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K-POPを受け入れられない理由をガチ考察してみた



書くきっかけ


周りの同年代はすっかりK-POPに夢中になっている。彼女らの会話を聞いているおかげで、まったく知らない私でもヨジャドル・マンネなど界隈の用語を知った。私は他界隈のアイドルヲタクをやっているため、他ヲタからよくけーぽどるを勧められることも多くなった。

しかし驚くことにどれも私の感性にヒットしない。というか受け付けない。魅力を感じない。というか嫌悪感を抱くレベル。ここまでくると周りが好きなものを好きじゃない自分が少し不安でもある。

なんでそこまで何も引っかからないのだろうか。この感情を回りに共有してみると意外に私の周りはK-POPが好きな人たちと同じぐらいK-POPの魅力が"わからない"という人も多い。そんな状況だからこそ今回あえて大K-POPブームの今に立ち向かい、受け入れられない人種の意見も書き記す。この文章を読んだ方の中には不快に思ったり、筆者の知識不足や偏見を感じることもあるかもしれない。ただ、今回は全編「※個人の感想です」という注釈があるものとしてみてもらいたい。

なぜ私がこんなにもけーぽを受け付けないのかの理由を今回以下の切り口にジャンル分けを行った。
・顔/ビジュアル
・パフォーマンス
・ファンの姿勢/界隈の感じ
まずビジュアルから説明しよう。

ビジュアル


まずビジュアルから。アイドルのビジュアルは彼らの1番のセールスポイントだ。正直いうと好きじゃない理由は

「好みでない」

でしかない。しかしさすがにこれでは幼稚すぎるのでもっと詳しく説明しよう。一度「ケーポップ」とブラウザで検索してみてほしい。おそらく人気の男女アイドルグループが全部出てくるのだが、

「見分けがつかない」

この言葉はおじさん、おばさんがいいそうなセリフだろう。そういう意味もあるのだが、個人的な一番の違和感は

「こんなにも同じような顔が集まっているのは変」

という点だ。他のアイドルグループでもそのグループや作り出す作品の雰囲気・コンセプトにビジュアルを統一することはある。しかし画像の彼らはコンセプトだけではなく、細部まで似ている。切れ長の目・流した丁寧に整えられた髪の毛・つんっとしている鼻先・うすいくちびる・青白い肌・骨格ウェーブの愛され体型。

このアイドルが受け入れられている世界ではこうしたビジュアルしか受け入れられないというような不安感も抱かせられる。

色々なビジュアルのすばらしさが彼らの前では一つの価値基準でしか判断されない悲しさを感じる。


パフォーマンス

曲・ダンス・演出などパフォーマンスはさまざまな要素が組み合わさって構成される。それぞれ言及していこう。
まず曲は電子音がどんどんというイメージ。(イメージレベルで話してしまい、申し訳ありません。)

あと多少の哀愁が感じられる歌が私は大好き。
個人的には楽しいけどどこか現実を見せてくれるような曲が好き。そんなkーpopは実際あるのかもしれない。(だれかあったら教えてください。)けれどもそれを読み取るにはやはり言語の壁が目の前に立ちはだかる。翻訳サイトなんてわざわざ見に行かないし。

歌中心のパフォーマンスが好みなので、最高難易度のダンス!!と言われても何がいいのかまったく理解できない。他のアイドルを見ていて思うのだが、あんなに激しいダンスをヘッドセットマイクでしといて生歌なわけがない。もっと息切れする呼吸が聞こえてこないとわりに合わない。絶対

「(ぜぇぇぇ、、、、、はあああぁぁぁぁ)」

みたいなのが聞こえてこないとダンスの運動量と発声で消費される酸素が相殺できない。生歌じゃないのはわかってる。けど、もっと腹の底からでたあなたの声が聴きたい。あなたがこのパフォーマンスで伝えたいエネルギーをあなたの持つ楽器から聞き取りたい。彼らからはとても難しいもののように画面の前で頭を抱える。その涼しげさが彼らのもつ”完璧さ”なのかもしれないが。




ファンの姿勢・界隈の感じ

曲じゃなくて数字を愛している。
日本のアイドルを対してみていないくせに十把一絡げにして、見下している。

所詮、ファンが優れているわけではない。

以上。


まとめ 

自分はアイドルおよび人の前に立つものに、その人が表現するメッセージをパフォーマンスから受け取りたい。またありのままの自分を受け入れてくれるエンタメが好きだし、アイドル自身がそうした環境でパフォーマンスできているのが好きだ。

彼らが見せてくれる空白を愛したい。ケーポップアイドルにはあまりにもそれがなさすぎる。その空白がないのは彼らがきらきらだけを見せてくれるからではない。いつかその空白が見れたときは私もけーぽファンになっているのだろうか。


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