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新たな時代の劇的な恋愛群青劇が張り巡らせる、繊細な伏線回収劇(長文注意)
どうも、みゆう・うぇいんです。
本日も、愛のままではなく衝動のままに、誰も傷付けることなく、太陽が凍りついても自己紹介より歌詞紹介です。
皆様もタイトルからお察しの通りかと思いますが、本日はポルノグラフィティ御大の「ネオメロドラマティック」です。
積み重ねたキャリアの数々には驚くばかりなので、御大と表記させていただきます。
イカした音を鳴り響かせるギター、近未来感のあるメロディ、色気のあるボーカル。
そして、意味深な歌詞……。
本曲の歌詞考察はたくさんあるが、既出の素晴らしい解釈は先人に譲る。
というか、私がやる価値はない。
私なりの解釈で、初めての見方を皆様に提示してみせようと思う(バズるための誇大広告です。ですが、この後広告は表示されませんし、報酬もゲットする必要はないので、安心して読み進めてください)
伏線を回収するために、ほぼ全歌詞を解説する羽目になり、気付けば4500文字を超えてしまったが、どうかご容赦いただきたい。
背徳的でハイカロリーでボリューム感のある食事は美味しいのと同様に、背徳的な文章量もきっと満足できるに違いない。
一番Aメロ①
自分の純情を スプーンにひとすくい
街に喰わせるたび 貰えるキャンディを
舌で転がしながら 記号化した言葉に
「助けて」というWordは 無いようだ
まず、紹介前に大事な前提条件がある。存在は、三つに分類されることだ。
ひたすらに純粋(純情)な君
半分純粋な僕
全く純粋ではないその他
この曲において、純粋(純情)さは重要なファクターだ。
純粋さを失えば、人間らしさを失なうことになる。
一方、純粋であり続ければ、メタ視点を失なわずにいられる。現在の自分の立ち位置が、痛いほどに理解できてしまう。
さて、御大が描く現代社会では、純粋さと生存環境はトレードオフの関係にある。
媚を売り、作り笑いをし、下げたくもない頭を下げる。
使い古されているが、昔も今も錆びない表現だ。そんなことをしながら、私たちは日々、生存環境を死守している。
社会で頑張って生きようとすればするほど、人間らしさ――例えば喜怒哀楽を失なっていく。
そのような世界では、言葉も意味を失うし、ギブアップなど許されない。
つまり、「助けて」というword を失うことは、純粋さを失うことに等しい。
一番Aメロ②
いつも感じている 寒く深い闇の
この場所がもう既に 街の胃袋の中
幸せすぎるのが 不幸なこの頭が
切れない剃刀を探している
長いものには巻かれろ、という諺がある。
それならば、デカイ街には呑み込まれろ、という諺があったって不思議じゃない。
キャンディーを食べるために街を利用しているように見えて、実際は真逆なのだ。
現代の街に、我々は一つの構造として呑み込まれ、見事にしゃぶりつくされている。
生存環境を勝ち取っているのではなく、与えられているのだ。この時点で、それら生存環境は、しょせん街の胃袋の中にしか過ぎない。
でも、生きていけている。
何か、人間らしさを失なっている気がしている。どうにかしなきゃいけないと思っている。ここは寒い感じがするし、もしや深い闇なんじゃないか?
でも、生きていけている。それは、幸せなのでは?
