私vs苛々する人

私はめったに苛々しない。

しかしおそらく私の周囲の人々は苛々していると思う。
申し訳ないけれどマイペースが崩れるとすべてがガタガタになってしまうのだ。だからできるだけそこは変えないことにした。
自分の仕事ややるべきことをきちんと行うために可能な限り人のペースに合わせないことにしたのだ。

そうは言っても殊に仕事に関しては誰かのペースに合わせなければならない場面は多々ある。悲しいが一人で行きているわけではないのである程度は仕方がない。

しかし世の多くの人からすると、私がのんびりしているから苛々するのだろう。「なんでそんなにのんびりしているのか」「暢気すぎてこちらが心配になる」などと言われてきた。言われても変えないのだが。

そんな中、見ず知らずの人に絡まれることが割とある。
駅で、交通機関で、道を歩いていて、またネットの世界でもそういうことがある。
駅のホームで電車を待つ列に並んでいたらいきなり後ろから殴られたことがある。背中に突然衝撃があって一瞬何が起きたかわからなかった。
道を歩いている時、肘を凶器にして道幅いっぱいに広げている人にぶつかってこられたことがある。あちらから近寄ってきたのはなんだったのか。
高齢者が杖を振り回して手当り次第に物を殴りながら突進してきたことがある。当たっていたらかなり痛かったはずだ。

先日もこんなことがあった。
駅で乗り換えるために通路を歩いている時、斜め前を歩いている人の振った手が私のバッグに軽く当たった。特に何も気にせずそのまま進む。
ところがその人が追いかけてきて私の腕を叩き語気を強めてこう言った。
「人にぶつかったらなんか言うことあるだろう!」
唖然とした。
「ものを知らない無礼者に正しいことを教えてやった」という気持ちがありありと見えた。売られた喧嘩は比較的買うことにしている私もマスクの下で開いた口が塞がらず、言い返すのを忘れてしまったのが心残りである。

ざっと思い出せるだけでもこういうことの枚挙に暇がない。

私を見てこいつ鈍いなと思って苛々している人は多いのだろう。実際そうかもしれないがそれとは別に怒りの沸点が低い人も増えたなと思っている。そして先ほど挙げた出来事はすべて相手は男性である。個人的な印象としてはある一定の年齢以上の男性は苛々していたり常に機嫌が悪い人が多い。なぜなのだろう。

もちろん女性でも苛々したり、キーキーしている人はいる。そういう人に絡まれたことが少ないのは、私みたいな者には近づいてこないからだろう。実際友人にせっかちな人はとんどいない。それでなくても苛々するのにさらに苛々するものに関わりたくないのだと思う。そしてそういう場合は接点を持たないのがお互いの平和のためである。

ある一定の年齢以上の男性には濃淡はあるにせよ「男尊女卑」の概念があるのではないかと考えている。教育や時代背景により刷り込まれた価値観だろうと思う。「女」であるというだけで劣っているのにそのうえ鈍いのか、もたもたしているからとっさによけたりすんなり受け流すこともできないんだ、などと思って怒りの導火線にたやすく火が点く。
とここまで想像した(事実は別としてあくまで想像)。

しかし本当は、一番の理由は想像力の欠如だと思う。
もしかしたら自分が悪いのかもしれないとか、止むに止まれぬ事情があったのかもしれないとか、以前に似た状況で嫌なことがあったけれどすべてに当てはまるわけではないとか、そういうふうには考えないのか。
「自分の常識は人の非常識」という言葉を思い出すにつけ、できるだけ自分のものさしを過信するのはやめようと肝に銘じるのである。

先に登場したエピソードの主たちはきっと、そういう言動に至った悲しい出来事や忸怩たる思いを経験したのだろう。人は最初から性悪ではないと思いたい。攻撃は最大の防御と言うように実は何かを恐れているのかもしれない。

皆が私のように無駄に想像力がたくましくある必要はないのだが、それぞれに様々な事情を抱え、思いもよらぬ事を考え、想像を絶する価値観で生きている人がいると想像すると「これが多様化を容認するということなのか?」と感じたりもする。私も一瞬むかっ腹が立っても6秒黙ってみようと思う。

「なんだむかっ腹が立つとか言ってるじゃん」と言うなかれ。
苛々はしないが怒ることはもちろんある。

それにしても「苛々」という字は本当にとげとげしいな。

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