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佐藤琢磨選手から学ぶ「コロナ時代に成長する」ヒント

本日は、「佐藤琢磨選手から学ぶ「コロナ時代に成長する」ヒント 」についてです。
さて本日取り上げるアスリートは、モータースポーツから「佐藤琢磨」選手です。海外で活躍する日本人レーシングドライバーとして、先日、そうです自動車レースの世界的な大会「インディ500マイルレース」で見事優勝を果たし、日本でも大きく報道されていましたね。しかも2017年に続いて2度目の快挙ということで、日本人初の奇跡的な偉業といわれています。

このnoteはVoicyの過去の放送を文字に起こしたものです。

モータースポーツあまり詳しくないというアナタ、他のスポーツにたとえにくいのですが・・・そうですね~サッカーワールドカップで日本代表チームが優勝するようなものでしょうか。しかも4年で2回も!そのすごさが少しは想像いただけますでしょうか。
さて、そんな琢磨選手。輝かしい成績が目立ちますが、彼のキャリアは決して常に順調だったというわけではありませんでした。挫折を努力で乗り越えての結果だといえます。琢磨選手の行動、考え方、姿勢は、新型コロナにより不安の広がるこの時代のなかでも成長できる、そんなヒントがあるのではと思いました。
今回は、レーシングドライバー佐藤琢磨選手に学ぶ新型コロナ時代に成長するヒントをテーマにお届けします。それでは本編スタートです。

世界で活躍する日本人レーサー佐藤琢磨選手紹介 驚きの経歴とは

まず、レーシングドライバー佐藤琢磨選手について簡単にご紹介しましょう。
元F1ドライバーとして知られる佐藤琢磨選手、以降琢磨選手とさせて頂きますが、1977年生まれの43歳。現在はF1ではなくアメリカのインディカー・シリーズという別のカテゴリーのレースに参戦中です。このインディカーは人気でもスピードでもF1に匹敵するといわれるほどのレースなんです。特に、シーズン最大のレース「インディ500マイルレース」は世界3大レースのひとつと言われています。ちなみに3大レースのうち他の2つは、F1のモナコグランプリ、「ル・マン24時間耐久レース」です。お聞きになられたことはありますでしょうか?

その世界3大レースのなかで、インディ500はもっとも歴史が長く「最も偉大なレース」と言われています。特にアメリカでの人気は絶大で、会場であるサーキット、インディアナポリス・スピードウェイにはレース当日は40万人の観客がおとずれます。ことしは無観客開催でしたが、昨年2019年は私も現地インディアナポリスにて観戦しました。40万人ですよ、本当にスタンドを埋め尽くすファンの皆さんの熱気、バイブスっていうんですかね熱いものを感じました。

琢磨選手の紹介に戻りますが、そんな世界的なビッグイベントで2度も優勝し、大いに称賛されていますので、華やかな経歴のイメージもありますが、どちらかというと遅咲きの苦労人と言えると思います。実際初めてインディ500で優勝した時は40歳でした。これはモータースポーツの世界では充分にベテランの域です。

だいたいF1のドライバーは親もレーサーである2代目ドライバーで、幼いころから鍛えられてます。琢磨選手は、家族にモータースポーツ関係者でもなかった彼が初めてレーシングカートに乗ったのは20歳、鈴鹿サーキットのレーサー養成学校に年齢制限ギリギリで滑り込み自身のキャリアをスタートさせました。


琢磨選手はチャレンジスピリットの塊、自転車競技がやりたくて学校や先生にかけあって部活を立ち上げたり、海外レースに参戦するために海外移住を決断したり、自分の道を切り開いてきました。2002年遂にモータースポーツ世界最高峰と言われるF1に参戦することになってからも苦労の連続。2008年チームの資金問題もあってF1のシートを失うことになったあとは、インディカー・シリーズに活躍の舞台を移し、更にそこでも苦労に苦労を重ねながら、遂に40歳でインディ500優勝を果たしました。琢磨選手のストーリーはF1公式ポッドキャストにて琢磨選手自身がインタビューで答えています。英語ですが、ゆっくりハッキリ喋っていますので、英語のヒアリングの訓練を兼ねて是非聞いてみてください。チャプターにリンクを貼っておきます。