いっそのこと、ショック療法でもした方が、目が覚めるかもしれない――。
ここで御大は、武器として剃刀を選択する。
仮に切れたとしても、とても胃袋の中から目が覚めそうな威力には思えない。さらに、探しているのは切れない剃刀だ。
デカイ街に呑まれて純粋さを失なった人々は、幸せ過ぎて自傷行為する感情すら失なっているのかもしれない。
一番Bメロ
君はボイルした 時計の皮むきに
ただ夢中になっている
よく話題になる、例の歌詞である。
苦渋の決断だが、ここは先人達の素晴らしい解釈を越えられる気がしない。
大人しく、歴史の流れに身を委ねようではないか……。
ただし、私なりの解釈をそっと添えておくと、この部分は無意味なことに夢中なわけではなく、いかに君は純粋なのかを示唆していると考えている。
それと、ここをわざわざ僕は描写している時点で、僕は完全に純粋なわけではない(半分純粋)、ということが読み取れる。
一番サビ
どこから聞こえる情熱の歌が
泣こうとしている 君へと寄り添う
過去か未来か 確かにあったなら
ここにだって みつけられるのかも
情熱とは、大きなブレのある感情の動きの一種。まさしく、人間らしさの一つ。そして、泣くこともまた、人間らしさの一つだ。
先程も私見を述べたが、ここでも君が純粋(人間らしさを失っていない)だということが、よく伝わってくる。
過去か未来に何があったのか。
主語をぼかしているので判然としないが、私なりの解釈は、最後に残そう。
二番Aメロ
群集に紛れて 息を殺しているうち
枯れてしまいそうになる 希望というアイデンティティ
空気を奪いあう 地下鉄のホームで
生暖かい風を浴びている
秀逸な情景描写が、ギラッギラに光る場面だ。
御大は空気という要素を用いて、純粋さを奪う生存環境の残酷さを、巧みに浮かび上がらせる。
君と僕は、まるでゴールのないスパイ活動をしている。生存環境を得るために、仕方なく群衆(全く純粋ではない)に紛れている。
純粋な二人にとっては、さぞ息苦しい世界なのだろう。
地下鉄と聞くと、皆様はどこか酸素が足りない空間をイメージしないだろうか。
そこは、現代社会における激しい生存競争の場なのだ。だからこそ、空気なんてものは奪い合わざるを得ない。
そんな環境が生暖かいと感じられるのは、ここが街の胃袋の中だと認識している、君と僕だけだ。
生きるためのスパイ活動を続けていると、いつしか希望というアンデンティティが形成されても不思議ではない。
翻って、このまま抜け出せなかったら枯れていくだけだ。
ここまでで描かれているように、二人は敏感に空気を感じ取ってが、全く純粋ではないその他は、そもそも空気を感じ取ることすらできない。
現代社会に完全適応しているのだとしたら、地下鉄のホームにいることが苦ではなく当たり前だとしたら、そもそも窒息していることにすら気付けない。
こうして御大は、空気というテーマを通して我々に問いかけてくる。
現代社会の空気を感じながら、日々生きてるかい?純粋さを失っていないかい?と。
それにしても、たったの数小節で得られるギッシリとした満足感は、スニッカーズ側もさぞ驚くことだろう。
二番Bメロ
君は砕かれ コンクリートになった
岩のために祈った
よく話題になる、例の歌詞その2である。
ここでも、君の純粋さがよく表現されている。
コンクリートというのは、現代社会のメタファーだ。
岩というのは前時代的な存在で、それを砕いてコンクリートにすることは、発展の象徴である。
繰り返すようで申し訳ないが、現代社会において純粋さと生存環境はトレードオフだ。
すると、コンクリートで舗装された道というのは、純粋さを失なった象徴とも言える。
だからこそ君は、岩に祈ることができる。
変わり者でも何でもなく、純粋さを失っていないから、岩の価値を理解することができるのだ。
この曲においては、嫌というくらい君の純粋さが強調されている。
二番サビ①
最後まで付きあおう 僕が果てるまで
最高のエンドに辿り着けるから
格好つけて 言うわけじゃないけれど
ここには僕らしかいないみたい
もしかしたら、曲を聴いた多くの方々が、ここの部分で「結局、格好つけてんじゃねえかよ!」と思ったかもしれない。
いや、待ってほしい。
ここまで歌詞紹介にお付き合いいただいた方なら、お分かりではないだろうか?
