「結婚の自由をすべての人に」九州訴訟判決@福岡高裁
12月13日、かねてから行われていた「結婚の自由をすべての人に 九州訴訟」の第二審となる、福岡高裁での審理の判決が言い渡されました。
この記事は、実際に現場に行き、終日参加した私の、参加レポートになります。
当日の流れ(判決まで)
朝9:50。寒空の下、六本松には200名を超える傍聴を待つ人々が長蛇の列を作っていました。すでに正門には報道陣がミチミチに集まっており、社会の注目度が極めて高い裁判であることを再認識しました。
10:20。傍聴抽選が始まりました。「ボタンをポチッと押す方、どなたかいかがですか」との裁判所側からの提案で、集まっていた市民の人々の中から一名が名乗り出て、エクセルの「抽選」ボタンをポチッと押していました。すこし和やかな雰囲気でした。200人の傍聴待機者から、70席程度の傍聴席を抽選します。ほとんど3倍...残念、私は抽選に落ちてしまいました。落涙。
10:30。入廷行動。原告の皆さんが列をなして入廷していきます。頑張れ!の声が聞こえてきます。前回、令和5年6月8日には雨が降っていたそうですが、きょうはカラッと冬晴れで(午後からすこし降りました)、朝の美しい陽が六本松に降り注いでいました。
11:00。判決言い渡し。法廷内で判決が言い渡されました。抽選に落ちた私は、同じく抽選に落ちた皆さんとともに、隣接する弁護士会館にて速報を待っていました。twitterをスワイプスワイプ!このツイートを発見し、
思わず「13条違反!」と叫んでしまいました。弁護士会館の会場にいる皆さんにも伝わり、大きな歓声と拍手が。後から聞いた話ですが、この時法廷内でも歓声と拍手が上がっていたようです。後述する記者会見終了後、弁護団の一人が「長く弁護士をしてきたが、法廷で拍手が上がったのは初めて見た。」とおっしゃっていたのが印象的でした。
11:30。旗出し。
判決
いちばん大事な部分
今回の判決の結論から述べると、
特に憲法13条に対する違憲判断は、わが国での各地で展開されている同性婚訴訟で初めての判断となります。よく考えたらきょうは12月13日。「13日の金曜日」ですから、何か悪いことでも起こらないといいが、なんて思っていましたが、結果は真逆。「13条」で違憲判決が出ました。うれしい。
判決について(憲法13条)
では、判決を見ながら、深く検討していきましょう。
全文はこちら↓から読めます!
https://www.call4.jp/file/pdf/202412/4012259b3b9dba36b31125ec947ea53a.pdf
まずは、憲法13条について。
すばらしいですね。おっしゃる通りです。ここで重要なのは、婚姻の本質を、たとえば「出産」に求めるとか、「生産性」に求めるとか、そういうことをまったくせずに、両当事者の共同生活の結合と言っているところでしょう。さらに、「人にとって重要かつ根源的な営み」とまで。人間は生産性や税控除のために結合するのではない、よってまっとうにすべての人間に追求されるべき幸福、ということですね。
ここで、いちど憲法13条を見直してみましょう。
憲法13条が明記するのは、まず、日本国憲法の三大原理のひとつ「個人の尊厳」があります。今回の判例でたびたび確認されるのがこの個人の尊厳です。ここでも、「互いに相手を伴侶とし、相互に尊属、卑属の関係のない対等な立場で、」とありますが、やはり両当事者の尊厳の存立があって、相互相補的に為される個人間の自由行為が「婚姻」であると述べているわけです。すなわち、現状でこうして同性婚が規定されていない現状は、それそのものがすでに「個人の尊厳」を侵犯している、と述べているのです。
順番が前後しますが、上の文章も引用しました。婚姻を規定する諸民法に先立つ憲法24条2項の存在は、「婚姻について法的な保護を受ける権利」を憲法上に明確にしています。
