阿吽のビーツ 歌詞考察

お久しぶりです。先月は更新できませんでした。





最近、特に代わり映えしない毎日でネタがなかったので、昔からずっと書きたいと思っていた歌詞考察を書いてみます!

著作権の問題を調べていくとかなりややこしく、よく理解できなかったので今までは諦めてたけど、歌詞を載せなければいいのかな?と思い付き、「歌詞を載せない歌詞考察」を少しずつ更新していきたいなと思っています。


歌詞掲載サイト、歌詞カード等で歌詞を確認しつつ、読んでみてください。(前にSCANDALのビターチョコレートを軽く書きましたが、あれよりもっと詳しく書いていきます)







今回は、「羽生まゐご」さんの「阿吽のビーツ」が好きすぎるので、勝手に歌詞考察していきます。




この考察はオリジナル動画コメ欄に書かれていた解釈を基に自分で細かいところを繋げたもので、羽生まゐごさんからの公式解釈ではないため、間違っている部分も大いにありますので、あしからず。


まずこの曲のテーマですが、私はこう解釈しました。

「自分が死ぬと分かっていても妻は子どもを産みたい。だけど夫は妻に生きていてほしい。」


何らかの理由で、妻は子どもを産む代わりに死んでしまうことが分かっていた。
でも妻は自分が死んでしまっても、それでも、母親としてお腹の子を産みたいと考えている。
優柔不断な夫は本当は妻に生きていてほしかったけど止められなかった。その後悔の歌。




大まかな解釈はこんな感じ。
歌詞の流れに沿って細かく書いていきます。








※「」は夫の言葉、『』は妻の言葉です。


若い夫婦が死別した。
周りの人(親、友人など)は夫のことを 酷い人 だと言って離れていく。
でも夫は妻を信じていた。だからその人達に言い返すのはやめた。


子どもはすくすくと育っていく。
正直、自分から妻を奪ったこの子がとても憎い。この子がいなければ…と考える日もある。
でも心から憎めない。愛しいと思う気持ちも同じくらいある。
父親としてこの子から愛されたい。憎まずに愛していたい。
夫としての自分と、父親としての自分とで気持ちを分かち合っていた。


『私、そんな貴方に同情するわ。貴方の気持ちも理解している。
でも、上手く行くはずよ。何も怖くない。
どんまいどんまい大丈夫。
きっとこの決断が貴方を笑顔にさせてくれるから。
だから、この子を受け取ってほしい。憎まないで、死なせないで、私の代わりに。』
そしたら、
「全部ちゃんとするから、僕のことも見ていてくれる?」


「貴方が僕に言ったことは誰のため?僕のことを考えてくれているの?」
「僕の考えは聞いてくれないの?決断をもう少し待ってほしい。」
『この子が産まれた時のために貴方に教えておかなければいけないことがあるの。』
「どうして?」
『この子が産まれたら曖昧な答えではダメよ。直してほしい。』
妻の決断に夫は泣くことしかできない。
そんな夫に妻の気持ちはどんどん離れていった。


夫は、筋の通った妻の意見に言い返せない。
でも妻が決めたことなら応援する、ついていくと決めた。
そう思ったことを後悔している。
上手く行くと夢に見ていた。
優しさを捨ててでも妻を引き留めるべきだった。
でもそうすれば妻は夫を憎むだろう。
別の人生を歩むことになったかもしれない。それが怖かった。


『貴方に譲ったこの子がすくすく育って、大人になって、
どれだけでも待つから、いつか天国で私に会わせてね。』
「僕は本当はこの子を捨ててでも貴方と共に生きていきたかった。
今から僕がそちらに行ってもいい。」(妻に会うために死んでもいい)


「貴方との時間はこれから始まろうとしていたのに」
若い夫婦にはこれからたくさんの可能性が残されていた。
『どんまいどんまい。
たとえ周りがそう思おうが、私達にとっては素晴らしい決断だったのよ。』
だから、妻から子どもを与えられて
母親のことを子どもに伝えるときも周りの言葉には流されず、「お母さんは貴方を大切に想っていた。だからいなくなったんだよ。正しい判断だった」と伝えればいい。言葉を選ぶ必要はない。
「それでも、貴方から直接『私が貴方のお母さんよ』とこの子に言ってほしかった。それをこの目で見たかった。3人で生きていくことが何よりの願いだった。」


これからだったのにと囁く周りの人々。(夫もそう思っている)
親や友人から、子どもが可哀想。この夫はなんて酷い人なんだ、と思われている。


『貴方やこの子がどう思われてもこの子には生きていてほしい』
「たとえこの子を失っても貴方と共に生きていきたい」
『貴方の気持ちは分かっている。それでも』


『貴方からこの子に私の考えや判断をしっかりと伝えてくださいね』










この曲のMVを見ると、挿絵では着物を着た女性の上半身だけが上から伸びており、着物を着た男性がその下にいます。
男性の手が中途半端に伸びていることから、天に昇っていく妻を引き留めたいけど優柔不断で引き留めきれない夫が表現されています。


また、MVの様々な場面で神社やお寺が実写で映ります。
夫である男性は、言葉では曖昧にしか伝えられなかったけど、1人でたくさんの神様に会いに行き、どうか妻を助けてほしいと願っていたのだと思います。









私の解釈は以上です。

共感できる部分はあったでしょうか。逆に「それは違う」と思われたでしょうか。



皆さまの意見をお気軽にコメント等で教えてください。




では、また!

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