汝、ミラ・ルプスを愛せよ

コミケ101にて頒布された、ハコネクト所属3期生ミラ・ルプスのファン(通称・民)たちによるアンソロジー本に寄稿した短編作品です。
2022年10月頃に書き、その年末に頒布されてから2年あまりが経過したので、作品データのバックアップも兼ねて公開してみることにしました。
5000字ちょっとの短い作品だと思っていたら、他の民に比べて圧倒的多くのページ数を占めてしまい、ちょっと申し訳なくなった記憶があります。
ご笑覧くだされば幸いです。


 今やミラ・ルプスの総人口は九億を超えている。
 街を歩けばミラ・ルプスに出会わぬ日はなかった。何しろ世界人口のおよそ十分の一がミラ・ルプスなのだ。もちろん地域によってミラ・ルプスの多寡に差はあったが、少ないところでさえ数十人に一人はミラ・ルプスであるから、日々誰しもがミラ・ルプスを目にした。
 あまりのミラ・ルプスの多さに気が滅入り、VR空間を一時離れる者も出た。ミラ・バカンスである。しかしあまりに一般化したVR空間での生活は、依存症などという呼び名で片付けられるものではなく、人々はすぐにミラ・バカンスに耐えきれなくなり元いたワールドへ戻っていった。リフレッシュを終えた目で見てみればミラ・ルプスはかわいいものであった。たとえ職場のオフィスにミラ・ルプスが十人居てもほとんどの人は気にも留めなかった。
 世界がミラ・ルプスで溢れる以前、人類は各々自分の姿を持っていた。自分の姿で出会い、別れ、恋をし、悩み、推し活をするのが普通であった。バラバラの個人がYoutubeのような配信プラットフォームに集い、TwitterのようなSNSで交流する。そんな「普通」は脆くも崩れ去った。

 きっかけとなった出来事は、最初さほど大きなニュースとはならなかった。安価で高性能な画期的VR機器の登場という平々凡々な出来事としてタイムラインを流れていたに過ぎない。
 ところが、時を同じくしてソフト面でも革命が起きた。安全で拡張性に優れた巨大VR空間が登場したのである。いや、それはもはや巨大というより無限であった。一時タイムラインを賑わせ、一つのネタとして消化されるに過ぎなかったお絵かきAIが、高性能3Dレンダリング技術と融合することで世界は無限の広がりを持つことになったのだ。
 これは最初に開発された時点ではベンチャー企業による小さなサービスに過ぎなかった。しかし、この先進性に目をつけたアメリカ大手企業がすぐに事業を買い取り、その資金力でもって盤石のインフラを整えた。こうして、世界人口すべてが同時に接続しても余裕を持って動く新世界が生まれたのである。
 AIにキーワードを伝えるだけで、誰もが思いのままに家を、街並みを、世界を作ることができる。そんな世界に最初に住み着いたのはVRChatの民であった。VRChatの世界を楽しみつつも、どこかかゆいところを感じていた住民たちはいっせいに新世界へと大移住を始めた。住民だけではない、既存のワールドは次々と新世界に移設されていった。
 彼らを皮切りに人々は新世界へと繰り出した。作品を共有することも互いに交流することも、この世界の中で完結するとあって、YoutubeやTwitterなどはあっという間に過去のものとなった。不明瞭な基準で行われるBANや言論統制、求められていない仕様変更にほとほとうんざりしていた人々が溜め込んでいた不満が、いかに大きかったかを示しているというものだろう。
 人々の生活スタイルはそれ以前と比べてがらりと変わり、スマートフォンを持っていない人でもVR機器は持っているというのが普通になった。彼らが新世界でとる姿はもっぱらVRChatで研鑽を積んだ者たちが制作したかわいいアバターであったが、やがてオーダーメイドのアバター制作を請け負う者が現れ、新世界への「転生」という一つの市場を形成した。
 ここでもう一つ事件が起きる。現実世界の機能不全である。疫病の感染拡大に歯止めがかからず、半ば諦めるような形で共存を受け入れようとしていた人類に対して、疫病は容赦がなかった。さらなる毒性を持つ変異型の登場により、仕事も学校もVR空間への移動を余儀なくされた。これにより、何かと対面での交流を重視する頭の固い中年層や、しぶとくガラケーを使っていた老人たちにまでもVR機器が普及した。彼らの姿は一様にニンテンドーのMiiのパクりと揶揄されるデフォルトアバターであった。

