障害者への誘導に乗るな
前回のnoteの趣旨を忘れていた。
社会は障害者と健常者を区切りたくて、障害者枠へと誘導してくるがあなたが少しでも健常者のフリをしていられるなら絶対に乗るな。乗るな。そのまま健常者のフリをしていろ。
障害者手帳を取ったからといって異常とされる行動が許されるわけではない。むしろ、異常であることを自認して動けという自己責任が乗っかってくる。なら、ちょっと異常な健常者として生きた方がマシだ。その方が選択肢も多い。
金銭的に困窮しているなら障害者はアリだ。しかしそれも、医療費が決まった病院と薬局に限って1割負担になる程度の話だ。映画を千円で見られるくらいの話だ。インフラの話はごめん、わからないけど、家賃も電気代も変わらない。ほんとに。だったら障害者枠に変わって年収を落とすより、ギリ健常者の枠にしがみついていた方がいい。
障害者をサポートする、福祉に導くビジネスはどうしてかビジネスとして成り立っていて、就労移行支援所の数は鰻登りだ。ウェルビーが上場撤退したとしてそれは変わらない。だからあなたを、まだ体力があって誰かに助けを求めたいと手を伸ばすあなたを障害者として理解を受けながら働きませんか?と促してくる。わたしが利用したリタリコもそうだった。
しかし実態は理解なんて得られない。というか、個人の適性の問題である。現実はダイバーシティ&インクルージョン室の専任はおばさん2人である。そのおばさんが、「当事者の気持ちなんてわからないじゃない!」と大声で言うのを聞きながら黙ってPCに向き合うしかない。そういう世界が待っている。
あなたの職場がもしフレックスタイム制を導入していて配慮なんてなくても誰に言わなくても病院に行けるならしがみつけ。リモートワークがあるなら尚更しがみつけ。がんばれ。ちょっと頑張れるなら、頑張れ。頑張れ。わたしが応援する。あなたが体調が悪くて、でもPCに向き合おうと思うなら全力で応援する。こっち側にくるな。まだあなたは、そこで立っていられる。
こっちには碌なことがない。
あなたは自分の無力さを痛感するだろう。週40時間労働がより厳しくなった世界で、生きづらさに直面するだろう。頼む、そこで立っていられるから、そこにいてほしい。