この条文を見てもわかる通り、憲法13条は明確にこの憲法24条2項に先立っています。憲法13条が保障する「個人の尊厳」に規定されるかたちでもって、憲法24条2項が存立しているわけです。このことからも、ある種憲法24条2項の問題は憲法13条の問題であるし、「婚姻について法的な保護を受ける権利」を「すべての者」が享受できないのは、その時点で憲法24条2項と憲法13条に反している、というのはごく自然な帰結です。個人間の自由行為としての婚姻は、それそのものを法が保障し、その権利をすべての人が享受できるべきで、それは「幸福追求」の権利であると。
ここで、「他者からの介入を受けない自由」=当事者個人(間)の婚姻の自由だけではなく、婚姻そのものの法による保障を認められ、その権利を享受する自由を要求しています。
この部分もかっこいいですね。「性的指向は、出生前又は人生の初期に決定されるものであって、 個々人が選択できるものではなく、」と言い切ってくれています。「セクシュアルマイノリティは精神病の類いであるから、治療すれば治る」。そういう言説を垂れ流す人もいる中で、この判決文はとても喜ばしいです。台湾の同性婚法制化の道のりを描いた映画『愛で家族に』の中で、このような言説に対して主人公のティエン・ミンとシャンが語った「生まれつきに決まっているだろう。」という言葉を思い出しました。
地裁判決とどう違うのか?(憲法13条)
ここで、改めて、昨年6月8日に出された福岡地裁判決を見てみましょう。ここでは、憲法13条については違反していない、然るに「合憲」の判断を下していました。
まず、「婚姻」の定義について、
としたうえで、
としています。先述した、今回の福岡高裁判決における婚姻と比較すると、婚姻の持つ事務的な手続き性にフォーカスが当てられています。しかし実際的なことを考えると、「私たち、身分関係を公証して公的な保護を得るために結婚しましょう」と思って婚姻を結ぶか、と言われれば、必ずしもそうであるとはいえないでしょう。「私たち、結婚しましょう」と述べるとき、すなわち婚姻の大目的はやはり両当事者間の「共同生活をするために結合し、新たな家族を創設すること」にこそ宿っていて、そうであるからこそ「人にとって重要かつ根源的な営みである」わけであるし、やはり今回の福岡高裁判決の解釈が市民的だろうと思います。互いが愛し合うからそこに結婚が生まれるのであって、制度とその利用が先立つわけではありませんよね。
福岡地裁判決では、先ほど引用した婚姻の定義をもとに、議論が進んでいきます。
このように記しています。婚姻を制度の目線から見つめたとき、婚姻について法的な保護を受ける権利を万人が享有していない状態は不利益である、としているわけですね。すなわち、セクシュアルマイノリティは人格的利益を侵害されている事態に至っていることを明白なものにしています。この点は大きく評価できますね。他方で、
と結んでしまっているのです。「当事者の意思のみによってその要件や効果を決定できるものではなく、」というのはすさまじい無力感を感じます。この条文と比較すると、今回の福岡高裁判決が「婚姻の成立及び維持のためには、他者からの介入を受けない自由が認められるだけでは足りず、婚姻が社会から法的な地位を認められ、婚姻に対し法的な保護が与えられることが不可欠」と述べて、個人の尊厳と幸福追求権の両輪で13条に違反しているという判断の画期的なことがわかります。
判決について(憲法14条1項)
憲法14条1項は、
とする、いわゆる「法の下の平等」を明記した条文です。今回の14条1項の違憲判決における評価できるポイントは、
この条文に尽きると思います。つまり、ここでは、いわゆる「婚姻もどき」、すなわち「現行の婚姻制度に同性婚を実装するのではなく、あくまでも異性婚と同性婚は別のものとする」ような言説に対して決定的に釘を刺しています。この点で極めて画期的です。この釘刺しがないと、立法段階で、たとえば現行のパートナーシップ制度に毛が生えた程度のものを「同性婚専用」のかたちで実装されてしまう危険があります。これは明確に差別であって、まさに「憲法14条1項違反の状態は解消されるものではない」かたちでの法制化になってしまいます。この段階で司法がこの見解を出せたのは、極めて重要であると思います。
