地域から始まる高齢者口腔ケアの変革:ボトムアップ型アプローチの効果
はじめに
約30年前に歯科衛生士として行政に入職した当時、歯科衛生士の認知度は非常に低く、地域で何をすべきか全く手探りの状態でした。
『技工士さん?歯医者さんの助手の人?』といった反応が多く、役割を理解されることは稀でした。
1.現場での挑戦
私はまず地域のニーズを把握するため、子どもから高齢者、障害のある方々が利用する全ての施設を訪問することにしました。
自分で一つ一つアポイントを取り、現場を見学させていただきました。
施設の担当者と直接話をし、現状を確認した上で、歯科衛生士として必要だと感じたことを提案しました。
このような活動は、前職の営業経験が大いに役立ちました。
自ら現場を歩き、直接コミュニケーションを取ることで、施設ごとのニーズを把握し、それに応じた支援を提供するというボトムアップ型のアプローチが、地域での効果的な歯科保健活動の基盤となりました。
2.高齢者施設の現状
高齢者施設を訪問した際、認知症が進行している多くの利用者が通う施設での出来事です。
昼ご飯の後、利用者と指導員が洗面所に向かい、口腔ケアが行われました。
しかし、そこで見たケア方法は、入れ歯を入れたまま大量の歯磨き粉をつけ、指導員が利用者の歯を磨いてあげるというものでした。
この現実を目の当たりにし、私は歯科衛生士としての使命を強く感じました。
口腔ケアは単に清潔を保つだけでなく、利用者の健康維持や生活の質を大きく左右します。
この施設で私ができることは、利用者と指導員がそれぞれの役割を持ち、家庭や歯科医療機関と連携しながら、利用者が健康に生活を続けられるよう支援することだと気づきました。
施設、家庭、そして関わる人々の連携が体制づくりには重要だと感じました。
3.ボトムアップ型のアプローチ
私が行ったボトムアップ型アプローチでは、まず私が実際に口腔ケアを行って見せ、その後、利用者や施設職員が自分で実践できるように支援しました。
このアプローチの目標は、施設、家庭、歯科医療機関、行政機関と連携して利用者の健康維持を図ることでした。
毎週訪問して、昼食後に利用者の口腔ケアや入れ歯清掃を行いました。
特に、入れ歯は長い間清掃されていない状態で汚れが多く、誤嚥性肺炎のリスクが高まっていました。
また、入れ歯を歯みがき粉で磨くと小さな傷ができてしまうので、食器用洗剤で丁寧に清掃しました。
口腔ケアについては、初めは私が中心となって行いましたが、次第に利用者自身にもできる部分を手伝ってもらい、手を添える形でサポートしました。
また、指導員にも関わってもらい、口腔ケアの方法を伝えました。
この活動を歯科医師にも報告し、必要に応じて訪問歯科診療や介護タクシーの利用、スロープ整備など通院にも協力していただきました。
また、ケース報告を毎回行い、施設職員と情報を共有し、家庭にもフィールドバックしました。
1年以上継続した結果、施設では次のような変化が見られました。
指導員が口腔ケアに積極的に関わるようになり、利用者をサポートするようになった。
指導員が家庭と口腔ケアに関する情報を共有し、連携体制が強化された。
指導員が食べ方等気になることがあると私に相談が入り適切な対応が可能となった。
利用者の僅かな変化に指導員が気づくようになり、入れ歯の不具合や歯肉の出血などにも迅速に対応できるようになった。
利用者の口臭が減少し、食欲が増進、微熱も減少した。
口腔ケアのちらしやポスター、歯みがきカレンダーを活用した啓発活動が進んだ。
レクリエーションに口腔機能の向上を図る取り組みを導入した。
結論
ボトムアップ型アプローチによって、利用者の健康状態が改善し、限られた社会資源を有効に活用することで多くの成果が得られました。
毎日施設に通えない中でも、現場での必要な取り組みが行われることで、利用者の健康維持や疾病予防に大きく貢献し、生活質を高めることができたのではないかと思います。
結果として、指導員や家庭が主体的に口腔ケアに取り組むようになり、口臭の減少や誤嚥性肺炎のリスク軽減、食欲の増進などが見られ、健康促進が図られました。
現場での小さな取り組みが、大きな成果を生むことを実感しています。
現場から作り上げる活動が定着し、トップダウンでは得られない身近で継続的な健康の維持・増進が図られることが分かりました。
これらの活動を通じて、利用者一人ひとりがその人らしく健康に生活できるよう支援することができたのです。
この活動はその後施設、歯科医療機関(歯科医師会)、家庭、行政機関による連携体制が整備され、主体的かつ継続的な活動として定着しました。
初めはたったひとりでも、事業の体制づくり等の行政の仕事ができました。
しかし、それは地域住民の一人ひとりの力無しでは決して成し得ないことでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
私が目指しているのは孤立のない共生社会の実現です。