それでも我々はパーカーを着続ける
ここ数日、ひろゆき氏やホリエモンまで参戦してネット界隈を騒がしている問題。
ある20代の女性作家が言ったとか。
「40歳近くになってパーカー着てるおじさんっておかしい」
・・・私は50のオッサンになってもパーカー着てますが、なにか?
今さら若者に媚びて好かれようなんて思っていないから、いいのだ。
いや初めから若者にへつらう気にすらならない。
しかし妻は「ほら、パーカーなんか着なさんな」なんてまた言うんだろうな。
すでにチェックのシャツに対する圧力も結構なものがあるし。
でもチェックのシャツ、楽に着れるから好きだ。
なんでチェックのシャツがいいのかつらつら考えてみると、襟が付いていて「くだけすぎず、ちゃんと」感があって大抵のところには着て行けるし、チェックの柄にしても無地は無防備な感じがするしボーダーは目がチカチカするうえ心も落ち着かない。
なにより、得体の知れぬ「安心感」がチェックのシャツにはある。
個人の感想だけど、あながち外れてもいないのではないか。
文系出身の妻はチェックのシャツを「理系オタクの制服」呼ばわりし、しかもおしゃれに気を使う人だから私がそればかり好むのにあまりいい顔しない。
しかし言われてみれば理系にはチェックのシャツが多いなぁと改めて思う。
いや妻と出会うまではその特異性にすら気が付かなかった。
ところで、我々発達障害者もチェックのシャツを好む割合が有意に高いのではないか。
ひょっとすると私みたいに安心感を求めているのかもしれない。
もうひとつ、これは私の偏見かもしれないが、理系でオタクは発達障害者の割合が高いと思う。
少なくとも肌感覚としては、そうだ。
それが正しければ、「チェックのシャツは理系オタクの制服」という評価もあながち的外れではなさそうだ。
そしてチェックのシャツが「制服」ならば、パーカーは「コンバットスーツ」かもしれない。
何に対して戦うのかはよくわからないが、しかしパーカーを着ると「守られている」という感覚にはなる。
もちろんパーカーにファッションとしてのこだわりや信念を持って着用している人も多いだろう。
しかし我々のように、世間の視線や言いがかりを気にせずにパーカーを着続ける人も、やはり多いと思う。
まぁでも最低限のTPOはわきまえるべきだとは理解している。
件の女性作家も、「ビジネスの場にパーカーを着てくるおじさんがおかしい、ってのが切り取られた」と弁解しているようだ。
しかし本来、公序良俗を乱さなければ基本何着ようが勝手なはずだ。
もしチェックのシャツとかパーカーを着るオッサンを社会全体で排除しようという流れになれば、それはファシズムであり現代の魔女狩りでもある。
だから我々は、これからもパーカーを着続けるだろう。