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誰もが通る道

前に「分かれ道」というタイトルの記事を書いた。
これはその続きとも言えるかもしれない。
ステキな写真をありがとうございます。

後期が始まる、という記事も書いた。
あっという間に、試験も終わり成績も出した。
今年度は、対面授業ができ、試験も対面で、ピアノではみんなの前で弾く経験もできた。人前での演奏はレッスン5回分とも、10回分とも言われるぐらい効果があるものだ。
緊張する経験も、たくさんしておいた方が良いのだ。
meetの中で弾くのとも、ちょっと違うよね。

さて、ピアノの試験後の学生たちの振り返りシートに書かれていたことである。
「カウントを取って弾いていれば、最初まで戻らなくても、途中からでも弾き始められるとわかった」
「身体が揺れていたので、カウントを取って弾いているとわかった」
「テンポの取り方がすごいと思った」

なんとうれしい感想だろう。
これらは数えましょうキャンペーンに参加したからこそ、言えることなのだ。
自分がしていることだから、人がそうしていることを認識できるのだ。
自分が数えられていなければ、そもそもこれらには気づかない。
見えないところで何をしているかは、わからないのだ。

他にも、「同じ曲でも弾く人が違うと曲の感じも変わるとわかった」や、「自分がうまくなったと感じられる」とか、「音がきれい」とか、他の学生の演奏を見て「もっといろいろ弾いてみたくなった」などの感想もあった。素晴らしい。

これらは全部1年生の感想である。
最初は、音符も楽譜も、もちろんコードも読めなかった学生が多かったのだ。
一年間、本当によく頑張ったと思うのだ。

今回、練習の時はできていたのに本番が残念だった、と言う学生もいた。
一人ならちゃんと弾けるのに、と言う3年生もいる。
そう、その通り、これはよくあること。
これは、誰もが通る道、なのだ。

ただし、ちゃんとした練習をした人しか通れない道。

そして、ここへ続く。
今あなたが仕上げたと思っている曲は、現場で子供のために演奏しようとすると多分、ちょっと弾けなくなる。
弾けてた曲がちょっと弾けなくなる。

これはピアノを弾くか、ピアノ伴奏を弾くかの違いなのだ。
保育士さんとしては、ここからが本領発揮である。

ここからは経験することでたくさんのことを学べるはず。
その時に、あたふたしないための今、なのだ。
完成と思った曲は、まだ準備が完成したのであって、ここからが本当の意味での練習と言えるように思う。

楽しみだね。
ここまで来たんだよ。
私たちはこんなことを話せるようになった。

弾けるようになった曲がちょっと弾けなくなることを怖がらないでほしい。
一見弾けなくなるのだけれど、条件が違っているだけ。慣れると大丈夫。
それは、誰もが通る道。
誰かのためにピアノ伴奏する人が、みんな通る道。

もう少し先には伴奏する人だけが知ってる楽しさが待ってるよ。


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