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自由意志は無かった虚しさ
自由意志はあると信じてた
あらゆることに不幸と行き詰まりの人生を体験し、さらに行く先々で困難苦難が日常茶飯事。
まるで呪われているかのような毎日でした。
こんな滅茶苦茶で気が狂いそうな出来事ばかり体感したことで、なんとなくわかってきたことがあります。
それは自由意思が全く無いということ。
私も、皆さんも「ある程度自由意志の選択肢があって、人生の選択時にAかBかなど選べるはず」と信じてると思います。
選んだほうで成功か失敗かを繰り返しながら進む「枝分かれ的理論」を私も崇拝していました。
勿論選べますし好きなほうへちゃんと進めます。
だけどAの人生選んでみても、Bになるはずの人生の人なら必ずBになるように時間をかけて戻されます。
何故言いいきれるのか?
引き寄せの法則ではないけれど、私も私なりに周りの反対押し切ってやりたいことの為に必死に努力し、過酷と孤独の中、独学で勉強しながら働いて学費も貯めて念願の進学も果たし、一歩ずつ次へ行動を起こしながら運命を変えた気になってた時期がありました。
順調に学内外で活動しながら顔を売ってマイコネも育てて資格も手にし、まさに順風満帆引き寄せた感満喫の時期を過ごしていました。
でも卒業の時期が来ると、資格を手にした大半の同期は皆何事も無く普通に就職でき、今では更に出世してそこそこの地位もお給金も手にしていますが、ここからなぜか私だけ違ったのです。
私はというと、採用話の時点で突然あらゆる不運と不遇がドラマやコントのように折り重なって起こりはじめ、どういうわけが周りが笑うほど採用話は取り消され、優遇されていたところからも「あるご両親に頼まれたのですまないけれどそちらを優先したい」とアッサリ断られて悉くどこにも席を置かせてもらえず、最後の最後は全て願ったことと真逆に進んで何一つ叶いませんでした。
その後もなぜか何年も何年も不遇続きで酷すぎて、周りからも「なんであなただけいつも人一倍努力してるのにそうなるのか不思議?可笑しくてたまらない」と見下される有様。
なぜ自分ばかり…
そんな時人は必ず「なぜ自分ばかり不幸なのか?」と呟いてしまう…
そしてまた諦めずに
⚪︎更に努力し自分に足りないものを探求
⚪︎もっと違う方向性から見抜かないとダメ
⚪︎辛いのは学びの期間で必ず認められる
⚪︎無理難題は乗り越える為の試練
やがて答えを求めてスピリチュアル系に染まっては、これを繰り返してドンドン過酷で辛い日々を増やしてゆく負の連鎖。
勿論唯ボロボロになるだけの何一つ答えに繋がらない日々。
そんな時
そんな時、妙な感覚が起こってきました。
それは「予感」というものの頻発です。
例えば「今日は出かけたくないけど何か次を求めて活動しないといけない」というよくある感覚です。
その嫌な予感を無視して出かけた時、何気ない交差点で今まで誰もいなかったのに、いきなり四方八方から自転車や車が飛び出してきて塞がれ、立ち往生でしばらく通れなくなったり、お店のレジも私の前で突然レジのエラーが発生し、別レジにまた後ろから並び直しとかやたらと起こりました。
また普通に隅を歩いてるだけなのに、前を歩いてる人が突然振り返って逆行してきて衝突されそうになり、その挙句睨みながら舌打ちされたりなどとにかく物凄い間の悪いタイミングが外出拒むように多発し続けるのでした。
先日も出かけたくない気持ちのまま歩道を歩いていると、歩道を横切って駐車場に入ろうとしてくるタクシーが一旦停止も無いままこちらの目を見ながら加速されて跳ねられそうになった、なんてこともありました。
それはまるで私が今ココに居るのが邪魔とばかりに街全体にやられたかのようでした。
やはり少し先の未来を予見した時、今日は外出控えた方がいいタイミングで出かけたら、必ずこうなるのことを思い知らされた出来事でした。
その逆に活発な行動できる気分の時に出かけると、嘘のように何もかもタイミングが合うから不思議でした。
この予見とは何?
皆さんも「〇〇な気がする」とか「今日は〇〇やめた方がいい」みたいなことを感じた時、特に信憑性無いのにその時の勘を信じて避けながら動くことがありませんか?
これ、私はずっと第六感とかプチ予言だと思い込んでました。
だけど実はこの現象、自由意思がなくて人生のストーリーがほとんど決まって、そのとおりに誘導されてる感覚だとしたらどうでしょうか?
つまり既に決まってることだからそのとおり行動しなくてはならない為、安易に無視して想定外行動してしまう人間を対象に少し先を見せたり嫌な感覚与えて「外出するな」などという警告してるとしたらどうでしょう。
だから予感とか予知能力とは人生の決まってる台本少し先読みさせられた程度なのかもしれないということなんです。
いちばんガッカリしたのは私でした
努力も無意味で、今までどんな無理難題対処してきたことも全て無駄だったとを言われた気がして、放心状態になりました。
私をイルカに例えると、イルカは同じ哺乳類でも体型が魚類だから陸で生活ができません。
でも陸で暮らしたいから無理矢理砂浜から陸に上がろうと努力したけれどとても大変で、それでも何とか陸に上がることができて、だけど結局手足がないから陸上生活に不向きで普段の生活さえまともに行えず、やがて無駄に疲弊して黙って海に戻るしかないという結論みたいなもの。
自由意志がなければ今後私はどうしたらいいのか?
全てが決まっているのを無視して逆方向へ何年も無駄に努力した結果、行き詰まっている今の私のこの状態、この先いったいどうしたらいいのだろうか…
その答えは、シンプルでした。
結局今までの逆行を含めて全ては決まっていることなのだから、間違って進んだままの状態で何もせずこのまま乗っかるだけのようです。
足掻かず焦らす苦しまず、無駄に修正とか考えずに、タダ受け入れてこの流れを大きく体感するのみ。
もし違う方向に向かい出したらまた嫌な予感が教えてくれるようです。
以前はそれを「サボってる」とか「もっと何かやるべきでは」と探求し続けていましたが、今回ようやく物事の流れ全体を体感しながら受け入れることにしました。
今後どうなるかはまた定期的に報告させていただきます。
何故いちいち「予感」や「予見」や「嫌な感覚」やってくるのか、ようやくわかりました。
勿論私の体験談から知ったことなので、人によってまた違うのも当たり前だから、何かの参考程度に受け止めていただければ幸いです。
お粗末さまでした。