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2024年末年始台湾旅3日目①

2024年12/30の日程

午前 保安堂

午後 塩埕第一公有零售市場 
   駁二芸術特区
   旗津エリア 

夜  三多商圏 忠考夜市
   苓雅市場/自強夜市
   中央公園

この日はよく歩いた
順を追って記していく。


まずは朝から保安堂へ向かう
保安堂へはmrtレッドラインで草衞駅で下車しYouBike(レンタルサイクル)で10分


簡単だが保安堂の説明をしようと思う
詳しくはリンクを貼っておくので読んでいただければと思います。

さてこの保安堂だが
先の大戦、大東亜戦争で亡くなられた軍人を祀っている。
乗員145名の哨戒艇(護衛艦)の蓬(よもぎ)
台湾の高雄からフィリピンのマニラまでの海路を主に輸送船を護衛していた。
蓬の艦長は高田又男さん
高田艦長を含む145名の乗員はアメリカの潜水艦の魚雷によって沈没し戦死した。

そして大戦が終わり当時、高雄は旗津(チーヂン)の紅毛港という漁村がありそこの村長が夢に軍人さんが現れたという。

その軍人さんが高田又男さんである。

高田さんは村長に指を差した方向に遺骨が眠っているので拾って欲しいと願い村長は沖に出て網をを仕掛ける。そして高田さんらしき人骨を拾い祀ったところ、その地域では大漁が続いたそうな…
そんなお話があったそうです。


高田又男さんの像
神様として祀られています

実際、バシー海峡はアメリカの潜水艦によってたくさんの輸送船、民間船、軍艦も撃沈し亡くなった方も多く船の墓場などと異名を持っています。

村長はそれ以来、紅毛港に保安堂(護国神社的なポジョン)を建て高田又男さんと乗員145名を手厚く祀り、現在は場所を鳳山区に移築しています。

ここで大切なのはこの保安堂に関する全ての管理や費用などは台湾人が行っていると言うことです。

本来であれば日本の戦没者なので日本が対応し管理するのが筋かと思われますが、時代が進み管理記録、遺骨の返納申請したところ管轄である厚生省はこれを拒否。
この話を聞いた時、日本はつくづく情けない国になってしまったと感じがっかりしました。

しかしこの話には続きがあります。

この先は保安堂で知ることができますので
高雄にお越しの際はぜひとも台湾に眠る日本の英霊達のお墓参りに来てください。

今回はここまでです。





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