まさに子宝
よく「子宝」という表現を目にする。
いま、ふたりの子とともに暮らしていて、この表現こそまさに真理を突いていると思わざるを得ない。
下の子が発達障害だとしても。
10年以上前。
お互いに晩婚どうしで結婚するとき、やがて妻となる彼女とふたりで話し合った。
……年齢も年齢だから、たとえ子宝に恵まれなくても、それはそういう運命だったと受け入れよう。
……もし子宝に恵まれなかったら、その代わりに犬か猫でも飼おうか。
けれども神様のどういう気まぐれか、結婚して3ヶ月もしないうちにコウノトリは妻のお腹に新しい命を運んできてくれた。
もともと私より真っ当なキャリアを積んで、私より年収ははるかに上で、(コウノトリが来ないことをむしろ前提にして)その妻の稼ぎをベースに結婚後の生活を設計していたから、妻が産休・育休に入ることで経済的には相当混乱した。
結果として上の子が産まれた直後に「あなたの稼ぎでどうやってこれから生きていくの」という妻からの圧力が強まって、転職することになった。
しかし転職先はまさに天職みたいなところで、もう10年近くも働き続けられていることは、結果的に良かった。
そうして生活が安定してくると、「上の子がひとりではなんだかかわいそう」みたいに私も妻も思うようになり(しかしそれが正しいかどうかは別にして)、今度こそダメ元で2人目に挑戦。
またもや神様は蕎麦屋の出前なんかよりはるかに迅速にコウノトリを寄越してくれて、下の子が産まれた。
結果としては、その下の子がなかなか発達が遅くて、3歳児検診の頃に正式に「発達障害」と判定された。
その時、妻には申し訳ない思いがいっぱいで、どうしようもなかった。
結婚前は海外勤務もするくらいバリバリ働いてキャリアを積み上げてきたのに、結婚した夫(私)は実は(と言っても隠していたわけではなくて、下の子の判定とともに発覚した)発達障害、そして下の子も発達障害。
そのために仕事も中断(現在も中断中)しキャリアも犠牲にして、子育てにかかりきりになってしまったのだ。
(妻が働いて私が主夫をするという選択肢は、妻の方から光の速度で却下された。「あなたなんかに子育てとか家事とか任せられない」という反論不能な理由で)
今でも妻には申し訳なく思い続けていて心が苦しい。
けれども、妻はふたりの子をとても大切に慈しんでくれる。
夜、並んで寝ているふたりの子に妻は顔を近寄せて「あたなたちは私の大事な宝物」と語りかけたりする姿に、少しだけ私の心も癒やされる。
ありがとう。