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中島みゆき過剰考察
どうも、みゆう・うぇいんです。
皆様は、物心ついた時からそばにいる存在は何だろうか?
両親?兄弟?ペット?はたまたずっと住んでいる実家?
私は、中島みゆきだ。
出会いはそう、四~五歳の頃。
両親が運転する車に乗っていると、母親がカーステ(死語)を流した。
「みちにたお~れて~だれかのなを~♪」(わかれうた)
え、ボク、これ、だいすき!!!!!!!!!!!!!
以来、毎日ではないが、毎年欠かさず中島みゆきの曲を聞いている。
おじさんの年齢を特定しても特典はないので明言しないが、少なくとも干支は二周以上回っている。
親許はとっくに離れているが、中島みゆきの曲は、今も生まれ変わることなく、歩き出すこともなく、私のそばにいてくれている。
ということで本日は、みゆき大先生の魅力を、複数の曲に分けて、ハイライト版として私なりに紹介してみよう。
すでに先人達の優れた紹介がたくさんあるが、私の方は衝動性への身の任せっぷりをウリにしたい。
漫才を過剰に考察すると金になるが、中島みゆき大先生を過剰に考察しても愛しかないので、安心して読み進めてください。
(余談だが、私は漫才の方の本は購入済であり、楽しく読了した)
なお、愛のみで書いた結果、金にもならないのに6000文字を越えるという、過剰考察ではなく過剰文量になってしまった。
さすがに、これは全部読めと言うと、巷で話題のリーハラ(リーディング・ハラスメント)になってしまうので、興味のある曲だけでも、見ていってくんなまし。
Q:みゆき大先生の魅力とは?
A:ツバメでも高い空から教えきれないくらい、無数。
と、答えたいところだが、グッと堪えて二点に絞ろう。
美しすぎるほどの切ない対比と、これでもかと迫りくる具体性。
大先生と言えば、失恋ソングのイメージが強い。
事実の一つかもしれないが、それは対比技術が凄すぎて、その落差で嫌というほど、恋を失っていることが苦しいほどに伝わってくるからかもしれない。
一曲目:ひとり上手
まず、タイトルからして失恋してそうだし、実際に初期設定の時点で「わたし」は失恋している。
一番Aメロ
わたしの帰る家は あなたの声のする街角
冬の雨にうたれて あなたの足音を探すのよ
寒気のする失恋が、聞く者の耳を凍らせる。
大先生が用意するシチュエーションは、いつだって天才的だ。
「ただの雨」ではなく「冬の雨」が降ることで、一気に曲の気温が下がる。
そのような状況だからこそ、あなたを想うわたしの情熱の温度が、どれだけ高いか分かる。
ちなみに、あなたの声がする街角というのは、単にわたしの願望ではなく、事実だ。
これは、後で紹介してみせよう。
一番Aメロ続き
あなたの帰る家は わたしを忘れたい街角
肩を抱いているのは わたしと似ていない長い髪
街角の見方を対比させるだけで、こんなにも残酷な失恋を映し出すことができる。
先程の、わたしパートでは、ありありと寒気が伝わってきたが、あなたパートには驚くほど温度がない。
だって、わたしを忘れたいのだから。そこに感情(温度)がないのは、当然。
この温度の対比こそが、切ないくらい想いの一方通行感を演出している。
そして、ここでもう一つ注目ポイントを挙げたい。
あなたが肩を抱く女性の髪型は、どうしてわたしと似ていないのだろうか?
質問を変えよう。
どうしてわたしは、長い髪にしていないのだろうか?
よくよく考えれば、「長い髪の誰か」でも十分なはずだ。しかし、そうではない。
ここで重要なのは「髪」ではなく、「似ていない」ということである。
なぜなら、あなたはわたしを忘れたいから。
もし、わたしが髪を伸ばしたとしたら、次は「似ていない長い爪」とかになるかもしれない。
それを分かっているからこそ、わたしは髪を伸ばすことができない。だからこそ、わたしは「似ていない長い髪」という歌詞を変えることができないのだ。
二番Aメロ
雨のようにすなおに あの人と私は流れて
雨のように愛して サヨナラの海へ流れついた
雨なという例を用いて、恋の始まりと終わりを描く。
その圧倒的な表現力について、今更言及するつもりはない。
私が注目したいのは、雨に例えられた恋愛は、海へ流れつく(失恋することが決まっている)ということである。
一番Aメロで、大先生は「冬の雨」を降らせている。それは単に、雨の例えを持ち出したのではない。
例え、あなたの足音を探そうと、どうせ最後に待つのはサヨナラの海なのである。
二番A続き
手紙なんてよしてね
なんどもくり返し泣くから
電話だけで捨ててね
僕もひとりだよとだましてね
何か凄いか、お分かりだろうか?
