発達障害で運転免許を取ろうとしたら苦労した話

私は40歳になってようやく結婚できた。
縁はなかったわけではないし、縁を作り出そうという努力もしてきたのだけど、それぞれ相手の方から最終的には拒絶されてしまう、その無限とも思われるくらいの連続。

そんな私でも良いと決心してくれた妻には、感謝しかない。
いくら感謝の思いを妻に言葉で伝えても、「ふん」とハナで笑われるだけだが。

もう10年以上も前になるけど、結婚してからしばらく経ってから、大学時代のサークル仲間がお祝いのパーティーを開いてくれた。
私も妻も晩婚どうしということもあって、結婚式はほとんど身内だけでやったからね。

しかしその場で同期、先輩、後輩の口から語られたのは、学生だった当時の私の愚行や奇行の数々。
まぁ暴露大会みたいなもので、ただ私としても想定内だったから笑って流せたけど。

先日の投稿で私の不器用ぶりを書いた。
しかし私の不器用さは手先の不器用さだけにとどまらず、日常生活や生き方でも不器用さで際立っていた。

その結婚祝いパーティーでのある先輩の言葉は、それを如実に示していた。

「オレはこいつ(私)が40まで生きられて、しかも結婚できるなんて思いもしなかったよ、おめでとう!」

しかし、やはりというかいちばん強調して語られたのは、私が某カルト宗教に引き込まれた時の救出劇と、それから自動車運転免許を取るまでの悪戦苦闘ぶりのふたつ。

宗教の話は、できることなら封印してほしかったのだが……妻もドン引きしていたし。
そして運転免許の取得の「伝説」も、そっとしておいてほしかったのだ。

たぶん、みんなにとっては場を盛り上げるオイシい話だったんだろうけど。

さて、運転免許の話。

私がいたサークルというのがアウトドア寄りの旅行系サークルで、部の活動で車を利用する機会も多かった。
だから、いわゆる普通運転免許はほぼ必須の資格と言えた。

そんな背景もあり、免許を持たない1年生部員は夏休み明けに示し合わせて同じ自動車学校に入校した。
当時、私が通っていた大学で通い先となる自動車学校は主に4つほどあったけれど、その中でも最も指導が厳しいと評判のA自動車学校へ。

それとは別にX自動車学校が「いちばん免許が取りやすい」とA自動車学校と対で語られることが多かったけれど、先輩たちから「あそこだけはやめとけ」ときつく言われていた。
「あそこで取った免許は、うち(のサークル)では免許として認めないからな」と冗談めかして言う先輩もいた(いや本気だったかも)。

免許が取りやすいとともに、そこで免許を取ったドライバーの事故率が異常に高いというのは、学生の間でも普通に語られていた。
それどころかA自動車学校の入校式で、責任者が「私どもは『あの』X自動車学校と違って、安全教育には特に力を入れていて……」などと名指しで比較して訓示するくらいだった。

まぁ、そんなところで教習を受けることになったのだから、当然のように苦労した。
苦労とは言っても普通の苦労ではなかった。

自動車教習所で習った人ならわかると思うけど、まず教程の最初に「トレーチャー」という模擬運転席でハンドルとかブレーキ・アクセルとかギアとかの操作を習う。
私はこれでしくじって、いきなり次に進めなかった。

「トレーチャーで不合格って、どれだけ不真面目なんだ」
みんなは笑ったけれど・・・私は真剣にやっていた。

その後も場内での教習でアクセル踏めない、あるいは踏みすぎる、ハンドルをうまく切れない、ブレーキが遅すぎる、あるいは急ブレーキ。
高いところから見たら、私が運転する車だけ不自然な動きをしているのがひと目でわかったはずだ。
その度に、教官は容赦なくブレーキを踏んで他の教習車のじゃまにならないところに停めさせて、私に厳しく指導する。

他のサークルの同期がどんどん進んで仮免だ、路上教習だ、卒業検定だ、学科試験だ、ついに免許取ったなどと言っているそばで、まだ場内教習で足踏みしていた。
とにかく、複数の動作を同時にこなしながら、正しい速度で正しい進路でクルマを動かすということの難しさ!

だって、目では四方八方へ注意を払いながら、耳も使って周囲の状況を確認し、五感を駆使して得た情報を脳内で適切に処理して、その結果をハンドルとアクセルとブレーキとギアの操作に反映させ、必要に応じてウィンカーで合図をして場合によってはライトを点灯させたりワイパーを作動させたりするのだ。
いつまで経っても助手席の教官に怒られながらノロノロ、フラフラと運転している私は、「もう無理!」と何度も心が折れかけた。

今はどうだか知らないけれど、当時は半年を期限にして仮免を取って、仮免を取るまでの期間も含め1年を期限として路上教習を終えて、学科試験で免許を取るようになっていたと記憶している。
しかし私は、仮免までで1年を要してしまい、それから法律で認められた(?)半年間の猶予をもらって路上教習を受けるという事態に陥っていた。

教習を受けるごとに帳面にスタンプをもらうのだけど、私はそれが1冊では終わらなかった。
教官たちからは「またオマエか」みたいな目で見られたり実際に言われたりしたし。

中には、「どうしてX自動車学校なんかに行かずにウチに来たの? あっちだったらとっくに免許取れてたかもしれないのに」と言う教官もいた。
それを私は、当の教官が意図した以上の侮蔑の表現だと受け止めた……人の命に関わる運転免許だから、私としてはいい加減なことで取りたくなかったのだが、その気持ちを踏みにじられたような思いだった……たぶん思いすぎだとは思うけど。

同じサークルの後輩にすら追い越されるような状況ではあったが、結局1年半以上の時間をかけて、それでも私は学科試験にも合格して免許が取れた。
しかしサークルのみんなは怖がって、結局私がサークル活動でハンドルを握る機会はなかった。

それから30年ほど。
運転中にしなければならない一連の動作は、もはや息をするのと同じくらいに無意識的かつ簡単にできるようになった。

仕事で普段から社用車を運転していて、一時期は当時の仕事で毎日のように4tダンプや2tダンプに過積載の砂利や鉄骨なんか積んで走ったりもした(上司の命令で)。
15年ほど前にはマイカーも買って買い物やレジャーや旅行に日常使いしている。
しかし一貫して無事故・無違反を貫いている(上の過積載が見つからなかったのは幸いだった)。

ゴールド免許は、あの時の普通でない苦労の賜物だと信じている。

【今回の気付きのようなもの】
底抜けの不器用だったけど、めげずに、けれども実のところはダラダラと自動車学校に通っていたら免許が取れた。
周りのペースに飲まれずに(でも本当は内心焦ることもあった)、周りの雑音も気にせずに(でも本当はすごく気にすることもあった)、自分のペースでコツコツと進んでいったのが結果的に良かったのかなぁ。

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