そう、僕はマジのマジのマジで格好つけてなんかない。
純粋さを失っていないのは、世界で君と僕しかいないのだ。
その他は、街の胃袋の中に取り残されたままだし、窒息していることにも気付かない。
だからこそ、ここには僕らしかいないみたい、とハッキリ言えるのだ。
僕が果てる(純粋さを全て失う)まで付き合えば、最高のエンドにたどり着ける。
これも、純粋さを失っていない二人にしか言うことができないセリフなのである。
二番サビ②
行こうか逃げようか 君が望むままに
幸か不幸か ネオメロドラマティック
咲こうが摘まれる 君の絶望こそ
こんな時代か ネオメロドラマティック
純粋さを保つか失うか(行こうか逃げようか)、それは君が望むまま。言い換えれば、他人ではどうすることもできない。
君次第なのだ。
純粋さを失なった世界で、純粋な恋愛をする。
幸か不幸か、それがネオメロドラマティック(新たな時代の恋愛群青劇)なのだと、御大は言う。
世界で唯一の君だからこそ、咲いてしまう。唯一だからこそ、街の胃袋が呑み込もうとしてくる。
それも、こんな時代だからこそなのだ。
ブリッジ(最重要部分)
君の「愛して」が 僕に「助けて」と
確かに聞こえた
本曲最大の、伏線回収ポイントはここだ。
現代社会は、本当に恐ろしい。
純粋さを咲かせようとした君を、容赦なく摘み取り、絶望させる。
皆様は覚えているだろうか?
記号化した言葉に「助けて」というword はないのだ。
あれだけ純粋だった君ですら、街の胃袋の中に呑み込まれかけている。構造に絡めとられている。
助けを求めたくても、そんなword はないのだ。
こんな時代だからこそ、純粋な君はword がないことに気付けない。
半分純粋な僕だけは違う。
「愛して」もそのまま受け取れるし、「助けて」というword もギリギリ持っている。
ここのフレーズは、単にお洒落だったり、意味深なわけではない。
半分純粋だからこそ、世界で唯一、僕だけが「愛して」の意味を確かに聞き取ることができるのだ。
卓越した表現力で純粋さを描き出し、現代社会へとブレンドさせ、本当に二人きりしかいない世界を作り出し、そこでしかあり得ない恋愛模様を映し出す。
こんなことが、たった数分の曲で出来てしまうのだ。
天国で、阿久悠先生も大喜び(生前、歌詞を二時間の映画分のボリウムにできないだろうか、と発言していた)しておられるに違いない。
サビラスト
咲こうともがいてる君の力こそ
こんな時代の ネオメロドラマティック
ここで終わることに、大きな意味がある。
途中で保留にしていた私見だが、過去か未来に確かにあったのは、君と僕以外にも純粋な人間がいた世界のことだ。
現代社会でも、ここにだって見つけられるのかもしれないと、君はもがいて(純粋であり続ける)いる。
皮肉なことだが、純粋さが失われたこんな時代だからこそ、二人の恋愛群青劇はドラマティック(劇的)に映るのかもしれない。
終わりに(個人的エピソード含む)
いかがでしたでしょうか?
↑この問いかけまで読んでもらえたことに、感謝しかない。
単なる歌詞紹介ではあったが、思い入れのある一曲でもあったので、ここまで書き切れてメチャクチャ楽しかった。
完全な余談ではあるが、この曲に出会ったのは高校一年生の頃。
当時から、歌詞の読み込みに勤しんでいたため、自分なりに意味を考え続けていた。
結果として、私の人生観に多大なる影響を与えた。
好きな女性のタイプの一つに、「ネオメロドラマティックの君みたいな人」という条件が追加された。
あまりにもキモすぎることは自覚していたので、誰にも言わずに封印していた。
しかし、幸いにも二十代の頃、まさしく「ネオメロドラマティックの君みたいな人」と出会うことができ、めでたく結婚することができた。
付き合う前の女性の発言と所作を見て、心の中で「うわっ、コンクリートになった岩のために祈りそう~、好きだな~」などと呟いたのは、有史以来私だけかもしれない。
これ以上続けると、私が街の胃袋の中に取り込まれすぎて、臓器の一部になっていることがバレそうなので、ここまでとします。
社会人なのでシンプル感謝として、ありがとうございました。