まどマギという作品について
魔法少女まどか☆マギカという作品をご存知ですか?
ぼくは魔法少女という概念がすごく好きで、その中でも特にまどマギは今でも何度も見返すくらい心に残っている作品です。
魔法少女まどか☆マギカについて話させてほしい。
はじめに、美術としての側面
ぼくはまどマギの美術が好きで、特に劇団イヌカレーさんの作風が好きです。
さよなら絶望先生で初めてイヌカレーさんの作風を見た時に衝撃が走ったし、美術を少なからず志していた自分の作品の根底にあったのはいつもイヌカレーさんだったような気がします。
魔女のバックストーリーやキャラクターデザイン、結界のコンセプトや設定など。
不気味な妖しさや異形は時に繊細な美しさを生み出すと思っていて、それに焦がれる感覚はガラージュというゲームでも抱いた感覚だったなと今思えば。
ガラージュ、今クラウドファンディングをやっておりますので、興味あれば是非。ぼくはヤンセットを支援しました。ガラージュの話も、また機会を設けて話したいなと思っております。
まどマギ後の魔法少女作品
魔法少女というものが出てくる作品において、「ダークな設定の魔法少女」というジャンルが確立したのは、明らかにまどマギの影響が大きいと思っています。
勇者であるシリーズや、魔法少女育成計画など、その後「ご都合主義ではない魔法少女」というものが出てきたことを鑑みると、やはりまどマギの影響は大きかったのかなあ、なんて…。その道のパイオニアというのはいつも吉と出るか凶と出るかわからないものですから、ここまで硬い地盤を形成できたのはやはり作品としてのレイヤーの厚み故なのかなと思います。
ちなみに蛇足ですが ぼくはどこまでも光の魔法少女も、闇を感じる魔法少女も、どちらも好きです。
他の魔法少女作品についてもいつか論じられたら良いですね。
カードキャプターさくらに東京ミュウミュウ、ぴちぴちピッチやしゅごキャラ、シュガシュガルーン、おジャ魔女どれみに怪盗セイント・テールふしぎ星のふたご姫魔法少女リリカルなのはかみちゃまかりんナースウィッチ小麦ちゃんマジカルてプリキュアパワパフセラムンマギレコなどなどなど……オススメの魔法少女作品ありましたら教えてください。
様々な形の「愛」
さて、魔法少女まどか☆マギカの本質の話をさせてください。
この作品の中で出てくる愛というものには様々な形があります。
佐倉杏子の家族愛、美樹さやかの報われない男女愛など、解釈は人それぞれありますが、ここではアガペーを鹿目まどか、エロースを暁美ほむらとして細かく見ていくことにします。
鹿目まどかは最終的に願いを叶える為に人間をやめてしまいました。言葉の例えではなく、事実上本物の博愛を持った女神として未来永劫概念になることを決意し、円環の理となります。
きっと人間をやめることはあの願いにおいて必然であって、(魔法少女のみに適応される部分的なものだという点は置いておいても)個ではなく全体を愛し救済し見返りを求めないという点では人間には到底無理な行いでしょう。
ただ、この願いを遂げる為にはどこまでもただひとりの女の子の犠牲が必然である。
アニメ版ではほむらもそれを「まどかの望みなら」と半ば押し切られる形で納得していた様な気がします。
ただ<叛逆>でそれは誤っていたと解釈する。(この辺りがいかにもエロースらしい自分に都合の良い解釈の仕方なのですが)
まどかは自分の寂しさを押し殺して神になったのだと、その犠牲は許されるものではないと、まどかを神の座から引きずり下ろしてしまいます。この辺り、太宰治の「駈込み訴え」をなんとなく想起させますね。
神に叛逆したという点でも、愛憎渦巻く大宰の描くユダに通じるものがあります。
あとはここはぼく個人の解釈なのですが、もしかしたらほむらはまどかの愛が自分のみに注がれないことが心のどこかで苦しかったのかもしれない。
ほむらの愛は、何百回も繰り返した末に残った「まどかの為だけの愛」。
まどかの愛は、全てに等しく注がれる「魔法少女全てに対する愛」。
この違いは明白で、自分がまどかの前でただのワンオブゼムなのが苦しかったのでは、など。
アガペーとエロースはどこまでも相容れない。愛のかたちが違うから。
ほむらにとっては「たったひとりの友達」でも、まどかにとっては沢山いる友達のうちの「最高の友達」だ、というところからも伺える、愛のかたちのすれ違いがありますね。
この作品、報われない愛が多いな。さやかしかり、杏子しかり。この作品だけで、エロースとアガペーについての論文が書ける気がする。
作品を考察するということ
教養があるとさらに楽しめる作品というものが世の中にはあって、それは様々な本が引用されるPSYCHO-PASSだったり、銀河鉄道の夜がベースにある輪るピングドラムだったりが挙げられるわけですが、
この魔法少女まどか☆マギカという作品もそのうちのひとつにはいるとぼくは思っています。
ひとつの作品で様々なものを感じ取り、考え、意見を交換して、また味わう。
そんなサイクルがぼくはだいすきで、まどマギを観る時はいつも寺山修司の詩を読み返しながら観てしまいます。
だからこの作品は、何度観ても美しいのかもしれない。
たくさんのひとと意見を交わして、その上で観たらまた違った色を見せてくれる。
やっぱり好きだなあ。何年経っても色褪せない作品だと思います。
このお正月休みに、貴方ももう一度まどマギを見ませんか。
ところで虚淵さん、前に出たコンセプトムービーの続きはどうなったんですかね?