「声」に特化する理由 寝ても覚めてもボイトレ思考ー第16夜ー
第16夜ということで
昨日も同じような出だしでしたね?(笑) 今日は少し豆知識からスタートです。
だ、そうです。 ためらう…なんだか奥ゆかしいというか、日本人らしい感じが致します。 ちなみに、これだけ前に出て喋り倒している栗本ですがずっとこういう活動をためらっていました。特に、このボイスデザイン(ボイトレ)などを、私やってまーす!と外に出すことに、相当なためらいと躊躇がありました。 えー!? うそー!! またまたぁ~~(笑) という皆さんの心の声が、ハッキリと聴こえて参ります、ええ(笑)
声のことだけを考えて生きてきた
プロフィールにもあります通り、栗本はひたすら音楽の世界で生きてきました。ヴァイオリンやピアノ科の方ほど2歳や3歳からどっぷり…ではありませんが、本物心ついた時から本当に歌うことが大好きで。 小さい頃はずっと、プロの歌手になる!と思っていました。 声楽ができる中学に受験して入り、高校も音楽科。大学も、専攻科(大学院になる前の段階で設置される1年のみの科)も、通いました。 どうすれば歌が上手になるか? どうすれば声がもっと出るのか? どうすれば感情がもっと込められるのか? どうすれば歌詞(日本語・英語・イタリア語・ドイツ語)を上手く発音出来るのか? 考えました。 めっちゃ考えましたし、練習しました。 けれど、当時の私の頭では処理できていない内容がたくさんあって。 気が付いたら、何をどうすればいいのかさっぱり分からない状態に。 ただ、楽譜を読んで、ただ歌って。 師匠に注意されて通り、やり直して。 その言葉の裏にあった「本当の意味」などは何一つ理解できぬまま。 卒業をして、そのまま音楽から遠ざかってしまいました。
音楽で、何者にもなれない自分が恥ずかしかった
センセーショナルなデビューが出来るわけでもない。大学イチ上手な学生でもない。 卒業演奏会に出ることはできたけれど、そのあとの専攻科では酷いもんでした。師事していた先生が急にドイツに渡り。何も知らないままなんとか合格した専攻科でのオーケストラバックでの演奏会。 「学校始まって以来の、最悪の演奏だったって、言われてるわよ。」 ドイツに渡った師匠の次に師事した教授の言葉は、あのシーンや口調ごと、記憶に残っています。 同じ大学だった当時の彼氏と10年付き合い結婚しました。夫は音楽に関してはとても優秀な人で、私の知識量は夫の1/10ほど。それすらもなかったかもしれないレベルで、まったく違いました。そして私の音楽に対する劣等感は、日に日に積みあがっていきました。 どうせ、どうせ私なんかが音楽を続けたって、何もならない…。 全ての自信を失って、なんだかんだあって離婚。(この辺のお話はブログの別記事にありますので、よろしければ探してみて下さいね(笑)) 子育てに必死になって、その子どもたちの将来のために何かできるはず…と起業。けれど、その時は「音楽や声に関係あること」をするとは、まったく考えていませんでした。むしろ、考えたくなかったかもしれません。自分の劣等感を、刺激したくない。その思いの方が、強かったと思います。
奈良県でボイスデザインを広める、奈良県で話し方の底上げをしたい。
紆余曲折あって。 今はこうやって自信をもって皆さんにボイスデザインをお届けできること。本当にありがたいなぁと思います。 そして「ボイスデザイン」は栗本が渾身の力でお届けするメソッドです。ただの「ボイトレ」でもなく、ただの「話し方」でもない。「姿勢・呼吸・発声・発音・話し方」どれかひとつではなく、全部。奈良というマイナーな土地で、奈良という場所を活性化するためにも、喋りが上手な人を育てていきたい。
セミナーを通しこの理念をお届けできること。それに対して、冒頭のようなご感想を頂けたということ。小さいころから、「声」の事ばかり考えて生きてきた自分の人生を、やっと肯定できた気がします。
だからこそ、悩んでいる方に全部をお伝えしたい
先日行ったマンツーマンレッスンを受講して下さった方が「全身全霊のレッスンでした」と仰って下さいました。声の出し方や話し方で悩む人を、全力でサポートしたい。 私がずっと考えてきた事、学んできたことが皆さんのお役に立てるのであれば、すべてをお伝えしたい。 名プレーヤーが名監督でないように。色々悩んだから私だからこそ、お伝えできる「方法」があります。 どこかで一度学んだけれど、思うような結果が出なかった。もし、そういう経験があるのであれば、一度栗本の方法も試してみませんか?同じように悩んだ経験があるからこそ、何か答えがみつかるかもしれません。
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