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#5.ディストピア・ジパング【曲紹介・感想】

「何かが変わるとは思えないけど それでも…」

どうもnoteではお久しぶりです、ぐりーんです!久しぶりに書かせてもらう今回のnoteでは数あるボカロ曲の中でも5本の指には入るだろうくらい大好きな曲を紹介します。それがcosMo@暴走Pの「ディストピア・ジパング」です。

消失シリーズ、空想庭園シリーズを筆頭に様々なシリーズ作品を書き続けるcosMo氏の曲のなかで、この曲は珍しくもそういったものに当てはまらない単発の作品です。

僕はTwitterなどでは自分を「千本桜世代」「ボカロバブル期」の人間と表現することがよくありますが、この曲はぼからん#207において初週の「千本桜」を3位に抑えて2位になった曲です(ちなみな1位は40mPの「ヤクソクの種」)。

さて!これから、なぜこの曲がそこまで大好きなのかと、なぜこのタイミングでこの曲についてnoteを書いたのかという話についてしていきます。今回は自分語りが多めかつ、今までよりも多少過激な内容になっているのでご注意ください。準備はいいでしょうか…?

2011年の日本と、第一の側面

覚えているでしょうか?2011年当時の日本の情勢、トレンド、流行ったボカロ曲。当時まだ中学生だった僕ですが、いくつか忘れられない鮮明な記憶が今も残っています。まずは再三言ってきた通り僕が「ボーカロイド」というコンテンツを知り、触れ、好きになったのがこの頃だったこと。

そして、もうひとつは言うまでもなく「東日本大震災」です。道民だった僕ですら、海の向こうを震源地としたその揺れへの衝撃も凄かったです。校舎がオンボロだったので、外へと避難したのをよく覚えています。ですが、さらに衝撃的だったのはその後のテレビで見た光景でした。多くの尊い命が失われ、未来が奪われていきました。

暗い話になりましたが、震災については「ディストピア・ジパング」を語り尽くそうとする際に決して避けては通れない話題だと考えています。それは、僕がこの曲の持つ第一の側面がcosMoなりの「復興応援歌」なのだと考えているからです。

時間の流れと、第二の側面

タイトル「ディストピア・ジパング」の「ディストピア」は「ユートピア(理想郷)」と真反対の意味を持つ単語。そして、「ジパング」は「中世ヨーロッパにおける日本の呼称」です。僕はこれをストレートに捉えて、「日本という絶望に満ちた国」の歌であると考えています。その絶望の大きな一つが震災だ、という考えです。

第一の側面、というくらいですから僕はこの曲の解釈には第二の側面もあると考えています。それは様々なコンテンツにおいてよく日本人が言う言葉、「あの頃は良かった」。今から目を背け、否定し、懐古し、過去を賛美する、そんな日本への反旗の歌が「ディストピア・ジパング」なのだという考え方です。この考え方の根拠は裏付けるまでもありません。一度曲を聴いてもらえれば分かると思います。あるいはwikiなどで歌詞を読んでいただくだけで十分です。曲中で「口を開けば懐古する 賛美する」「昔は良かったとまだ夢を見たがる」「無責任に僕らより先に死にゆく彼らの言葉」と歌われています。これ、衰退論が囁かれるようになったここ数年のボカロ界隈にも当てはめられるなと思うんです。

そして、何もかもが新鮮で楽しかった当時とは違って、今の僕は場合によっては懐古する側になることもあります。もちろん「懐古 ≠ 悪」ですが、「懐古する際に今と比較して、今を卑下する」のは「だと言われうることなのではないかと思うのです。そういう大人たちの声を聴いた子どもたちは、将来に希望など抱けるでしょうか?きっとその子どもたちも今に焦がれ、数年後にはその「今だったもの」を崇高に考える、そうやって無限にループしていくものなのではなのかもしれません。

なぜこのタイミングなのか? (隙あらば自分語り)

今まで、ぐりーんのvocanoteでは2014〜15年頃の曲を4曲紹介してきました。最初のcosMo「R.I.Pゴシップの海」の中では衰退論をテーマにした雑談もしました。他にもnoteを書きたいと思っていた曲はいくつかあったのですが、リアルの都合もあって間が空いてしまった。そしてその間に色々なことがありました。こっから少し自分語り。

僕は自分の通う大学でボーカロイド同好会に所属し、副部長をやらせてもらっています。10月の間は秋新歓というものを行い、新たな仲間も増えました。正直、入部当時はお互いの好きな曲をオススメし合ってだるーっと過ごすだけの癒しの場に終始すると思っていたこの場所は、少なくとも僕が思っていたよりはずっと充実した場所になっていきました。

一方で、僕が掛け持ちしている軽音系サークルでもボカロPをやっている先輩が自分の曲が入ったコンピレーションCDが頒布されるという話を耳にします。そういった環境が「自分もミクさんと音楽をやってみたい」という願望を膨れ上がらせていきます。そして、ご存知の通りぐりーん家にミクさんをお迎えする運びとなりました。

ボカロの扱いや作曲について右も左も分からない僕は、まずは自分の大好きな曲をミクさんに歌ってもらうことに決めました。候補はいくつかあったけれど、最終的に僕が選んだ曲が「ディストピア・ジパング」です。決定打となった理由は4つ。

・本来ミクさんがボーカルではないこの曲を、衰退論が謳われながら10周年を迎えた今の「初音ミク」に歌ってもらいたいと思ったから。

・最初のvocanote以降、僕の中ではひとつの大きなテーマであった衰退論について僕なりの考え方を表明することで、ここまでの流れに一区切りをつけたいと考えたから。

・cosMoは、僕が初めてアルバムを聴いたプロデューサーであり、僕にとってはこの界隈での出発点たる人であったから。

・ボカロ衰退論についても、僕の生活についても、「今」に向き合って「未来」を見据えていくことが大切だと考えたから。

今回は下手すると反感を買うような、かなり極端な意見を書いたつもりです。でももし自身がボカロ Pになろうというのなら、表現者として自分の殻を破る必要があるという想いもあり、今回のvocanoteを書くに至ったわけなのです。

さて、このnoteを上げるのに前後して、打ち込んだ「ぐりーん家ミクさん」の「ディストピア・ジパング」の音源を公開しました。リンクも付けましたので音源の方もお願いします!

今後の予定

書きたいことは書きました。これでぐりーんのvocanoteは一区切り。

が!こう思う人もいるのかな、と思います。「お前コード分析どうしたんだよ!」と。結論からいうとどんだけ長くなるか見当がつかないのでここではやりませんでした。ごめん。

「ディストピア・ジパング」については恐らくもうひとつ、今度はコードとか演奏とかボーカルとかキーとかそういうアプローチからの記事を出す日が来ると思います。同じくらいの密度でもうひとつ記事書けるくらいには愛があるので。

もちろん先日書いた番外編の続編も書く予定はあります!この次からがぐりーんのvocanote、第二章のスタートというわけです。

そして、 Pとしての活動について。こちらも大学との兼ね合いもあるので急がず焦らず、とりあえず年度中、つまり3月末までに1曲オリジナル曲を作って発表するのを目標に頑張っていきたいと思います。ボカロリスナーの皆さんにも聴いてもらって、たくさんダメ出しを食らいたいと思っています(マゾじゃないよ、ハングリー精神だよ)。一歩一歩成長していきたいなと思っているのでその日が来たら是非お願いしますね。

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