★私のコロナ 回想記
これは、昨年夏にコロナに罹患した私の回想記です。
何かを指示したりアドヴァイスしたりするものではありません。
オミクロンの波が大きくなる中ではあるけれど、今頃感があるけれど、
やっとここで昨年の経験をお伝えできるような心持ちになった訳です。
歌う私が肺炎になるって、コロナって、
それぐらいのことだったのだな、と思います。
でも今は、お陰様で元気、そして歌えています。
だから書いてみようと思います。
2021年7月半ば、家に帰ると夫の顔が赤い。熱が39度近い。
これは。。。
すぐに別の部屋へ隔離し、保健所へ連絡。
次の日には陽性とわかり、私は濃厚接触者。
2日後の検査で、私は陰性。でも、からだがおかしい。なんかおかしい。
何しろ話すにしても、声が出しづらい。
夫が発熱する前まで、1つの家にいたのだから、
このあと陽性になるかもしれない。
それまでにできることを済ませておかないと。
市から、オキシメータが届く。夫は入院が決まり、車が来る。
私はリモートで、ある講座を4日間受けていたけれど、だんだん微熱やら、喉の違和感などが出てくる。もう、歌っても音程がおかしいし、声が震えちゃうし、まず歌う気力もない。オキシメータ、買おう。(あろうことか、夫が入院するのに持って行ってしまった。。。やっぱりもう判断力とかおかしい。)
夫は、あっという間に悪化してゆく。
そのうち、私も陽性確認。熱も上がり、身体が痛く、寝ても寝ても良くならない。というか、横になってるけれど、寝てるかどうかもよくわからない。
ここでたまらず、遠くに住んでいる娘に連絡。でもまだ、私の発症を夫には知らせられない。
そのうち、手がしびれてきて、感覚がおかしくなる。怖くなってきた。相談し、救急車を呼ぶ。ビニールテントがついたストレッチャーで救急車に乗る。
でも、病院へ行くことは許可されなかった。もう少し様子を見るように、と。
んー。。。肩がこってる感じがしてたんだった。とりあえずこれをなんとかしようとしてみた。横になりすぎてるし、食事も余り取れないので、いろんなことがいつもと違うのだろうけれど、それも思いつけないでいた。
次の日、私の入院が決まる。夫は大学病院への転院が決まる。後からきけば、なんとICUとエクモが準備されていたそうだ。ここからは夫の治療法を全て、帰ってきた娘が一人で確認することになる。
私は入院でき、安心できるかと思ったけれど、この入院も、発病すらまだ夫にも言えず、初日の夜はちょっと過呼吸を起こしてしまう。
私が過呼吸。。。?びっくりだ。
入院した日、病院の水がすごく甘かった。そしてお味噌汁は、激しくしょっぱかった。気の利いたサービスかと思った。他の味は特に大丈夫。冷たい氷水がやけにおいしい。パンは飲み込むのが難しい。でも私の場合、熱が下がって落ち着くとともに、この水とお味噌汁の味は、特にサービスではなかったとわかった。また、退院してしばらくはちょっといろいろの後味が苦かった。普通の風邪で熱を出したときのあの苦い感じ。でもこれも、二週間ほどで感じなくなった。
(あれだけの高熱が何日も出ていたのだから、からだとしても大分驚いただろうし、勝手が違っていたはず。他にも後遺症と言えるかどうかわからないようなことや、細かないろいろは気にし始めるとたくさん見つかる気がしてきた。自分の感覚に自信が持てない。心のエネルギーが下がっていたと思う。これをひっくり返せるぐらい、心にエネルギーが沸いてくるとやっと、そこで一段落。1つ、抜けた確信が持てた時だと思う。それでも私たちは6ヶ月経った今も、爪にストレスを感じてたらしき跡がある。それを発見したのも、つい最近のことだ。)
私も夫も、病院ではしっかり治療して戴いた。私の罹患と入院は、夫の熱が下がり、症状が落ち着いてから話した。私は15日も入院していた。退院は夫が一日早かった。お陰様で二人とも、今はとりあえず普通に生活できている。
夫はICUの一歩手前。厳しい覚悟の話も出ていたそうだ。これで中等症Ⅱ。
私は、酸素投与があって中等症Ⅰ。
でも幸い、私たちは医学的に重症ではない、のだ。
そして、私は発症から一ヶ月後ぐらいから抜け毛が始まる。夫も。
今までは、お風呂の排水口は月に2回の掃除でよかったのに、一週間も経たずに水が流れづらくなる。髪を洗うにも、ちょっと手ぐしで髪を直すにも、ほんとに悲しくなり、ドキドキした。
カツラを買った。5つも買った。
なんと通販で、とても安く、また返品がとても簡単に、無料でできるところがあった。
ちょっとだけ、楽しい気持ちがしたけれど。
これが、3ヶ月続いた。←これまた結構なストレスだったと思う。。。
ある日、え?抜けてない?というタイミングが来たのだ。
今も帽子代わりにカツラをかぶったりしている。
でも、仕方なくかぶるのと、
かぶりたくてかぶるのは全く心持ちが違う。
美容師さんもほんとに助けてくれた。
亜鉛、良いかもしれませんよ。とか、
新しい髪、産毛ですけど生えてきてますよ。とか、言ってくれた。
カツラも快くカットしてくれた。良い経験になる、と言ってくれた。
病気のことを話せる人が少なかったこともあり、本当にありがたかった。
病気は罹っただけで、心も傷つく。病院にいられる期間は本当に大変な、医療が必要である期間のみ、である。すっかり元通りのからだになって退院するわけではない。
でも、退院できるぐらいには元気になったわけだ。ここからは自力で戻さなくてはならない。後遺症らしきことが起こっても、まずは個人的に向かい合わねばならないことが多いように思う。
からだの数値が元に戻ったといっても、心の数値は計れもしない。でも心のエネルギーも貯まってこないと、罹患前の日常には戻れないように感じた。
私はまた、「からだってすごい」と心から思う。心もすごい。
生きてるから治るし、良くなってゆく。
本当にありがたい機能を持っているものだ。
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