男に生まれたかった
先日、息子と電車に乗り、運転席の真後ろに立ち正面から流れてくる景色を楽しんでいた。幼いころは、並ぶ鉄柱(当時は木製だった)を一生懸命数えていたが、目的地に着くまで数えきれたことは一度もない。
そんな事を思い出しながら運転席を眺めていると、見慣れないものがふと目に入る。いや、モノ自体は見慣れているけれど運転席には今まであるとは思えなかっただけと言えようそれは、タブレット端末。
「制限」「最高速度注意」「停車」など、運転士に必要な情報が目の前のタブレットに表示されていく。時代は変わった(進んだ)なあと、最早息子より若干ウキウキしつつ車窓からの風景を楽しんでいた…と少し離れていた位置に座って見ていた娘が後で教えてくれた。
そしてその際に目に飛び込んできたもの…それを見た瞬間に湧き上がるものがあったので今回はそれを取り留めもなく綴ることに。
お前は女だから
人生で私の前に立ちはだかった「言葉」たちの中でも、恐らく最も出現回数が多かったのが「お前は女だから」。
しつこすぎて、ストーカー的な霊がわざと言わせてるんじゃないかと思うほどに何百回を通り越して確実に千回は聞いている(大袈裟ではなく、本当に)。
父にすれば末っ子、母にすれば一人っ子の私は過保護と言えるほどに可愛がられた…と言えなくもない。冷静に思い返せば、どちらにとっても「手駒」でしかない部分の方が多かったとはいえ、両親にすればそれは紛れもなく「愛情」であったのだと思う。
そして「女だから」という理由でいろんなことに制限があった。
それはきっと世の娘さんたちは皆経験している事かもしれなけれども、やはり「男子」に比べると自由に制限がかなりあった。
とはいえ、それは危険を回避するという意味では正しいともいえる。それでも、「女であること」で何故「男であること」より危険にさらされなければいけないのだろう?という疑問だけは常々持っていた。とはいえ、行き過ぎたフェミニズムやらに走る気は毛頭なく、ごく普通に「女だから駄目だ」と言われることへの反発も含め、何故女だとダメなんだ…というしこりを私に残し続けた。
前回「言霊」と書いたが、この「女だから」は見事な言霊と化した。むしろ私に巣食う言霊の親玉と言っても良い。
父は、何かにつけ「男はいいが、女はダメだ」と口にするタイプだった。
80歳を超えるほど年を取った今も、それは変わらない(どころか悪化している。老化での事なので致し方ない)。
ただ、それが世間一般的に許容される「男は良くて、女がダメ」な事象であるならまだ許せる。父は、とりあえず「女であることがダメ」という大前提なので、ごく普通の話もこじれてしまうという難点があった。
私が30代半ばの時、父が放ったかなり行き過ぎたセリフがあった。
ただ、あまりに行き過ぎていて正直「この親父…ダメだ…」としか思えなかったので既に私のネタと化している。ただ、それを機に「起業」という道を選んだのだから、父にすれば大誤算だったのだと思う。
父は、上から「ガツン」と言いさえすれば、女は皆よよと泣き崩れて自分のいう事を聞く、とずっと信じてきた。実際、そういう女性ばかりを周りに置いてきたつもりなのだろう。実際には、そうしているようで見事に父が女性に振り回されているのを、父だけが気が付いていないのだが…。そう思うと多少哀れではある。
起業した私の邪魔も、面白いほどしてくれた。
取引先に繋がる知り合いを通じ、その社長に電話をかけ、私と取引しないようにとあることない事吹きこんだりもした。ただそれは父が私を可愛く思ってなかったからやったわけではない。女だから、そうしたのだ。
起業するきっかけになった父の行き過ぎたセリフはこうだ。
「だいたい女なんて生き物は、生まれながらにして男の半分しか生きる価値がないんだ。だから、お前は大人しく俺(父)と兄(父の前妻の子)に付き従ってろ!」
ここまでくると清々しくて面白い。
そして、起業の邪魔をしたいきさつはこうらしい。
「俺の会社の跡継ぎは男である兄だが、下について支えて馬車馬のように働く血縁者が必要だ。その為にも、薫には起業に失敗して泣いて戻ってもらわんと困る!」
問いただした母でさえ、開いた口が塞がらなかったというのだからお察しである。ところが、数年後に本人に確認すると「俺はそんなことは一言も言ったことがない!」と言う。認知症ではないのに認知能力が歪んでいたということか…ともはや言葉もない。
こんな感じで、父の愛人を何人も眺めつつも過ごしてきた期間は、割と私の中の「男性像」というものを歪ませてきた。とはいえ、一度失敗している結婚については自分の見る目がなかったとも言えるのでここではあえて言及しない(というか、この辺りの話は付き合ってから裁判離婚までが12年と長いので流石に書ききれない)。
お前が決めたから
その唯一の結婚生活で語れるとすれば「お前が決めたから」という言葉かもしれない。女であるというだけで選択肢を奪われてきた自分に、選ばせてくれる彼に、いたく感動したものだ。
ところが、日が経つにつれそれが実は「選ばせてくれている」わけではないと気づく。なぜなら、何かあると必ず「決めたのはおまえだから、俺のせいじゃない」という言葉が付加されるようになったから。
お前は女だから、そもそも無理。
お前が決めたのだから、俺には一切責任なし。
例え二人に関係がある事だとしても、私に選ばせて、私に責任のみを押し付けた。上手くいったときに「お前が選んで良かった」とは、一言も言われなかった。私の中で「お前は〇〇だから」は地雷ワードとなった。けれど、地雷化している事に気が付いたのは、離婚裁判の最中だったというのだから、自分の感情の整理も相当に時間がかかる方だという反省は必要なのだろう。
悪気はなかったのよ!
