非クリエイターが歌詞で学ぶ、正しいクリエイティブとの向き合い方

どうも、みゆう・うぇいんです。
栄光あるゴッサム市在住のwayne家の一員になるべく、日本風の名字に直し、夜警ではなく歌詞の読み込みに精を出す毎日を送っているワケだ。

そんな一員になりたいよ活動の中で紹介するのは、今月リリースされた、すりぃ氏の「超ピース」である。


なお、私はSNSの全てを絶つという、現代社会における逆露出狂行為かつガラパゴス推進活動実行委員をしているので、インターネットにおける氏の発言を知らないし、言わずと知れた氏のプロフィールを今更紹介する必要もないだろう。
それでも、氏の曲と歌詞こそが、現代社会における理想のクリエイティブの一形態に思えてならない。

本曲の構成自体は、至ってシンプル。
絶望に追い込まれた主人公・すりぃ氏が、なんやかんやあって孤独のエナジーを手に入れ、超ピースする。
この一連の流れは、ナウなヤングにバカウケしている、こっちのけんと氏に通ずるものがある。

つまり、ネガティブなパワーを曲に注ぎ込み、ポジティブ・トランジション(変化)ソングにしてみせるのだ。


しかしながら、そのトランジション方法がこっちのけんと氏とは似て非なるものだ。

『はい喜んで』
『あなた方のため』

「はいよろこんで」  こっちのけんと氏

だから言ってしまいなよ
「もういいよ」

「もういいよ」  こっちのけんと氏


こっちのけんと氏は、曲名を上手く使いながらキャッチーに世界観を表現する。引用部分のフレーズは、他にも歌詞はあるものの、たったこの二行だけで世界観を表現できてしまう。本当に素晴らしい。

それでも、両曲ともに通ずるのは、色んな受け取り方が可能な歌詞であるはずなのに、受け手側に陰鬱とした雰囲気を感じ取らせることだ。
まあよくよく考えたら、陰鬱としてなけりゃ、ギリギリダンスとテルメルダンスも踊らないから当然か。

ちなみに完全な余談ではあるが、陰鬱でもなけりゃギリギリでもなけりゃテルメルも使用してねぇ三歳の娘が、上手にギリギリダンスとテルメルダンスを踊っている姿を見て、振り付けの意味を知らないまま育ってほしいと切に願った。


一方、すりぃ氏はこうだ。

孤独をゲッチュ
超超超超ピース

「超ピース」  すりぃ氏


なんやねん、ゲッチュて!!!!!!!!
ほんでどんだけピースしてんねん!!
だいたい孤独はゲッチュせえへんねん。リリースするもんやろ。
それとな、ホンマにゲッチュしたんやったら、それこそ自分がやるのはギリギリダンスやで。

思わず突っ込みを入れざるをえないフレーズ。
しかし考えてみてほしい。この引用部分から、陰鬱さを感じるだろうか?


更に同曲から引用を続けよう。

どうせ何もかも伝わらない
そりゃそうでしょ人の悩みより
明日の我が身
金とハラミ
期待はせんで


ときめいちゃうわね。

他の曲でもそうだが、すりぃ氏は歌詞の語感が独特でつい恋心を抱きたくなる。
引用していないが、「孤独独得エナジー」とか、言いにくいのにメロディと語感がピッタリ合う。ムーンにフィット以上のフィット感であり、天才の所業だ。

引用部分について話そう。
明日と我が身の接続詞を、「は」ではなく「の」を選択することによって、押韻による語感も整う上に、ネガティブな意味もスッと通る。
明日は自分か……ではなく、相手側が一方的に保身をしてくる、絶望感がよく伝わってくる。
さらに、金とハラミという遊び心たっぷりのワードセンスも見逃せない。結局、てめえの金と飯が大事で、手なんて差し伸べてくれない絶望感も伝わる。

ここまで説明しておいて難だが、厳密に言えば、前作の「救ってくれない」と併せて一員になりたいよ活動をすべきなのだろうが、この曲単体だけでも、すりぃ氏の絶望は痛いほど伝わってくる。
何より、この曲は他のポジティブ・トランジションソングとは一線を画すと思った。

更にペースを上げて行こう。ラストのサビ前のラップでもないけどリズムが癖になる謎パートだ。

期待とかしねえから裏切りなんかも飲み込む
(超ピース)
毎晩自分と対話で痛みに気づける
(超ピース)
あいつの顔色伺うゲージを減らさず眠れる
(超ピース)
己の頭で考えるだけの力が身につく
(超ピース)
どうでもいいノンフィクションが誰かのお守りに
(超ピース)
孤独は一人じゃないから得られる特別感でしょ
(超ピース)


ザブングルは解散したのに、思わず出てしまう悔しいですだろこれ。

超ピースの意味はここまで聞いてもよく分からなかったのに、超ピースしたいフレーズを聞いた途端、「うわっ、言いたいこと分かる~」となってしまう。
社会人なら、あいつの顔色伺うゲージを減らせず眠れそうな時、超ピースしたくなるもんな。俺今寝れないから記事書いてるけど、片手で超ピースしてるもん。

そう、この曲の卓越性はここだ。
単にヤケクソに超ピースしているわけでも、前後関係を無視して超ピースしているわけでも、面白ソングとして超ピースしているわけでもない。
絶望を味わい孤独になろうが、それすら包含してステップアップしていく過程こそが、一見ふざけたフレーズに思える、超ピースという優れた解決手法なのである。

この、孤独を肯定する超ピースを表現し、世界観を成立させ、ポジティブ・トランジションソングに仕上げることができるのは、すりぃ氏の卓越した表現力に他ならない。

最後に、クリエイティブの本質部分を引用して終わろう。

だから
ピースピース
歌になっている

クリエイターが、SNSやら他の媒体やら動画やら何やらで、グチグチと文句を吐き出し、誰かといがみ合い、疲弊するのは絶対に違う。
それに終始するのなら、クリエイティブをすべきではない。むしろ害悪ですらある。

何があろうと、黙って自分の全てをクリエイティブに注ぎ込む。
他者が自分を見たいのであれば、完成したコンテンツを通してでなければ、絶対に見ることはできない。
それこそが、理想のクリエイティブではないのか。

最後に、社会人らしく謝罪で終えたいと思います。
クリエイターで無いにも関わらず、偉そうにクリエイティブ論を語ったことについて、この場を借りて、深くお詫び申し上げます。

曲を聞いた瞬間に「あら、記事書きたいわね♡」ってなったので、お許しくださいませ。いつかnoteに記事書きまくりたいと思ってたから、お許しくださいませ。小説書きてえ~とか思っても、金とハラミのために毎日真面目に働いてる以上、許してくださいませ。

てか何で自己紹介より歌詞紹介を先に始めてんねん、と気付きましたが、収拾がつかなくなる故、本日はここまでとさせていただきます。
読んで下さった方、本当にありがとうございます。


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