それでも僕は前を向いて生きる:ウォッカのつれづれ日記
こんにちは!
図書室 室長のウォッカです!🐸
今回は、日々気づいたことを綴る日記回!
最後までお付き合いを🎈
世界ってこんなにも冷酷⁉
唐突ですが、今日、職場の方が亡くなりました。
とても悲しく、寂しい。
けれど、いつも通り
昼になればお腹は空くし、
ご飯を食べたら眠くなって、
ボタンを押した黒い画面は華やかに映り、
数人がひな壇に座り、笑っている。
そう、残酷だけど、日々は相変わらず過ぎていく。
何事もなかったかのように。
世界ってこんなにも冷酷だったっけ?
世界は冷酷だからいい。
けれど、冷酷なのは仕方ない。
だって、今、こうやって書き綴っている間も、
誰かが亡くなり、誰かが悲しみに暮れ、
その一方で、
誰かが生まれ、誰かが喜びに満ちているから。
そんな1つ1つを掬い上げていたら、
365日24時間ニュース番組を放映しっぱなしだ。
ひな壇で笑っているどころじゃない。
画面と同じ真っ黒のスーツで、毅然とした顔しか見れない。
うん、何事もないようでいいから、
画面の向こうだけは笑っててほしい。
画面を見ている自分が笑えない間だけは。
冷たくも温かい感触が忘れない。
だが、「世界って冷酷だね」と他人ごとで
済ますことはできない。
実は、3か月前、ばあちゃんが亡くなった。
小さいときからいつも
「大きくなったねぇ」といいながら、500円くれた。
思い出すのは5年前、今にも倒れそうな暑い夏だった。
僕は、もちろん大きくなっていた(横に…)。
けれども、ばあちゃんが言ったのは
「おぉ、誰だけぇ?」だった。
そう、もう認知症が進行していて、覚えていなかった。
代わりに父親(ばあちゃんの息子)が、
ばあちゃんのお菓子の缶から、500円を取り出し渡された。
夏なのに異様にひんやりしていた。
だけど、よく握ると温かい。
それは夏のせいではない。
お菓子の缶いっぱいに、500玉が入っていた。
その不思議な感触が印象的だった。
だけど、それが最後だった。
それから、認知症は急速に進行し、
施設に入寮し、すぐに世間はコロナ禍で面会NGとなった。
その間、僕は地元を離れて暮らしていた。
全く会わないまま、最期を迎えた。
僕の胸の中に、未だに後悔がうずたかく積もっている。
前を向くために慣れる
けれど、僕は日常を過ごしている。
なんて冷酷な人間だろうと、自分でも思う。
よくも悪くも、人間は慣れてしまう。
あんなに嬉しかった、500円も、
今はその何倍もの給料に、ボヤいている。
けれども、その「慣れ」のおかげで、
僕は、前を向いて生きることができている。
顔は1つしかないから、
後ろを振り返っては、前が見れない。
きっと、この出来事も慣れてしまうんだろうと思う。
だけど、やっぱり忘れたくない。
だから、ここに残しておく。
いつでも、立ち返れるように。
たまには後ろを向いたっていいじゃない。
後ろを向いて。背中を押してくれる人に、感謝を伝えよう。
よし、僕は前を向く。