もっと自由に
noteを始めるとき、書くテーマを決めるにあたって、音楽、歌、声、演劇や映画といったものに限定しようと決めました。
自分の音楽への思い、歌について、ドラマや映画、ボイトレでのことなど、書いてきましたが、5月に母が入院した頃、たまたま観た「生きるとき死ぬとか父親とか」というドラマのシチュエーションが同じだったことから、その時の自分の心境とリンク。
そして偶然、同じ頃に父とじっくり話した内容とがリンクしていたこともあり、ドラマが終わった後も、深く心に刻まれることとなりました。
今までも何度か触れてきましたが「生きるとか死ぬとか父親」は、一人っ子として生まれた女性が、父親のことをエッセイに書いたことをきっかけに、20年前の母の死と改めて向き合うことで、封印していた母への思い、父への思い蘇らせるというものです。
そこには、亡母への思慕や愛、母を苦しめた父への憎悪が描かれていました。全く同じ状況ではありませんが、母を亡くし、父と二人が残されるという場面展開は同じです。
毎回、ひとり娘の母との関係性や、父親との関係性。母親と父親との関係が描かれるたびに、自分のことのように感じられ、ついつい切なくなる。
なのに観ないではいられない。
そのうちに、ふと湧いたのが、私にも書けるエピソードがある、書きたいとの思いでした。
なぜ、そんなことを思ったのかはわかりませんが、ドラマに描かれた世界に今までに感じたことのない共感を覚えたからかもしれません。
その時以来、あれも書ける、これも書けると、母から何度も聞かせられた幼少期(生まれた時)から女学校時代、樺太から引き揚げル時の時、引き揚げてからのこと、教員時代、父との馴れ初め、結婚してからのことが、溢れるほど湧いてきたのです。
そんなことを思い始めた頃です、母が入院して父と二人だけになってしばらくして、ある日、珍しく、否、初めてじっくり父と話をする機会があり、そのとき、たまたま「生きるとか死ぬとか父親とか」のことを話したところ、ふっと父が「(母のこと、父のこと、家族のことを)書いて欲しい」と言ったのです。
突然のことにびっくりしていると、さらに父は「お前なら書ける」と言ってくれたのでした。
母が亡くなって、まもなく3ヶ月。
そろそろ落ち着いてきましたかとの言葉をかけられることが多くなりました。
そのときは、やんわりと「まぁ」と答えていますが、実際は、落ち着いてはいないというのが素直な気持ちです。いつになったら落ち着くのか、本当に落ち着くものなのかなぁと思いますが、それは誰にも言えません。父にも話していません。慮ってくれての言葉、父と私の間でも、必ずしも同じ感情とは限りません。
なので、心の中で、静かに今ある感情を受け止めているというのが正直なところです。
そして時間が経つほどに、母のこと、父のこと、家族のこと(自分を含め)を書きたくなっている自分がいます。
そして、それを書くに一番相応しい場が、ここではないかとも。
ブログを書いてきましたが、そこは元々、仕事関連のことを書いてきた場です。
自由に書くには、些か気後するというか、やはり相応しくないのでは?との思いが湧いてきます。
Facebookもしていますが、ここも同じく仕事をしていく上で始めた場。
もっとも自由なのは、やはりここが一番
というわけで、書くテーマを広げることにしました。
必ずしも読んでいて、楽しいとは限らない内容もあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。
書くという行為は、気持ちが湧き上がらないと、なかなか書けないものです。
これからも不定期に書いていくことになると思います。
ここから、ブログやFacebook、Twitterに発信していこうと思っています。
もっと自由に、好きなことを…