映画のような夢を見た
「林!ちょっといいか?紹介したい奴がいるんだ」
昼飯を終えて片付けているところで、俺は同僚の仁科と相沢に呼び止められた。
二人はニヤリとしながらゆったり歩き、こちらへ向かってくる。
「どうした?」
俺が聞くと、仁科が自分の隣に手を差し出し、
「コイツ、三上っていうんだ。すごく良い奴だからさあ、今度飯でもいこうぜ」
その発言に目を見張った。
仁科の隣には、何もない。誰もいない。ただの景色だ。
遠くの方で大川部長が派遣社員の南さんと楽しそうに話しているのが見えているだけ。
「三上っていいます。林さん、よろしくお願いします!」
何もない場所から声が聞こえた。俺は驚愕し「何が起きてる!?」と叫びそうになったところで、隣にいた相沢から肩を抑えられた。
「お前の言いたいことは分かってるよ。でも、どうか言わないでおいてくれ」
耳打ちされても、そう簡単には受け入れられない。動揺が隠しきれなかった。
後日、仁科から飲みに誘われた。
相沢と、透明人間…いや、「三上」も一緒だ。
席はもちろん4席。だが、そのうち1席には誰もいない、ように見える。
皿に乗った唐揚げが、宙を舞って消えていく…。気味が悪い。
他の二人と三上は楽しそうに話しているが、俺は全然落ち着けなかった。
「林?黙りこくってどうした?いつもだったら3杯はとっくに空にしているところじゃないか。三上がいるから緊張してるのか?」
(緊張というか…怪奇現象を目の前にして落ち着いていられるか!)
とは言えず、「いや、そういうわけではないが…今日はあまり気分が良くないんだよ」と不貞腐れていると、
「林さん!大川部長から聞きました!困ったことがあったら林さんに聞けばなんでも解決するって!俺、林さんと仲良くなりたいです」
三上が俺の気分を上げようとお世辞を言ってきた。
顔も見えない相手にお世辞を言われてもなあ。
「コイツは大川部長のお気に入りだからな。まあ俺も何度か助けてもらったよ。三上も仲良くしておいた方がいいぜ」
「おい、やめろよ」
苦楽を共にしてきた同僚からそう言われると満更でもない。だんだん酔いも回ってきて透明人間とかどうでも良くなってきちゃったな。
3時間後にはすっかり打ち解けて、この三上っていうやつのことが大好きになっちまった。
帰り道、ふらふらの足取りでぼんやりと夜桜を見ながら三上に言った。
「三上!また飲みにいこう。今度はサシでもいいぜ」
「ちょっと飲みすぎだよ。歩ける?肩貸そうか」
その言葉でハッと目が覚めた。
肩?三上がどこにいるかも見えないのに?そうだ、こいつは透明なんだった。
「いや、大丈夫。一人で歩けるよ」
「林と三上が仲良くなって俺たちも嬉しいよ。じゃあな。いい夢見ろよお」
急にさっさと歩きだした俺を見て仁科は何かを察していたようだ。
その後も何度か4人でメシに行ったり、休日も一緒に過ごした。
三上は本当に良い奴だ。人一倍優しく、気が利いて、頼りがいがある。1歳年下だが兄貴のようだ。
ただ、三上が透明だという話は一切持ち出さなかった。
三上のことは信頼しているし、仲もいいが、「その話題」にならないように全員が気を張っていた。
また、三上は写真に写ることを相当嫌がった。記念写真はいつも三上が撮影役だ。
やはり三上本人も自分が周りに見えていないことに気が付いているのか?