琢磨選手がF1離脱という挫折から、より大きな目標を実現できた背景には何があるのでしょうか?
彼のキャリアの歴史の中から、「挫折を味わった時の対応」「大きな決断の仕方」「成功を獲得するまでの挑戦の姿勢」の3つのステージから検証していきたいと思います。
特に新型コロナにより、生活やキャリアプランを大きく変えなければいけなくなったという多くの人にとって大いに参考になる佐藤琢磨選手のストーリーをみていきたいと思います。次のチャプターに続きます。

挫折を感じた時に取るべき行動

先ずは2008年、過去6年間参戦していたF1を断念した時のエピソードです。
当時のチームの資金面での問題等で2年間F1チームにかかわっていた時の琢磨選手の言葉です。当時を振り返って「自分の居場所が無かった時も、常に行動を起こしていた。トレーニングを続けいつでもレースに復帰できるように準備していた」
当時琢磨選手がF1のシートを失ったのは、チームの資金面での問題や政治的な背景もあったとされ、本人の努力ではどうしょうもない理由での挫折だったのかもしれません。そんな環境でも、磨選手は「自分のできること」に集中し努力と準備を進めていました。

これは、状況の整理を行い、コントロールできることとできないことを把握、コントロールできることに注力しチャンスを伺っていたという行動です。コントロールできることにフォーカスするというのは、Voicyでも人気の澤円さんもよくおっしゃっていることですし、当チャンネルのパーソナリティえーすけさんが第22回の放送で伝えていた「トップアスリートに学ぶ自責と他責の"使い分け方」に通じるところがあります。

外資系企業の企業研修において最も基本的な現状分析においてコントロールできることとできないことを整理するというステップがある。
我々はどうしょうもないことで悩み時間と気持ちを奪われがち。天候や情勢やコロナなど、仕事においても自分の力ではどうしょうもできないものに悩んでも仕方ない。反対に何が出来るかを考え、そこに集中することでその先が見えてくることがあります。

先ずは自分がコントロールできることにフォーカスするということをお伝えしました。
では、どうしょうもないこと、コントロールできないことについてはどう気持ちの整理をつけていくべきなのでしょうか。次のチャプターでお届けします。

「正しいあきらめ方」とは何か?

では、琢磨選手はF1のシートを失った後も、F1と言う夢の舞台がなかなかあきらめられず1年間テストドライバーを続けてF1には裏舞台として関わっていたんですよね。その後米不安の世界を離れることになりインディカー・シリーズに参戦を決意します。琢磨選手にとってF1と言うのは最大の目標であり夢でありそれを諦めることになるのは、かなり大きな挫折を味わうことになったんではないかと思います。ですが、その決断が後のインディ500優勝と言う偉業につながっていくわけです。


つまり夢をあきらめるという選択をしたからこそレーシングドライバーとして自分自身の道を追求できた。
そういえるんではないでしょうか。諦めるという事は目の前のことから逃げると言うネガティブな行動だけではなく、正しい選択肢を選ぶと言う行動につながります。

陸上選手でありVoicyのチャンネル運営もされている為末大さんが2013年「諦める力」と言う書籍を発表したことがあります。
よく覚えてるのですが、衝撃でした。というのが、どんなことがあっても「あきらめず努力を続ける」というのが常に美徳とされているのがスポーツの世界なのではという勝手なイメージがあったからです。オリンピックに何度も出場してる選手が、「諦める力」というタイトルの本を書いたとはかなり驚きでした。

その為末さんの書籍には「手段を諦める事と目的を諦めることの違いを理解しなければいけない」とありました。今自分がこだわっているものは、本当に自分の目標なのか。我々は時々がんばりすぎて目標を見失ってしまうことがあるかもしれません。

琢磨選手にとってF1で優勝することは、当然簡単にはあきらめたくない長年の夢だったはずなんですが、その「F1で勝ちたい」という本当の理由は、ひょっとすると「最高のレーシングドライバーになること」だったのかもしれません。その目的を実現させる手段がF1で勝つことだと思っていたとすると、インディ500で勝つことも、その目標の達成の手段になりますよね。当時の決断は、そう考えた結果だったのかもしれません。実際琢磨選手にとっては辛い選択だったはずですが、その決断によって、より大きな成功を手にすることができたのだと思います。

