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#7.格子の心臓【曲紹介・感想】

突然ですが、皆さんはジョハリの窓をご存知ですか??誰もが知っている「解放」された自分、自分しか知らない「秘密」の自分、自分では気付いてないけど他人の目には映っている「盲点」の自分、そして誰も知らない「未知」の自分。ジョハリの窓は、この4つの枠組みに自分の特徴を当てはめ、改めて自己分析することでコミュニケーションをより円滑にしようという考え方です。

君が見てるのは僕の知らない「僕」。

ということで曲感想のnoteはかなりお久しぶりです。ぐりーんです。今回取り上げるのはTOKOTOKO(西沢さんP)の「格子の心臓」。人の在り方はこのジョハリの窓のように区分されている、ということを直観的に表した秀逸なタイトルだと思います。

歌詞の中に登場する「僕」は、すべてが「開放」の僕じゃないし、だからといってすべてを内に秘めている「秘密」の僕でもないでしょう。果ては「未知」の僕の可能性さえ示唆されていることを誰もが気付けるような形で表現されているということを書いておかなければなりません。

誰もが気付けるような形にしてくれているのは歌詞ではないです。むしろ、この歌詞が難解で、何通りもの解釈を生みうるように作られています。つまりリスナーの一人一人にその答えは委ねられているんですね。

じゃあ何がこの曲のテーマを示しているのか。シンプルです。「主コメ」です。見てみましょう。

◾️TOKOTOKO(西沢さんP)です。ジョハリの窓的なね。
僕の知らない「僕」を君は知ってるらしい。

なんで最初に僕があんな話をしたのか一発でバレますね。主コメです。ここで、歌詞中ではぼんやりした「盲目」の自分の存在が示唆されると同時に、西沢さんP自身が「ジョハリの窓」を明確にテーマとして意識してることがわかります。タイトルからも推察出来るけれど、ここを読めば普段意識的に歌詞を読み解こうと思わなくても誰もが気付けるんです。

で、僕みたいにどっかで聞いたことあるな〜と、ジョハリの窓でググる人も少なからずいるんじゃないかなあ。

「僕」と「君」の関係を探る

この曲の歌詞解釈においては、4つの自分がどういう部分に垣間見えるのかを考えるよりも前に、もうひとつ問題があります。「君」って誰だって話です。こんな話最初のnoteでもしたなあ。

今回は大方考えられるのは二通りかと思います。

・「恋人」(かそれに準ずる存在)
もう一人の「自分」

どっちでも解釈はそれなりに通るんですよね。上を支持する説には大きな裏付けがあるわけではないんですが、まあ無難に考えればこうじゃないかっていうもの。ここでお話ししたいのは下の説。

まずは改めてPVを見てほしいです。四つに仕切られた窓が右上にありますね。その中の人型のシルエット、見ての通りGUMIちゃんと思わしき手前の女性に生き写しですね。

それからサビの歌詞。「それなりの言葉は渡してあげる」のところです。これについては特に内なる自己との対話と考えるのが一番妥当な気がします。こういった描写から(曲のテーマからしてかもですね)、カップルの葛藤より自分の知らない自分との対話の方が僕はしっくり来ます。ここは意見交換大募集です。

話をややこしくしないために先に言っておくと、ここからは「君」はもう一人の「自分」だという解釈のもとに話をしていきます。

「4つ」の自分は何処にいる?

僕は今回のnoteの冒頭で、

歌詞の中に登場する「僕」の心情は、すべてが「開放」の自分じゃないし、だからといってすべてを内に秘めている「秘密」の自分でもないでしょう。果ては「未知」の自分の可能性さえ示唆されていることを誰もが気付けるような形で表現されているということを書いておかなければなりません。

このように書きました。ただこれは僕が僕なりの答えを持って、どこにどんな自分が描写されていて、「未知の自分」がどこに示唆されているのかを分かってるわけではありません。もっといえば西沢さんP自身がそういう想定をしながら書いていたとも限りません。

ただ、それは当たり前といえば当たり前で、もしこの曲が自分の心内対話なのだとしたら、僕も君も歌詞に現れている心情は「開放」の自分のものか「秘密」の自分のものなんです。「盲目」の自分は他人からの視点や言葉なくしては見えないし、「未知」の自分は既知のものになった時点で「未知」の自分ではなくなってしまうので。

でも、この曲がジョハリの窓をテーマにしてることを明言する以上、「盲目」の自分、「未知」の自分がどこにいるかは分からずとも、「どこかに確かに存在する」ことだけは押さえておきたい部分じゃないかなと思います。

総括

抽象的、比喩的な表現の多いこの曲の歌詞は、深く考えずともそのフレーズフレーズが直感的に共感を呼ぶケースも多いと思います。でもそのとき、この曲を聴いた人たちがこの曲の根底には「ジョハリの窓」という考え方があることを知って、ついでにその窓に自分を映してみてください!そうするときっとこの楽曲がより楽しめるし、ふと自分を見つめ直す機会にもなると思います。

総括しちゃったけど音楽的な話を微塵もしてないじゃん!ってことでこの曲の音楽的に好きな部分を取り上げて締めさせていただきます!ぐりーんでした!

・イントロのエレキ。「上手い」というより「巧い」っていうのがこの部分みたいなのを言うのかなと。超絶技巧ではないけど、絶妙なエモさがある。

・最初のAメロに始まり、曲の随所でこれでもかと鳴るハイハット。これオフボで聴くと若干くどいんですけど、ボーカルが乗っていい感じになってるように思います。

サビ。特に歌メロ。少し主張を抑えたAメロBメロの流れもあって、静かなんだけど感情が漏れ出すような絶妙な雰囲気が出来上がってます。

サビのコード進行にちょこっと触れると、この曲は邦楽の王道進行に則ったサビ構成になってました。言われてみれば西沢さんの曲はJ-POP色が強いものが多い気もします。

あぁ嫌々。ここからは少し感情を感じる。ボカロのボーカルに感情うんぬん言うのもどうなんだろうと言う気もしますが、西沢さんPの気持ちの表現なのだと考えればアリな話でしょう。

ラスサビまでの流れ。2番Aメロ、間奏、Cメロ(2番Bメロ?)、また間奏と来てとても焦らされます。焦らされるなんて書いておいて、1番と全然違う流れだからとても新鮮な気持ちで聴けるのでむしろその流れがとても好きです。この曲に関していえば、下手に落ちサビを付けていないのも個人的には高評価。落ちサビ入れると多分くどかった。

いかがでしたでしょう〜!
これからは人に何か指摘されたときには「そんなことない!」と憤慨するんじゃなくて、「盲目の自分」に気付けたことを歓喜しましょう(?)

#vocaloid #vocanote #感想 #曲紹介 #ボーカロイド




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