(ざっくり翻訳) DJマガジンから「サンプリングの未来」
今日は音楽にまつわる記事のかなりざっくりした翻訳です。(注意: 翻訳の正確さについては原文へのリンクを参照してください。また翻訳中のリンクは原文からのリンクをそのまま掲載しており、リンク先の記事については本記事の翻訳の範囲を超えていますので、割愛しいます。)
過去の曲の一部は切り取り、新しい曲を作成する手法が一般化した昨今、特にDJ界隈でサンプリングの重要さに気づいていらっしゃない方は少ないでしょう。サンプリングという文化が定着した現在、果たして未来には何が待ち受けているのか? DJ、特にダンス音楽に興味のある方には気になるのではないでしょうか?
今回は記事全体の1/3程度です。反響があれば残りも翻訳したいと思います。
※ 本記事はチャル・レイブンズ(CHAL RAVENS)氏によって書かれ、2023年9月19日にオンライン上で発表されました。
この夏のサウンドは、チャート・インした音楽からレイブに使われる音楽まで、過去の夏を無限に映し出している合わせ鏡のようでした。リック・ジェームスのフリーク・ファンク、ATBのプラスチック的な響きを持っている曲、さらには必然的だったアクア(訳注: 映画「バービー」のヒットにより彼らの楽曲「Barbie Girl」が再評価された)からまるで略奪したような曲。先月、クールでアンダーグラウンドな週末のレイヴで「Barbie Girl」が4回も5回も間を繋ぐのに利用されるのを聞いた後、私は疑問に思わずにはいられませんでした。サンプリングという行為は今がピークなのだろうか、と?
気づいたのは私だけではなかったよう。 最近の話題として、音楽クリエイターの Skee Mask (スキー・マスク)は、「まだオムツを履いていた頃にラジオで聴いた曲なら何でも、テキトーに」編集してプレイするDJの数を嘆いた。aあるいは、VTSS が Gotye の「Somebody That I Used To Know」をハードテクノにアレンジしたことを言い訳するのに苦労しているのだが。普段は地味なポップ・ブートレッグを擁護するであろうアーティストたちも、この状況に満足しているらしい。
これは文化的危機なのか? それとも極端なサルベージコアの瞬間であり、より大きな地震が起こる前の最初の揺れである可能性は?
MPC(訳注: Akai社のサンプリング機械) が店頭に登場して以来 30 数年にわたり、サンプリングは音楽制作の中心的な柱であり、ヒップホップ、ブレイクビーツ、ハウス、ジャングル、そしてダンスの領域にわたる無数の「つぎはぎ」スタイルの発展に不可欠なものになった。
極端に辺境的なジャンルからトップ10に入るような曲に至るまで、今ではほとんど気づくことさえないほど、そのスタイルは何処にでも見られるようになった。そのことは恐らく「露骨に編集されている曲ばかり」の夏が常軌を逸しているように感じる理由の一つであろう。
あまりにも撒き餌のように使われて、あまりにも安易すぎて、スティーリー・ダンの曲をずっとかけていたら、途中でスリーコードのパンクに中断されたようなもの。(確かに、シンプルさが新鮮な場合もあるだろう。)
しかし、その文化自体は決して不変のものではない。デジタルテクノロジーは、かつては困難だったプロセスを加速し、コピーと所有をめぐる議論は差別化され、再定式化され、実際の記録はまるで宙の中に保存されているかのようになった。
私たちは人工知能の将来の衝撃に直面している。データセットは著作権で保護された作品を養分に変えて、大規模な言語モデルにより私たちが存在すら知らなかった音楽が明らかにされている。まさにその瞬間に、このレトロ・マニアックとでも呼ぶべきなリサイクルが突出して盛り上がっているのはおそらく偶然ではない。
今後ますますバーチャル化が進む世界では、曲は粉々に砕け散り、無限のリミックスの材料と化すのであろう。
テクノのユートピアでまるでクールエイド(訳注: スポーツ飲料)を飲んでいるかのように聞こえないようにこの話題について話すのは難しい。しかしカルチャーは変わりつつある。(笑い話でなく、アンダーグラウンドの音楽シーンは、極度に苦しんでいるときにのみにこんなことをやらかす。)
さて次に何が待ち構えているのか? ターンテーブルや MPC をもたらしたアナログの世界が徐々に蒸発してしまった以上、サンプリングも進化する必要があるだろう。
