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育児休暇中の専業主婦が感じた葛藤-自己実現のために居場所が必要だった話

私の出した結論は、
「仕事の方が楽だ」
ということになりました。

次女の育児休暇中の話で20年以上も前の話になります。

長女の時は2ヶ月だけ、次女の時に1歳になるまで育児休暇を取りました。

育児休暇の苦しみは、今思い出しても胸がぎゅーっとなります。

孤独と取り残された感覚、そして自分という存在が消え去り、居場所を失ってしまう。

終わりのない家事は、やる必要はないが、目に入るとついやってしまう、そんな焦燥感があります。

子どもの世話と家事、炊事、洗濯、子どもの病院、子どもの幼稚園の送り迎えだけの日々。

午前中は長女を幼稚園に送っていくと、あとは、次女といつもの散歩道をベビーカーに乗せて約1時間は歩く。

その後、またいつもの家事、炊事、洗濯。
そして次の日。また次の日も。
そして、いつも背中にはおんぶ紐でイナバウワーをして寝てる次女。

それでも、時々幼稚園のママ友が家に遊びに来ることがありました。
そして、ママ友の家に招いてももらいました。

専業主婦のママ友の家ではとても衝撃を受けました。

昼ごはんを作ってくれていて、クリームシチューだったが、ホワイトソースから手作りだったのです。
いつも我が家で食べているインスタントの味がしない。
このような贅沢な時間を過ごすこともできるのだ。

そうか。手作りをする時間はあるか。
ママ友に作り方を教えてもらって、家でホワイトソースから作るようになった。
最初はダマダマになって失敗したが、だいぶ上手になっていった。

そして、当たり前のようにインスタントを使わなくなって、カレーも手作りするようになった。

しかし、子どもの食いつきが良くない。

そればかりか、美味しくないのか、食べる時間がかかるし、とろみがないので、買ったばかりの洋服にダラダラとこぼして食べている。

イラっとして
「ごぼれてるよ!みて!」子どもに言った。

とその時、ふと私の胸元を見た。
子ども以上にカレーがこぼれていた。

何だ、この悲しい光景は。
贅沢になるはずの時間が、これじゃあ贅沢どころか仕事も増えるし、時間の無駄遣いになっている。

仕事をしているときは、限りある時間でやりくりしていた。
毎日夕方幼稚園から子どもを迎えにいってから、30分で4品は作れていた。そして、夜8時30分には子どもは寝ていた。

今はなんだ。
だらだらと時間をかけて、シャバシャバのカレーで洋服もカレーまみれの親子がイライラしながら食事をしている。

育児休暇の終わろうとする頃。
桜の花が咲く公園のベンチで、テイクアウトしたピザを食べながら、午前中からビールを飲む私がいた。
その側にはベビーカーですやすやと眠る我が子。

育児と専業主婦というこの過酷な労働に対してのご褒美が限りある資金から捻出すると、この形に辿り着いたのだ。

ストレスによる過食、そして背徳感のアルコールがご褒美となりました。

あーなんてことだ、私の憧れていた専業主婦、こんなにも辛いなんて。

私には向いていない。

はっきりと悟りました。

ところで私はどこで自己実現をすれば良いのか?

お母さんか、妻(この時は離婚していない)としての役割しかない。

〇〇ちゃんのお母さん、〇〇ちゃんのママ。

私はママじゃないぞ!

私は私だ。

あなたにお母さんなんて言われる筋合いはない。

私の名前は〇〇だ。

そんな気持ちで過ごしていました。

そして、専業主婦をしているおだやかなお母さんたち。

私は憧れていました。

私のように公園のベンチでビールとピザを片手にはいないでしょう。

そして、今更ながら聞いてみたいと思います。

「あなたが自己実現する場所はどこでしたか?」

ここまで読んでいただきありがとうございました。
私が目指しているのは、孤立のない共生社会の実現です。

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