 さて、新世界の登場により困ったのはYoutubeなどの動画配信プラットフォームを主戦場としていたVtuberたちである。何しろ自分の身体は2D。これは動画配信を行うには3Dよりもむしろ魅力的でさえあったが、VR空間で存在するのに向かないのは仕方のないことであった。
 まず大手のVtuberたちがいち早く新世界に順応した。もともと3Dの身体を用意していた彼らが新世界でするべきことは、VR空間に適したコンテンツ提供の方法を考える、ただこれだけであった。ある者は現実さながらの会場で音楽ライヴを開催したが、観客のアバターを縮小したり宙に浮かせたりといった現実では不可能な方法を用いることで、一つの会場に数百万人を動員することに成功した。旧来の動画配信も続けられたが、リスナーがそれを楽しむ場所は新世界の中に設けた自分の部屋であった。
 大手Vtuberに続いたのは個人勢だ。軽いフットワークで3Dモデルを準備した彼らは、しがらみのない立場を利用して新世界の住人たちと交流を深めて人気を博した。握手会やサイン会のような単純な交流はもちろんのこと、連日連夜どこかで参加型のゲーム大会が催された。
 大手Vtuberや個人勢が大小さまざまなVtuber活動の方法論を構築した後、多くのVtuberが3Dの身体を手に入れてその道をなぞった。
 ミラ・ルプスもその中に含まれていた。この時点ではミラ・ルプスも多くのVtuberのうちの一人だったのである。
 彼女を他のVtuberと決定的に分けたのは一つの企画であった。
 その名を「ミラちゃん選手権」と言う。

 ミラちゃん選手権の主旨はこうだ。もっとも良くミラ・ルプスとして振る舞える者を決めよう。
 これはもともと、Youtube時代のミラ・ルプスが配信中に述べた「ミラは民で、民はミラ」という一つの胡乱な言葉に端を発する雑談ネタに過ぎなかった。ミラ・ルプスとして振る舞おうにも、リスナーたちはミラ・ルプスの姿をとれるわけでもなく、ミラ・ルプスの声も出せない。まして配信環境もないのだから、当然優勝はミラ・ルプスであった。ミラ・ルプスは「最強ミラ」の称号をほしいままにしていた。
 新世界のミラちゃん選手権では、誰もが使えるミラ・ルプスのアバターが用意された。この日リスナーはミラちゃんになり、しかし多くはおっさんのような声で必死にミラちゃんを演じた。部屋に満員のミラ・ルプスが姿と声のギャップに笑い合う、奇妙で平和な企画となった。優勝はやはりミラ・ルプスであった。
 しかし話はこれで終わらなかった。優勝したことでミラ・ルプスは少し油断したのであろう。ミラ・ルプスのアバターの使用権限がその日のうちに撤回されなかったのだ。
 引き続きミラ・ルプスの姿を取れることがわかり、ミラちゃん選手権が開催されたその日の深夜、リスナーたちによるミラちゃん選手権後夜祭が勝手に始まった。ミラちゃんの姿で数秒の動画クリップを撮って共有する楽しさに、リスナーたちは歓喜した。ミラ・ルプス本人が優勝の余韻に浸りながら気持ちよく熟睡している間の出来事である。
 ミラちゃん選手権後夜祭が内輪の楽しみで済んでいれば、新世界の景色は今とは違ったものになっていたであろう。だが、そうはならなかった。大いに盛り上がったミラちゃん選手権後夜祭はミラ・ルプスリスナーの垣根を越え、全世界にミーム的に広がっていったのだ。
 ネタがネタを呼ぶ一種の熱狂状態の中で、日本語を喋るミラ・ルプス、英語を喋るミラ・ルプス、どこかカタコトのミラ・ルプスはもちろんのこと、中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スワヒリ語、ンデベレ語のミラまで現れた。
 大量に投稿される動画クリップの中には、ボイスチェンジャーを使って完全にミラ・ルプスの声帯を再現したものまでもが含まれていた。新世界ではバ美肉需要も急激に増していたから、高性能なボイスチェンジャーが生まれるのも当然の流れであった。あまりにも高性能すぎて、第三者が作った作品だというのに、そこに映っているのは完全にミラ・ルプスそのものであった。
 ここである者が疑問を投げかけた。姿がミラ・ルプスであり、声もミラ・ルプスであるならば、これはミラ・ルプスと言えるのかどうか。旧来のリスナーは皆、ミラ・ルプス本人こそがミラ・ルプスであるという見解だったが、ミラちゃん選手権後夜祭をきっかけにミラ・ルプスに出会った者にとっては、それが本人であるかどうかはあまり重要なことではなかった。世界中の人類がかわいいミラちゃんになれる喜びに酔いしれた。動画クリップを撮影した後、一部はそのままミラ・ルプスの姿で生活を始めた。この時点のミラ・ルプスはまだ数百人程度であったとされている。
 朝、ほとんど昼になりかけている時間にミラ・ルプス本人が起床した。彼女はミーム化していることを一瞬喜んだが、すぐに事態の深刻さを理解した。このままではミラ・ルプスがミラ・ルプス本人だけのものではなくなってしまう。ミラちゃん選手権翌日の正午ごろ、ようやくミラ・ルプスアバターの使用権限が停止された。これでミラ・ルプスの増殖は止まるかと思われた。
 夜、ミラ・ルプスの動画クリップは数十万に達し、ミラ・ルプスは千人規模にまで増えていた。用意周到なミラ・ルプスはアバターのバックアップを取っており、新たにミラ・ルプスになりたがる者へ配布を始めていた。
 それからミラ・ルプスの人口が爆発するまでにさほど時間はかからなかった。無数にいるミラ・ルプスのうち、どれがミラ・ルプス本人なのか、誰にもわからなくなっていった。投稿されたものがミラ・ルプス本人のものか、そうでないかの真贋を判断する専門家が現れ、ミラ・ルプスの名と、言語データベースを意味するコーパスをもじってミラ・ルーパスと呼ばれた。
 しかし巧妙にミラ・ルーパスを騙し、真のミラ・ルプスを名乗る者が何人も現れた。過去の配信のアーカイブを完璧なまでに履修し、喋り方や物事の判断基準、酒を飲んで寝落ちする様子に至るまでミラ・ルプスをトレースしているものだから、実際それはミラ・ルプスであった。
 ミラ・ルプスの数が数万に達する頃、ミラ・ルーパスによる敗北宣言が行われた。
 もう誰にもミラ・ルプス本人を見分けることはできない。
 こうして我々はミラ・ルプスを失ったのだ。