最後の部分に注目してみよう。
もしも「わたしを忘れたい長い髪の人」の存在を、わたしにバレているとあなたが知っていたら、こんな表現にならない。
わたしはあなたの現状を知っているのに、あなたはわたしのことを知らない。だからこそ、だましてほしいなんて言える。
あなたの声のする街角にいるからこそ、ここまで切ない対比を生み出すことができる。
歌詞に描かれている部分と、そうでない部分を拾い上げることで、クッキリとした対比の輪郭が登場する。
こんな贅沢な歌詞の楽しみ方を提供してくださる大先生には、感謝しかない。
二曲目:誘惑
タイトルだけで判断すると、どこかエロティックな世界観でも披露してくれそうだ。
そんな期待をよそに、大先生は意味深で冷えた恋愛模様を繰り出してくる。
一番Aメロ
やさしそうな表情は 女たちの流行
崩れそうな強がりは 男たちの流行
本当のことは言えない 誰も口に出せない
黙りあって 黙りあって ふたり心は冬の海
対比・ザ・対比。
「そうな」という言葉遣いが、たまらねえのよな。
本当のことが言えない度合いに、拍車がかかる。ちなみに、何を口に出したかったかは、後で明らかになる。
それにしても大先生は、冬がお好きだ。
何か言わなければならないのに、二人は黙ったままで、間を埋めるように凍えた波の音だけが聞こえる空間――。
そんな世界に、誘ってくれる。
一番Bメロ
悲しみは爪から やがて髪の先まで
天使たちの歌も 忘れてしまう
この悲しみから、次のサビへと移ろう。
サビ
あなた鍵を置いて 私髪を解いて
さみしかった さみしかった
夢のつづきを始めましょう
迫りくる圧倒的な具体性の前に、私の脳裏に浮かんだ妄想映像を下記に記す。
外では本音を言えなかった二人は、あなたの家に入る。
その後、あなたはソファーに座りながら、テーブルに鍵を置く。私も同じくソファーに座りながら、髪を解く――。
スーパー私見だが、サビのフレーズはメタファーがえげつないと思っている。
鍵(強がり)を置いたあなたは、本当のことを言える
髪(やさしさ)を解いた私も、本当のことを言える
二人の行動を対比で描くことによって、本当のことを言える、という共通の心理描写を描き出す。
夢の続きが何なのかは、歌詞で言及されていない以上、想像の域を出ない。
そこに想いを馳せるのも、大先生の曲の醍醐味だ。
二番Aメロ
ガラスの靴を女は 隠して持っています
紙飛行機を男は 隠して持っています
ロマンティックな話が けれど馴れてないから
黙りあって 黙りあって 寒い心は 夜の中
対比・ザ・対比その2。
大先生の豊かなメタファーは、現実と夢を対比させる。
女が隠し持っているガラスの靴は、まるでシンデレラ。ロマンティックな空間で過ごす時間は永遠でなく、いつかは現実に戻らなければならないことを知っている。
男が隠し持っている紙飛行機は、夢へと飛び立ちたい願望。ここでニクいのは、「紙」であることによって、どこか弱々しい、不安な雰囲気を漂わせる。
更に大切なのは、それらをお互い隠し持っていること。
ロマンティックな話のはずなのに、二人は黙る。それも当然で、お互い知らないのだ。
男からすれば、女は無制限にロマンティックなままでいられる(こちらが勇気を出さなくて良い)と勘違いし、女からすれば、そんな話には興味がない(こちらがわざわざ口に出す必要がない)のだと勘違いする。
本心は、違うのに。
このままだと、すれ違ったまま終わってしまいそうだが、先述した通り、サビで対比による解決が待っている。
少し長くなるが、もう一つだけ言わせていただきたい。
皆様は「慣れる」ではなく、「馴れる」を選択する大先生のセンスに気付いただろうか?
インターネット検索の辞書から、意味を引用してみよう。
動物が人になつくこと、動物の人間に対する警戒心が解け、なじんだ状態
二人は、ロマンティックな話に単に慣れていないだけでなく、警戒心がまだ解かれていないのだ。
さて、最後の歌詞紹介部分へと映ろう。
二番Bメロ
悲しみを ひとひら
かじるごとに 子供は
悲しいと言えない 大人に育つ
解き放たれる、切ない伏線回収。
二人は何を口に出せず、黙りあっていたのか。
悲しい、という言葉である。愛してる、とか、好き、ではないのだ。
鍵を置いたあなたと、髪を解いた私。二人はようやく「悲しい」と口にする。
そんな簡単なことが言えなかったから、さみしかったのかもしれないし、警戒心が解けなかった(馴れない)のかもしれない。
全てを解きほぐした二人は、夢の続きを始める――。
実はもう一つ、歌詞を読んでもハッキリしないことがある。
タイトルは、どうして誘惑なのか?
インターネット検索の辞書から、意味を引用してみよう。
心を迷わせて、さそい込むこと。よくないことにおびきだすこと。
大先生は、二人だけの世界を描いていない。
「男」「女」は全て抽象的な表現であり、悲しいと言えない大人がたくさんいるのだ。
そんな世の中に、「悲しい」と言い合えて夢の続きを始められる二人は、世間から逸脱した男女関係の誘惑に、負けてしまったのかもしれない。
三曲目:あした
さすがに長いって。あしたもお前、仕事だろ?