このエピソードを聞いて、高速旅客機コンコルドの開発にまつわるエピソードを思い出しました。

当時音速・マッハのスピードで飛ぶという夢の飛行機だと言われていましたが、開発のかなり初期段階において、採算も取れないし実用性も低いということが判明してしまったそうなのです。当時の開発チームとしては、一度始めた開発の夢を諦められず、むしろ失敗に向かって開発プロジェクトを続けてしまったということがあったそうです。

また、経営学者のピータードラッカーの言葉の中にも「まずは捨てること」というのがあります。新しい何かを掴むためには、スタートの時点でいちど引き算をして、不要なもの、自分の夢や目標を阻む要因を取り除き、自分のキャパシティを確保してから次のことは始めるべきかのではないでしょうか。
コロナの影響で、予定通りいかず、計画の予定変更を余儀なくされたなんていう人も多いと思いますが、長期的目標に立って一旦リセットしてみること、それによってより良い選択肢が見えてくるってこともあるかと思います。

本質的な本当の目標のために正しい選択をすること、これは目の前にある夢をあきらめることにつながるのかもしれません。厳しい決断かもしれませんが、それが「正しい諦め方」につながることもあるのでははいでしょうか。

No Attack No Chance 挑戦することでチャンスを引き寄せる

前チャプターでは「前向きに諦める力」についてお話しましたが、最後は反対に「挑戦し続ける姿勢」についてお話します。
佐藤琢磨選手が常に口にしている言葉があります。彼にとっては人生のモットーともいえる言葉として海外メディアにも度々取り上げられています。

それは「No Attack No Chance」 挑戦なきところにチャンスは来ないという意味です。琢磨選手のレーシングスタイルもそうですが、アスリートとして人として人生に向き合う姿勢も表しています。

その言葉通り、レースにおいてアグレッシブな姿勢を貫いてましたので、ときにはそれがバッシングを受ける要因にもなっていました。F1時代もアメリカに渡ってからも厳しい視線を注がれる時が多々ありましたが、それでも常にリスクを撮り続けて挑戦したからこそ、その後の大きな成果を手にすることができたのでは無いでしょうか。
確か最初にインディ500優勝した2017年当時、その年のアメリカではあのイチロー選手と並んで最も成功した有名な日本人アスリートというタイトルで紹介されていたことがありました。ただ、そこに至るまでには、アウェーの逆風の中を走り抜ければ走り続けなければいけない状況があったかと思います。
琢磨選手は「チャンスは自分にとって最適なタイミングで来るとは限らない。ただチャレンジ続けることでチャンスを引き寄せることができるんだ」と話していました。琢磨選手はそんな困難な時ほど自信にこの言葉「No Attack No Chance」を言い聞かせていたそうです。

そんな琢磨選手の姿勢を見ていると思いだされる人がいます。プロ野球の名監督として知られた、星野仙一氏です。彼の言葉「迷ったときは前にでろ!」 2003年当時阪神タイガースの監督としてチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた時代、口癖のようによく口にしていた言葉だそうです。私自身何かの決断に迷ったときにはこの言葉が思い出されます。迷ったときに、逃げではなく前向きな決断を行うと後で後悔することが少ないと思います。

佐藤琢磨選手から学ぶ3つ目のポイントは、理屈抜きのちょっと精神論ポイ話になりますが、星野仙一氏の「迷ったら前へ出ろ」、琢磨選手の「No Attack No Chance」も、この不安で不透明な時代には大事な姿勢なのではないかと思います。
また、琢磨選手は日経ビジネスのインタビューで「何かにトライするからエネルギーが出る」とも語っており、エネルギーがあるから頑張れる、エネルギー不足の状態ではチャレンジできない、ということでもないのかもしれません。まずは行動を起こしてみるということが大事なのではないでしょうか。

コロナ時代に成長するヒント

本日は、「レーシングドライバー佐藤琢磨選手から学ぶコロナ時代にも成長するヒント」をテーマにお届けしましたがいかがでしたでしょうか。

コロナによる生活の変化は、様々な要素においてアナタ自身ではコントロールできないことが多いです。そんな中今までと同じようにいかず、多くのことを諦めざるを得ないということもあるかもしれません。

ただそんな時期だからこそ、自分自身の置かれた状況や今までの自分自身をいちど整理して、惰性での行動を続けるのではなく、一度正しい決断をして諦めるべきことは諦め、コントロールできることに集中すして、改めて何かに挑戦してみるというのは如何でしょうか?

このnoteはVoicyの過去の放送を文字に起こしたものです。
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