判決について(憲法24条2項)
憲法24条2項が示すのは、婚姻の自由と平等です。今回の判決では、以下のように、
として、あくまでも憲法13条、14条1項が24条の存立の土台となっていて、先立っているという見解を示しました。その上で、その両者に違反しているというところで、24条2項についても同様に違反とするのは自明である、と解釈しています。
なお、今回の判決は、24条1項が示す、
「両性の合意」における「両性」の解釈について、
としました。すなわち「両性」が包含するのは男女異性間においてだけでなく、もっと広範な性を包含しうるものとして解釈しています。24条1項における「両性」の解釈は意見が分かれるところでありますが、他方で「両性」として解釈の余白を残した24条はすごい条文ですね。
いっぽうで、
として、24条の解釈の余白を肯定しつつも、他方で24条1項に反するものとまでは言えない、として、24条1項については違反せず、という判断をしています。
まとめ
今回の判決を総括すると、もはや司法における意志は完全に「違憲」の流れであり、残る問題は立法府における行動、ということに尽きるのかな、と思いました。うれしい判決が次々に出され、今回はついに13条違憲まで出され、石破氏も「世の中にLGBTの方々が相当数いる。同性婚が認められないことで不利益を受けているとすれば、救済する道を考えるべきだ」と発言。世の中は確実に変わり始めていて、様々な場所で様々な形のエンパワメントが起こっているのにもかかわらず、いまだに無風の永田町。このままでは、仮に最高裁で違憲判決が出てもなお、「引き続き動向を注視していく」などと談話を発表するのではないか、と不安になります。
その点で台湾が画期的なのは、最高裁判決から立法までの「猶予期間」を設けたところでしょう。2年以内の法改正を判決段階で要求したので、立法府はしかるべく迅速に対応せざるを得ず、一気通貫で合法化に舵を切ることができました。果たして日本でこれが可能でしょうか……司法段階から立法段階へのプロセスの橋渡しがうまくいかず、塩漬けになってしまわないよう祈るばかりです。同時に、我々国民はしかるべく国会議員を選出し、しかるべくプロテストし、しかるべくエンパワメントしていくべきでしょう。国民の多くが、同性婚の実現を望んでいます。
当日の流れ(判決後)
13:30。記者会見が行われました。原告団から一人ずつスピーチがあり、この場で、顔を出していない原告であるココさん、ミコさんによるメッセージが読み上げられました。全文引用します。
まさにその通りですよね。国会議員たちに強く言いたいです。愛に権利を!
記者会見は終始和やか、たびたびジョークや笑い声も飛び交い、原告の皆さんも安堵の表情で登壇されていました。
記者会見の後はお話し会が行われましたが、私はそちらには参加せず、退出しました。
おわりに
今回の判決で、九州での集団訴訟は終了となります。これまで長い間闘ってこられた原告団、弁護団、そして支援者のみなさんに、深い敬意を示すとともに、こうして歴史的瞬間を目の当たりにすることができてとてもうれしく思っております。そして何より、この判決は、鬼籍に入られた数多くの当事者のみなさんの上に成っているものです。場合によっては声すら上げることが許されなかった名もなき当事者のみなさんのことを胸に刻み込んでいたいと思います。
裁判の判決に立ち会うというのは初めての経験で、感動もひとしおです。他方で、まだまったく終わったわけではなく、見方によればまだ始まってすらないわけです。遅々として進まない立法府での法制化の議論。我々は指をくわえて見ているだけしかできないのでしょうか。司法はこれだけ変革しています。国会が変われないはずありません。法制化され、同性婚が完全に成されるまで、声を上げ続けないといけないと思いました。
おわり