三上と出会って2回目の夏が終わるころ、休日に4人でハンバーガーに食らいついていた時だ。
三上がコーラをごくりと飲み込み、言った。
「このあと服でも見に行こうよ。俺、秋服がなくて困ってるんだ」
宙に舞っているハンバーガーを見ながら、俺はどう返せばいいか考えていた。
この世界の全員が、三上の姿を見たことがない。
お前が服を着ているのかどうかなんて、誰にも見えていないんだ。
他の二人も俺と同じような表情だった。
そして俺は、ポケットから携帯電話を出し、三上にバレないように写真を撮った。
「救急車、最近多いねえ。俺あの音を聞くとちょっとだけ不安になっちゃうな」
三上は外を走っている救急車に気を取られ、シャッター音に気付いていないようだ。
そして写真を確認する。
飲みかけのコーラ、ハンバーガーを包んでいた包装紙、青色のソファ。
やっぱり誰も写っていない。
そして俺はついに切り出した。
「三上。ずっと言わないでおこうと思っていたんだが」
「服!このあと買いに行こう!秋服って毎年困るよな!俺もちょうど困ってたところだったんだ」
言いかけたところで一部始終を見ていた相沢が割り込んできた。俺はカッとなって、
「うるさい!俺が三上と話してる!三上聞いてくれ、俺は、お前のことを同僚として心から信頼している。お前は本当に良い奴だ。叶うならこれからもずっと仲良くしていたい。そんな三上だから正直に言うんだ。三上、しっかり聞いてくれよ」
「林、どうしたの?俺はちゃんと聞いてるよ…」
「俺…俺はな…実は、お前の姿を見たことがないんだ。お前がどういう顔をしているのか、背はどのくらいで、太っているのか、痩せているのか、何も分からない!これが証拠だ」
さっき撮影した写真を三上の方に向けた。
三上はしばらく黙っていた。俺は三上の返答が怖かったが、ほんの少しだけ心が軽くなったような気持ちにもなっていた。
そして、
「林、ありがとう。正直に言ってくれて。林からそんな言葉を聞けるなんて思いもしなかったな。最初は酒も喉を通らないくらい気分を悪くしていたのに」
三上が苦笑いをしている気がする。
「あの時はすまん。動揺していたんだ。でも今は、お前となら何日でも過ごしていられるよ。それは…なんとかならないのか?」
「どういうこと?」
「生まれた時からそうなのかと聞いているんだ。今後俺たちが三上の顔を見れる日は一度もやってこないのか?」
俺は一番聞きたかったことをやっと聞けた。三上の顔が見てみたい。三上は何も言わないが、実は困ってるんじゃないのか?
誰からも見えない孤独を、俺は受け止めてやりたい。
「ははは。元からではないさ。かわいい顔してるんだぜ、俺」
どこか諦めたような、弱々しい声で三上が言う。
「どうすればいい?俺たちはどうしたら三上の力になれるっていうんだ」
相沢が体を乗り出して食いついてきた。さっきまで俺をにらみつけていたくせに。
「どうすればいい?か…まあ方法は一つしかないんだが、到底叶いそうもないんだよな」
「なんだ?言ってみろ!」仁科も三上のことが大好きらしい。
「それは……俺を題材とした本が売れることだ。ただし、有名作家じゃだめだ。素人でなくてはならない」
俺はそれを聞くまで、三上のためなら何でもできると思っていた。本当にそう思っていたんだ。
だが、途端に自信をなくしてしまった。
「本…?素人ということは、俺たちで本を書けってのか?しかも売れなくてはいけない……」
「無理だろ?俺は別にこのままでも幸せだから大丈夫。こんな俺を理解してくれる友達が3人もいるんだからさ」
肩を落とす俺を見て、三上が励ましてくれている。
本なんて書いたことがない。そもそも、あまり読もうとも思わないんだ。
俺には文才もなければ、知識も教養もない。
俺がうだうだやっていると、仁科が立ち上がった。
「いや!俺はやるよ!やってみせるさ!三上のためだったらなんだって!」
「俺だってできるね!」続いて相沢も。
「林は三上のために頑張れないってのか?営業部長のお気に入りが情けねえな。まあ俺たちの方が少し早く三上と出会ってるからな。お前は想いが足らないかもな?」
仁科に煽られて腹が立った。
「うるせーな!やってやるよ!やればいいんだろ」
仁科と相沢に殴りかかる勢いで俺は叫んだ。
「じゃあ決まりだな。今から俺のうち来いよ。早速執筆作業にとりかかろうぜ」
仁科がニヤリとしながら出口へ向かう。
「みんな、ありがとう…。俺、本当にみんなのことが大好きだよ」
三上が震えた声で言った。
「あ、そういえば三上、お前の秋服は来年だな。どうせ今は何にも見えやしないんだから」
俺が言うと3人がハハハと笑った。
と、いうところで目が覚めた4月9日午前8時。
我ながらとても良い夢だった。まるで1本の映画だ。
4人は良い本を書けたのかな。
こんなに気持ちのいい朝は久しぶりだ。