 ミラ・ルプスの活動終了を告げる動画は数十ある。そのうちのどれがミラ・ルプス本人によるものなのか、それともミラ・ルプス本人によるものなど一つも含まれていないのか、誰一人として答えることはできない。
 今も真なるミラ・ルプスが残した動画アーカイブは残っている。ミラ・ルプスたちはそれを聖典の如く扱い、敬虔なミラ・ルプスたちはより純粋にミラ・ルプスたらんとアーカイブを視聴してミラ・ルプスを学ぶのだ。活動終了の動画を聖典に含めるかどうかは議論の的であったが、聖典とは区切った「別れの章」として扱うのが一般的である。
 別れの章の動画群が公開された日は別れの日と呼ばれ、ミラ・ルプスたちの記念日とされた。この日を境にミラ・ルプスは個人ではなく、属性となった。毎年別れの日になると、ミラ・ルプスたちは真なるミラ・ルプスを想い、悲しさと愛しさがないまぜになった感情に身を任せ、彼女が残したオリジナルソング「さぼラップ」を歌い、踊った。
 聖典は有識者のミラ・ルプスにより内容ごとに分類・整理されていった。ほとんどの新参のミラ・ルプスたちはこの内容順に聖典を学んだ。これはちょうどイスラームの聖典クルアーンなどとよく似ている。クルアーンも内容順に並べられ各章に番号が振られているが、預言者ムハンマドが神から言葉を受け取った時系列順には並んでいない。時系列を意識するのはよほど熱心な信者である。これはミラ・ルプスにも同じことが言え、熱心なミラ・ルプスは必ず一度はアーカイブをデビューから時系列順に視聴するのだ。
 もっとも重要とされるアーカイブが二つある。
 一つはデビュー配信で、これは新たにミラ・ルプスとなった者が最初に学ぶものである。現在およそ九億いるミラ・ルプスが日々繰り返し再生するものだから、アーカイブの視聴回数は数兆にも上っている。
 もう一つは神託である。「ミラは民で、民はミラ」という言葉は、ミラ・ルプスたちがミラ・ルプスであって良いと信じられる拠り所なのだ。誰もがかわいいミラちゃんになることができ、それは真なるミラ・ルプスにより許されている。人類へ等しく与えられた救済であった。

 今、ミラ・ルプスの総人口は九億を超えている。これからもますます増えるであろう。
 プロゲーマーのミラ、全世界デビューを果たす歌い手ミラ、日本の都道府県を完璧に答えるミラ、いろいろなミラが生まれた。ミラ・ルプスによるミラ・ルプスの供給は無限と言って良いほどになった。ある日を例にとってみれば、ミラ・ルプスの配信やイベントは一日に数千は催されていた。
 しかし敬虔なミラ・ルプスは思わずにいられない。自分も原初の時代、真なるミラ・ルプスを見ることができる民であったならば、と。
 数え切れないほど多くいるミラ・ルプスの中には、真なるミラ・ルプスよりも優れた者が大勢いたが、真にミラ・ルプスであるのは聖典で見られる一人の狼の少女だけなのだ。
 そのすべてをリアタイでき、あるいは新鮮なうちにアーカイブで視聴して、チャットやコメントを通じて配信を盛り上げることに貢献し、時にはSNSでミラ・ルプスと交流することさえできる、その幸せは如何ばかりか。その愛の深さはどれほどのものであったか。
 ある高名なミラ・ルプスは教える。
 民が愛したようにミラ・ルプスを愛せよと。
 他者《ミラ・ルプス》を愛することが、即ち自身の幸せになるのだと。

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