私が昨年 DJ Mag で調査したように(過去記事「どうやってポップな音楽がアンダーグラウンドの音となったのか」)、この変化が初期の状態であることを示す証拠は、ダンス ミュージックの現在進行形「ポップソングの盛り上がり」から検出できる。「テキトーな編集」はフェスティバルのセットでこれまで以上に多くのスペースを占めており、ソーシャルで共有するのに最適な準備が整っている。
「バービー」が大流行した夏の間中、アクアの曲「Barbie Girl」のサンプルが飛び交うように、適切なタイミングで適切なジョークを言うだけで済むこともあるだろう。「バービー」の夏には、「バービー」の季節柄登場しただけの海賊版や、時折このような良質な楽曲も相当数発生するような文化的瞬間だと言える。
しかし、サンプルマニアは実際のチャートでも同様に強烈で、トム トム クラブ(訳注: Latto "Big Energy")、リック ジェームス(訳注: Nicki Minaj "Super Freaky Girl")、グランドマスター フラッシュ(訳注: Coi Leray "Players")などのヒット曲の単純な再利用が散財しているが、2000年代と2010年代の有名なサンプルがチャートの大部分を占めている。 現在最も話題に上ることの多いラップシーンであるニューヨーク・ドリルの養分となっているのだ。
以上のことをまだ明確に感じられない場合は、新しい作曲の一部として、曲の数秒を使用したり、歌詞やメロディーを補間したりするなど、マクロ レベルでのサンプリングに焦点を当ててみればよい。本記事では、プロデューサーがビートや飾り的要素を構築するために使用する「一発だけの」ドラムヒットなど、その他のマイクロ・サンプルの種類については考慮していない。
メインストリームで歴史的なレベルの補間が行われている理由の 1 つは、「ソング マネージメント」会社の出現である。
ジェイソン・グリーンがピッチフォークで説明したように、この新しい種類の資産運用会社はアーティストの市場性よりも、個々の楽曲の長寿に賭けており、ヒプノシスのような企業はジェームス・ブラウンやプリンスのカタログに何百万ドルも投じて、そこから新たな価値を引き出すことを狙っている。 たとえば、Rick Astley の IP をラップ界のジョーカーとでも言うべき Yung Gravy のヒット曲に変えた例などが挙げられよう。
「今のHot 100は、マーベル・シネマティック・ユニバースと同じくらい再帰的かつ包括的で、新しいインプットをすることにまるでアレルギーがあるように感じられる」とグリーンは嘆く。
「しかし、MCU の場合と同じように、表面的なノスタルジーのパレードを消してしまえば、コーポレート企業の巨大なエンジンがその下でうなり声を上げているのが容易に聞こえます。」
EDM コーナーでは、シアラやファットボーイ・スリム、その他のミレニアル世代のヒット曲の最新情報で満たされたワークアウトに使えそうなプレイリストが山積みされている。業界関係者が「間抜けなダンス・ソング」と呼んでいるこれらの曲は、安心できる親しみやすいフォーマットによって誰でもすぐ目に入る電球のようである。
同じ戦術がペギー・グーのクロスオーバー曲「(It Goes Like) Nanana」でも機能している。ATBの「Til I Come」の有名なプラスチックのようなギターのプリセットを持ち上げて、瞬時に親しみやすさをもたらすことに成功している。しかし、これはなぜシュガベイブスとデッドマウ5がオルタナティブなダンスソングの領域に侵入し続けるのかを説明するものではなく、ビジネス上の理由であるはずがない。
電子音楽はかつてはネオファイルの夢だった。現在では、これまでの流れと対立するようなサブカルチャーを構築したいという衝動は、未来のテクノロジーの可能性を諦めて、代わりに現実逃避的な過去の再読(そして※1 クイアリング - 伝統的な考え方とは別の観点から見直すこと)を求めているようだ。
デ・ラ・ソウル "3-Feet High and Rising" (YouTubeのプレイリスト)
