巨星墜つ
16日、突然の訃報が飛び込んできた。
シンガーソングライターの、谷村新司さんが、8月亡くなっていたという、
ニュースを聞いた瞬間、震えがきた。
今年3月に急性腸炎の手術を受け、治療回復に務めていたそう。
アリスは、谷村さん、堀内孝雄さん、矢沢透さんの3人で19○○年に結成。
デビューして数年間は、ヒット曲に恵まれなかったが、年間数百のコンサートをこなし、ラジオ番組のMCをするなど、多忙を極めていたという話は、谷村さん自身が、コンサートのステージでよく話してくれた。
「今はもう誰も」でブレイク。以降、冬の稲妻、チャンピオンなど数々のヒット曲を生み出した。
実は、アリスの存在を知ったのは、彼らが活動休止してからだった。
それ以降、個々で活動を開始。
昴など、ヒット曲を生み出すとともに、たくさんの楽曲を他の歌手に提供。
中でも、いい日旅立ちは、山口百恵さんの代表曲として、彼女が引退してからは、谷村さん自身が歌い続けて、今も多くの人に知られ、愛されている。
特に、JR西日本の新幹線で、駅が近づくとこの曲が流れるのを、私も何度となく聞いてきた、大好きな曲。
むかし、父が定年退職をした頃だったか、家族でトワイライトエクスプレスに乗って、旅をしたことがあった。
その時、札幌駅で、列車に乗り込むと「いい日旅立ち」が流れていて、それを聴いた途端、胸がキュンとなり涙ぐんでしまったことを憶えている。
こちらに移り住む前まで、毎年、谷村さんのコンサートに通っていた。
歌はもちろんのこと、MCも楽しくて、いろんなエピソードを話してくれた。
アリスでデビューして数年間、ヒット曲に恵まれず、初期の頃はコンサートに数人しかお客さんが入らなかったこともあったとか。
東北で、デパートの催し物会場での仕事のとき、お弁当を広げていた老夫婦と孫がいて、歌おうとしてギターをジャンと鳴らしたら、「うるさい!!」と怒鳴られた話、1億5千万円もの借金を抱えた話。それを返すために、アメリカまでツアーを組んで行った話などなど、爆笑したことが記憶に残る。普通なら、苦労話になってしまう過去も、彼の軽妙な語り口にかかれば、笑い話に変わってしまう。
本当に、話術の巧みなひとだった。
なのに、ひとたび歌い出すと、一瞬にして歌の世界に引き込まれてしまう、声と歌のうまさを備えていた。
ほぼ全ての楽曲のCDとやレコードを買い集め、札幌にいたときは、毎日のように聴いていた。一緒に歌ったりもして、ほとんどの曲の歌詞を覚えてしまったほど。
今回、谷村さんの訃報に際し、各テレビ局では、昴やチャンピオン、いい日旅立ち、冬の稲妻を代表曲として紹介し、映像を繰り返し流していたが、もっともっとたくさんの代表曲や、いい曲があるのになぁと、ちょっと残念な思いで画面を見ていた。
群青、陽はまた昇る、浪漫鉄道、明日への賛歌、涙の誓いetc あげたらキリがない。
恋愛をテーマにしたものでは、忘れていいの、22歳などがあるが、私はそれ以上に、人生の哀愁をテーマにした曲が好きだった。
先にあげた「陽はまた昇る」や「浪漫鉄道」などが大好きで、聴きながらよく涙した。泣くのはカタルシスだと言われるが、そういう点で、谷村さんの歌を聴きながら、心の檻を浄化していたのかもしれない。
たくさんの思い出がある中で、何十年経っても忘れられないのが、「遠くで汽笛を聴きながら」だ。
30代の頃、夕方、書道の稽古から帰るバスの窓から、夕陽を見ていたら、突然、この曲が耳の奥から聴こえてきて、たまらず大泣きしたことがあった。
この先、自分はどうなるんだろう、どうすればいいんだろう、どう生きていったらいいんだろうとずっと悩んでいたときに聴いた「遠くで汽笛を聞きながら」の詞は、あまりに自分と重なっていて、涙なくしては聴けなかった。
と、同時に、癒しにもなっていたように思う。
苦しいと吐露しながら、最後には聴き手である私たちを、癒し、励ましてくれていたのだ。
あれから数十年。
谷村さんの曲の数々は、廃れることなく、日本国内に留まらず、世界中で、今も愛され、歌われている。
ニュースキャスターや、彼を悼む友人知人たちが、口々に「これからも歌い継がれていくことでしょう」と言っていたが、本当にそう思う。
数々の名曲を残していった谷村新司さん。
曲と一緒に、きっと、彼の名前も忘れられることはないだろう。
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