神社で頂いた言葉
昔は神社仏閣には、たくさんの念が落ちているようで苦手で、年始にしか行ったことがありませんでした。
岡山に一時的に住んだ時に、友人の勧めでサムハラ神社に行って氣/エネルギーの流れを感じたり、知り合った方が毎月行くお参りに連れて行っていただくうちに心身が軽くなる体験をしたりして、なんて有難い場なんだ!と180度変わりました。
静岡に帰ってから近所の神社に行った時一歩一歩近づきながら、心の中で話しかけました。(今日は心のモヤモヤを払いたくて来ました…)と。すると
「門の前でそのモヤモヤを払ってから来なさい。ここはそれを吐き出す場ではありません。」とお𠮟りを感じました。
そこで私は正直に(この10年、気づけばいつも突然ご家族を亡くした方々に会ってきました。知り合う方々がたまたまそう決めた方だったのか、それは通常/普通より痛々しく感じるのですがこれは私の運命なのですか?)と。
「通常とか普通などという生も死もありません。大きな誤解をしているようです。
わたしたちがあなたにしていただきたいことは、ただすでに在る一人ひとりを励まし慈しむ(目に見えない)心の存在が、こんなにそこかしこに傍にいる、ということを伝えたらそれでいいのです。
亡き人のみにとらわれず、わたしたちという、宇宙の中での意識として伝えなさい。全ての音の中に、光の中に含まれるそれ/愛を、あなたが訳して、ただ伝えたらいいのです。」2021
また知人のご家族が突然亡くなった…もしや私と出会ったから?それともこうなることもお伝えすることも初めから決まっていた…?等と、実は慄いた気持ちで向かいました。
でも、かつて、念が落ちているから嫌だな…と思っていたのに、私も同じように神社に置きに行こうとしていたことに気づきました。
突然…まさかの逝去によって失ったように思えたその方々が、生前よりうんと身近なところにいて、私達を見てくれていることがよくあります。
人と出会う理由を知り、意味づけることより、そのおかげで拡がる(見えない方々のそれも含めた)愛の想いに素直に生きたいなぁと思います。