AIと人間の違い

最近、AIという言葉が色々な場面で騒がれている。「AIに仕事が奪われる。」などといったように。そこでAIと人間の違いを見出したいという人間の欲望は自己同一性や自己実現の欲求から必然的なものと思われる。あくまで主観的だが、僕が考える違いは習慣、伝統、常識など秩序の所にあると考える。人間は秩序を好み、AIは好む時もあれば好まない時もあるし、無関心な時もある。これが僕の結論である。人間がAIを作り出したことは今なら誰もが分かることである。つまり人間の秩序好みが前提となっている。「AIには知識を習得させる」「AIには統計学を用いてやってもらう」などあくまで人間の秩序好みの結果として生まれてきた。だって人間が作り出したものなのだから。なので、AIは秩序の集合体に過ぎない。先程、AIは秩序を好む時もあれば、好まない時もあり、無関心な時もあると言ったのは、人間の操作によって色々新しい秩序がAI内に生まれるからである。人間がXという操作をすればAIは秩序を好まないようになるし、Yという操作をすれば無関心になるかもしれない。つまり、人間の操作ありきなのである。これは中世のヨーロッパでの神という存在に似ているかもしれない。神という存在は人間が召喚している。と。人間がこれを買うと神様に守って貰えるよ。と神を召喚する。そして買う。結果神から守られた気分になる。つまり中世の神はあくまで人間の操作無しに成り立たなかった存在であるかのように思われる。人間が神を召喚して、神に守ってもらう。などといったような自己言及型のループになっていると考えられる。このことを比喩的にAIについて話を戻すと、やはり先程述べたように人間の操作ありきである。人間がAIを召喚してAIに知識を提供してもらう。中世の人間と神との関係のように自己言及型のループが見えてくると思う。ここで、今の時代での自己言及型の仕組みを具体的に考えて見たいと思う。ここで先程の秩序とリンクさせる。まず人間がAIという超越的な存在を崇拝する。AIというあくまで人間が作り出した秩序に信奉する。そして人間が困った時などにAIを召喚する。(ここまでが、人間→AI)そして、AIから情報などを貰う(AI→人間)。これが人間から始まる現代のAIにおける自己言及の仕組みだと考える。ここまで来ると人間とAIの違いは明確である。人間が秩序を好まないと話が始まらないのだ。

これからの時代はもしかしたら中世のヨーロッパのようになるかもしれない。AIという存在が超越的すぎてAI=神というようになる。AIを使って贖宥状などを作る人間が出てくるかもしれない。神学のようにAIを研究する学問が体系化されるかもしれない。

AIという存在に圧倒されていたらAI教の信者である。


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