親が高齢者になったなぁという話。
どうも、社会人二年目の橅(ぶな)です。
就職と共に実家を離れ、早くも1年と半年が経ちました。
親と会う時間は大幅に減り、互いに会うたび『(形容詞)だね~』なんて言葉を交わすことも日常になりました。
今日の感想は、三か月ぶりの帰省で親が『シニアなんだぁ…』と、現実を思い知らされたという記録です。
年の差親子
私は現在23歳。競馬で言うならテイエムオペラオーが死闘の末に、年間無敗を成し遂げた2000年有馬記念から数週間後が誕生日です。
その時母親は39歳、父は40を超えており、高齢出産というやつでした。
単純計算私の年齢+40が両親の年齢。
23歳の私から見て、今や二人とも60を超えてしまいました。
多感な頃の記憶や印象は引きずりやすいもので、未だに50ちょっとくらいなんじゃないかというイメージがあるのですが、波平さんより年長なんですよね。
大体の『シニア割』が効く!
世にいう法的な高齢者は大体65歳以上を指すようなのですが、60歳以上という時点でシニア扱いするサービスも結構ありますよね。
先日両親と私でファミレスに入った時、食べ放題の中に『60歳以上割』というのがあり、二人とも該当してしまった!
昔から大して見た目が変わっように見えない分、実年齢の実感だけが宙にフワフワ浮いたままです。
あと、旅行会社や鉄道会社が定める老夫婦向けのツアーパック(JRの「大人の休日俱楽部」的な)も加入条件に合致してるそうで。。。
あれって、杖着いた白髪とシルクハットの老夫婦が使うようなイメージだったんですけど、想像以上に60歳って近い場所にあったようです。
身体は正直
人がぼんやり眺めてるだけでは身体の変化に中々気付けるもんではなさそうで、時間は静かに確実に、大人の肉体をネガティブに蝕んでいました。
父は関節痛を、母は気管支系に慢性的なダメージを負っており、薬の常備が欠かせなくなっていました。怪我や病気ではなく、明確に衰えを見せつけられ、結構ショックでしたね。父は髪の毛の後退も著しい…
『年金』
この吐露noteを書くきっかけになったのは、父の書斎をなんとなく覗いたら「年金申請書類」と記された封筒が机に置いてあったことでした。
60歳をとうに過ぎ、定年まで月日が見えてくる年ごろなんだよな…という。
生まれてから父は「朝家を出て夜帰ってくる」という典型的なリーマンの生活習慣だった一方、最近は定年間近でリモートワーク・(なんでも押し付けられるタイプの)要職から外れたこともあって家にいる時間が増えたそうです。
接客や営業でもないので、一度PCをつけたらテキストや書類・データと静かににらめっこ。
そのおかげか『年金を頼りに静かに生きる老人像』が容易に想像できてしまい、何とも言えない気持ちになったんですよね。
元々テレビを見たり昼寝したりと静かに過ごすのが好きな父なので、運動とかキャンプとかは無縁なインドア人間。年金以外の稼ぎの道を辿るような性格でもないので、なんか、本当に、老人だなぁって。
書いてて尚更、寂しくなってしまいました(笑)
自分も大人になってしまった。
親が「大人」を超えて「高齢者」になるとき、私は(兄弟含め)「学生・子ども」から「大人」になってしまいました。
私は一人暮らしを始めたことで家事・独立の負担を思い知り、金の重さと将来の不安を感じ取り、考えるべきことのスケールが学生時代より数倍の規模になった実感があります。もちろん「親の今後」のことも___。
今後は大人として、大人を終えた高齢の両親を支える立場。
甘えられる時間が終わったこと侘しさをもう少し引きずりそうですが、今から返せることはちまちまやっていこうかと思う次第です。
以上、未熟な大人の卵、石田橅でした。