「悪気がない」というのは「考えがない」と似ているのではないかとよく思う。相手の立場や都合を想像すれば、そんな簡単には言い放てない言葉達は、「〇〇だから」という理由をつけて仕舞うことで、その「想像する」という過程をすっ飛ばす免罪符のように扱える。
なので、不用意に思った(浮かんだ)言葉をそのままの形で言い放つ母がどうしても許せない時が今でも日常的にあったりする。けれど、これも年老いた父と同じレベルで「仕方ないもの」と諦めている部分もある。母は私が小6の時には既に精神を病んでいたので、言葉のナイフが飛んでくるのは慣れっこだ。
そんな中でも「カオルさんは〇〇だから」と言われて、一切の苛立ちを覚えない事が増えてきた。これはいったいどういう事だろう。
せっかくなので「〇〇だから」を肯定的に捉えられる時とそうでない時の差を考えた。受け取るときのこちらの心理状態次第か?それとも体調か?それともそういって欲しかったと思っていたからか?
たどり着いたのは「〇〇だから」という言葉の裏に「〇〇のくせに」という侮蔑の気持ちがあるか、ないかということ。相手に分かりやすくレッテルを貼って、そのレッテル通りに貶すことが出来れば「型にはまった」感じがしてその言葉を吐いている方も気持ちがいいのだろう。言われた方はたまったものではないのだけれど。
〇〇な女は、頭がカラッポだっていうし
そう、これも言われてきた。
言われるのが嫌で雑学とか覚えまくって、会話のほとんどは打ち返せるようにしてきたつもりだ。これも男性にとって女がそうであって欲しい…というよりは、女性にとって「そういう女性はそうであって欲しい」という願望が「男性にそう言わせた」のではないかと勘繰っている。
中学2年生でFカップだった私の胸囲は、現在アルファベット11個目。
今の私に面と向かって「クリモトさんて、バカなんですよね(笑)」なんて言ってくる人はいないものの、一昔前までは駅の構内ですれ違うだけで「うっわ、〇〇でか!頭悪そっ!」と聞こえよがしに言われたりもした。
もちろん、痴漢や変態はホイホイレベルで群がるので、余計にそうも思われたらしい。母にすら「私はそういう目にあったことがないから分からない!あんたに隙があるんでしょ!」と言われたのだから、学生時代の私には救いなんてなかったなと改めて思う。
すれ違いの電車に見たものは
文章だけだと薄幸そうに見えるが、実際はそんなこともない。元来の気の強さと、ガツンと言われると余計に「なにくそ…!」と思う負けん気の強さでここまできたので、実はダメージらしいダメージを受けていないとも思う。
男尊女卑の塊のような父親ではあったけれど、社長ではあったので小学生以降はお金で悩んだという生活ではなかった。よくあるサラリーマン家庭とは違う、商売人の家庭を経験をしたというだけにすぎないだろう。
ただ、息子と見た「すれ違う電車の運転席」には、女性運転士の姿があった。ああ…時代は進んでるんだ…女だから…って言われていた職業にも、女性が進出できているじゃないか…車掌だけではなく、運転士としているじゃないか…!
時代が変わるには、なにがしかの犠牲が必要だと思う。
何も痛みがないのであれば、時代を変える必要性もないのだから。
私が自分で払ってきたと思う犠牲ややりきれない気持ちも、こうやって何かの一部として、時代の変化の一部になったのだとしたら…。
小さな小さな存在でも、そのうねりの中の砂粒として役目を果たせたのかもしれないと、なんとも嬉しく感じるのだ。
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