映像を見ればあまりの愛おしさに抱きしめたくなり、彼の素敵なところをいくつも目にしては「好き」の気持ちを実感する。彼の言葉一つ一つを大切に感じる。

金粉を蒔けば、そのひびは全て美しい模様になる。それまでは、自身の心の様子に向き合いながら、じっくりと。待つ時間も大切な工程のひとつだ。

彼がくれる「嬉しい」「楽しい」をまっすぐに全力で受け取ることのできる、愛や喜びで満たされる日々は、きっとまた来る。金色の美しい模様の入った、心の器で。

-------
今回、「推し語りワードパレット」から「満たされる」のテーマで書かせていただきました。ちひろさん、素敵なテーマをありがとうございました。