(ここから) その結果、ビースティ・ボーイズの"Paul’s Boutique"「ポールズ・ブティック」、デ・ラ・ソウルの"3 Feet High & Rising"「スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング」、パブリック・エネミーの"It Takes A Nation of Millions To Hold Us Back"「イット・テイクス・ア・ネイション・オブ・ミリオンズ・トゥ・ホールド・アス」など、80年代後半の一連のマキシマリスト・ヒップホップの傑作が誕生した。これらのレコードは技術的にも創造的であり、テキストとテキストの間に大いに意味があり、既存の文化の断片から新しい言語を構築していた。チャック D の言葉を借りれば、それらを作成した者たちは「メディアを ハイジャック」したのである。
それ以来、その時代は徹底的に概念化され、サンプリングはコラージュの一種、アーカイブ活動、記憶にアクセスする方法、または典型的なポストモダン芸術形式などと、様々に説明されている。
トリシア・ローズやグレッグ・テイトのような作家は、特に黒人の芸術形式、つまりテイトが映画『ラスト・エンジェル・オブ・ヒストリー』で構想したように、「すべての時代の黒人音楽をチップ上に崩壊させる」ことで、断絶した世代間のつながりを作るものであると定義した。
サンプリングはまた、作家性に関する支配的な考え方にも問題をもたらした。作品の意味は作者によって決定されるのではなく、観客によって常に再解釈されることを示したのである。これは、「作者の死去」を発表した有名なロラン・バルトのような脱構築主義の哲学者に続いて、80年代と90年代に大いに議論された概念である。
デトロイトのヒップホップ界のレジェンド、J・ディラについての本『ディラ・タイム』の著者であるダン・チャーナスは、サンプル文化の出現がアメリカの人口動態の変化と密接に関係していると考えている。ヒップホップは、20 世紀半ばに南部の州から北部の産業の中心地に数百万人のアフリカ系アメリカ人が移動した大移動の結果生まれた子供たちによって発明された。
「第二次世界大戦後、何百万もの黒人がジム・クロウから逃れてそこにいた人々と合流するために北へ向かいました」とチャーナスはニューヨークの拠点から説明する。
「あの人たちは自分たちの音楽を持ち込んできました。最初はジャズ、次にリズム&ブルース、そしてソウルです。」
これら移住労働者の子供や孫たちのために発展したのは「歴史のための一種の図書館文化」であり、ハーレムやブロンクスの子供たちは「この共通言語を楽しむ方法として」レコードを利用していた。
Qティップのような新興プロデューサーは両親のコレクションからロイ・エアーズやロニー・リストン・スミスを発掘し始めたが、これはヒップホップを(かつてテイトが書いたように)ある種の「祖先崇拝」に変えるような歴史化の過程である。
「それらのものを引用することで、音楽を作る完全な方法を作り出すことができるという考えは、音楽とは何か、音楽が何をすべきかについて、非常にニューヨーク的で、まさに大移住後の考え方です」とチャーナスは主張する。
ビースティ・ボーイズのサンプリングの元ネタが分かるYouTube (参考)
1991 年、未確認のサンプルをめぐる2つの悪名高い訴訟(訳注: リンク1と2を参照)が、ヒップホップのメディア乗っ取り時代の終わりを告げた。しかし、法学教授のトーマス・W・ジューが雑誌記事で指摘しているように、いかなる取り締まりも、ヒップホップやそれ以外の分野において、サンプリングが制作方法としていたるところで行われるのを止めることはできなかった。
家庭内での録画やファイル共有を禁止しようとした時と同様に、プロデューサーたちはルールを回避する独自の方法を見つけたのである。
ほとんどの人は、サンプルをライセンスしたり、偽装したり、または単にレコードをリリースして最高の結果になることを期待したりして、サンプルを使用し続けた。無法地帯と思われていた80年代であっても、ビースティ・ボーイズは「ポールズ・ブティック」の販売許可料として少なくとも20万ドルを支払ったと言われる。
彼らと対照的に、デ・ラ・ソウルがいくつかの未クリアのサンプルに賭けようと決めたとき、最終的には60年代のロックバンド、ザ・タートルズから数百万ドルの訴訟を起こされることになった。ジュー教授が強調するように、重要な原則が働いている。それは、逮捕された場合のみ違法となるということだ。
※1 クイアリング(queering) 自身の性的指向や性別のアイデンティーを表すこともある。
(大変興味深い記事ですが今回はここまでとさせていただきます。もし反響があればこの続きも要約したいと考えています。応援お願いします!)
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