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心が汚い

皆さんは他人の会話を聞いて空虚だなぁと思うことがあるだろうか。

自分の場合は会話をしていて急に周囲の人に対して「演技ばかりしてて人生が退屈そうだな」と思った時にそれがある。

もともと醒めている方とはいえ普段は会話は会話として楽しめているのに、偶に何の前触れもなく会話を空虚なものと感じ始めるのだ。
実に酷い話である。直前まで一緒に盛り上がっていたのに突然周りを疑い、時に馬鹿にさえしてしまうのだから。我ながら怖い奴だしやばい奴だ。

「彼らは何が楽しくて笑ってるんだろう」
「自分はなんでこんな役を演じていたのだろう」
「あいつ絶対違うこと思ってるのにあんなこと言ってる」
「なんでみんなはこんな空気に耐えられるのだろう」
とかいろんなことを思い始め、自分だけが素面なのに自分だけが間違ってるような気分になる。催眠状態から1人だけ解放された主人公の気分だ。

自分が道化か何かのように思えてきて虚しくなると、もう素面で会話に戻ることはできない。笑顔の仮面を被りながらひたすら疎外感の中で相槌を打ち、振られた話題をうまく返すことだけを考える羽目になるだろう。


シェイクスピアが“人生は舞台”と言ったが、会話はまさにこれだと思う。

会話に参加している人たちは“発言”という名前の台詞を与えられた役者であると同時に他の役者達の掛け合いを見る観客でもあるのだ。
彼らは役者でありながら観客と同じように場の空気に呑まれることで自分たちが劇中にいるような印象を受けて更に自分の役への意識を深める。

心の汚れた人間はそんな舞台の空気に耐えることができずにいつしか冷めた目で周囲を見るようになり、笑顔の仮面で虚しさと孤独に耐えるのだ。

私は世界に馴染めない愚か者で、仮面の下では混沌を望むクソ野郎である。