皆様の時間を犠牲にしていると思うと、本当に申し訳ない。
でも、大先生の対比を紹介する上で、大好きなこの曲だけは外せないんだ……。
一番Aメロ
イヤリングを外して 綺麗じゃなくなっても
まだ私のことを見失ってしまわないでね
フリルのシャツを脱いで やせっぽちになっても
まだ私のことを見失ってしまわないでね
さりげない表現こそが、美しくかつ難しい。
何てことはない、愛とは見た目ではない、というメッセージ性が込められた場面。
……のはずだが、陳腐ではない。
なぜなら、「愛していてね」ではなく「見失ってしまわないでね」だ。普通に聞いていたら、聞き流してしまうくらい、さりげない。
愛とは見た目ではないにしても、どこまでだったら私を私として愛せるか、と試すかようなフレーズ選びのセンス。
大先生の人生観は、一度で構築できるような代物ではない。
ちなみに、このAメロは次のBの壮大なフリになっており、センスあるフレーズがひっくり返される快感すらある。
一番Bメロ
カーラジオが嵐を告げている
2人は黙りこんでいる
形のないものに 誰が
愛なんて つけたのだろう 教えてよ
試すかのようなAメロから一点、暗く寒い車内に移り変わる。驚く間もなく、悲痛な問いかけが我々の胸を突き刺す。
Aメロで「まだ」見失わってしまわないでね、と頼む私が、どれだけ切羽詰まった状態か、分かるだろうか?
黙り込んでいる場面から、二人が上手くいってないことは、どう考えても明らかだ。
イヤリングをどうしようが、体型がどうであろうが、意味はない。何故なら、どこまで私を愛してくれるかどうかに関与しないからだ。
おそらく、あなたは私を見失いかけているのだ。
私は、意味がないことを知りながら、形のあるもので愛を形容しなければ、あなたにお願いできないのだ。
でも、愛に形はない。
だからどうしたら良いか分からない。
こんな形のないものに、愛なんて名付けなければ、私がこんなに苦しむことはなかったのだ。
聞いている我々にも、愛の悲痛さがこれでもかと伝わってくる。
こんな状態でサビに移られた日には、気になって夜も眠れない。
サビ
もしも明日 私たちが何もかも失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて
愛は残酷だ。
やせた猫(辛うじて人間で無くなってしまった)になっても、何の得もなくても、形が無くて苦しんでも、愛が何なのか知りたくて仕方がない。
しかも、歌詞をよく読んでほしい。「言えるならその時」なので、結局愛は聞けておらず、答えは不明だ。
愛は、様々な曲で幸せとして歌われる。失恋ソングでも、愛した過去は良かったものとして処理される。モテない人間でも、愛への憧れが描かれる。恋愛でなくとも、人間愛だってある。
肝心の、愛そのものは一体何なのだろうか?
大先生は、残酷なまでの問いかけを突きつけてくる。そして、答えの出ない残酷さを、この曲で私とあなたへ突き刺している。
さらに、答えを出さずに突き放す。
そのままサビを終えるなんて、前代未聞かもしれない。
二番Aメロ
抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ
ガラスなら あなたの手の中で壊れたい
ナイフなら あなたを傷つけながら折れてしまいたい
愛がどれだけ分からないものなのか。
ここの対比こそが、最も残酷で、あまりにも美しすぎる。
ここの歌詞をあえて詳しく説明するのは、野暮すぎる。
誰かを一ミリでも愛した経験のある人間なら、誰しもが、どこか共感できるフレーズではないだろうか?
私が強調したいのは、こんなにも迷い、傷付き、鬱屈した思いを抱えながらも、結局愛の正体が分からないことなのだ。
二番Bメロ
何もかも 愛を追い越してく
どしゃ降りの 一車線の人生
凍えながら 2人共が
2人分 傷ついている 教えてよ
どれだけ努力しても、愛だけが分からない。
それを表現する「何もかも愛を追い越していく」なんてフレーズ、どうやって生きてたら思い付くのだろうか?
さらに、残酷なフレーズは続く。
一車線の人生は後戻りできない上に、方向転換ができない。つらいどしゃ降りであっても、進み続けるしかない。
一番残酷なのは、2人分凍えている点だ。
これが1人分であれば、車線は二つに分かれるかもしれない。つまり、別々の人生を歩むということだ。
2人分凍え、互いに一車線の人生を進んでいる以上、愛を見つけなければ、どしゃ降りは止まないのである。
終わりに
ここまで読んで下さった方がいたら、私は言いたい。
ありがとうございます!!!!!
文章でやりたいことがたくさんありますので、歌詞紹介に限らず、今後ともよろしくお願いします!!!!!!
……気付けば今回も長文になってしまったが、私なりの大先生への愛(形のないもので正体不明)を示すことができて、えらい楽しかった。
なお、賢明な皆様ならお気付きかと思うが、大先生に限らず歌詞の読み取り方は、人それぞれである。
大先生については、偉大な先人達の歌詞考察も拝読したが、同じ歌詞でもここまで読み取り方が違うのかと、楽しませていただいた。
名曲が多いからこそ、歌詞が意味深だからこそ、ファンが多いからこそ、各個人の考察のブレを楽しめる。
それも、大先生が残してくれた魅力の一つかもしれない。