結局、わたしは洋服を作ってない
長年勤めた建設会社をついに辞めて。「よっしゃ、海外行くぞ――っ!まずはファッションショー巡りだ♪」って張り切っていた頭とココロは、あっさりコロナにへし折られww
そのままなぜか一歩を踏み出せないまま、縁があってかナイのか。わたしの邪魔してるのかww建築にそのまま縛られ、忙しいだけで状況はどんどん悪くなって下り坂。もがいて息吸うだけで、お金も時間も流れきって、振り向けば
「服も、ショーも、ウォーキングも。スタイリングも、何もやってなーい。バカなの???」な、状況に陥った。
せっかくなけなしの休みとお金を使って、無理やりファッションデザイン科に通ったのに。結局、なーんにもカタチになってなくて。本来の目的だった建築×ファッションと、価値あるモノづくりに関わる!ってところにすら何も落とし込めていない。そもそも、今そんな場所に立ってすらいない。
『作る』ことがこんなに遠くなるなんて、在学中も会社員時代も思ってもみなかった。
在学中によく質問しに行っていた先生は、マーケティングや市場を動かすことを仕事にしているN先生だった。おちゃらけているのに、いつも的確。60代に差し掛かってるとは思えないバイタリティと、作ることに対しての情熱が洩れている。
「なんで国家資格を持ってブルーオーシャンの中で仕事していて、無資格でできる仕事にわざわざ就こうとするかねww」
「ファッションに関わることをやってみたかったんですよねー」
「バカがここにもいたwwだが、ファッションにとってどこまで行っても建築は必要だ。能力の掛け算の仕方を間違えるなよ」
海外ブランドのメゾン出身で、デザインもパターンも描けて、しかも自分で縫えてしまうN先生は、デザインよりもマーケティングが大好きに見えたし、なにより博識だった。
バイヤーや広告、マーケティングに幅広く関わってた。現役でいろんな業界の色んな人とモノを繋げて、『新しいモノづくり』に関わっていた。
生き生きとして、教えることに楽しみを見出している50代最後ー
会社の社長をやりながら、学校の臨時教師をこなすとっても珍しかった先生は。キラリと光る子たちの能力を引っ張り上げるのが、とても上手い指導者にも見えた。
ファッションがやりたくて入学してきた子たちの中からは、毎年その発想力に先生の助言が組み重なって、ごくわずかの数人から『新しいモノ』が生まれていた。
今やみんなが普通に使っているアプリの製作に関わった子や。もともとあったものを改良して、新しい素材を生み出しDIYの世界に衝撃を走らせた人もいる。そんな話を聞いているのは最高に楽しかったし、今動いているプロジェクトの話にもワクワクした。
でも、同時に悔しかった。短い時間でも、教えを学べる時間がある中で、わたしには広げられるアイデアがコレと言って何も浮かばなかったから。聞き側にいるだけで、手を動かす場所にすらいられなかったから。
わたしは異業界で何ができるのか?
異業界で何を成したいのか??
「今までのスキルを使わずに、わざわざ0からやる必要はない。今、持ってるもんと掛け合わせろよ。なけれゃ作ればいいだけだ」
「2次元を3次元に変えているのは同じだ。建築の常識とファッションの常識を入れ替えて考えろ」
「どちらも近い将来、職人はいらなくなる。じゃあ、職人が必要となる場面、技はどこか」
「建築が機械でやっていて、ファッションが機械に頼れないモノはなんだ」
「どうやったら、材料が無駄にならずに有効活用できるのか。どうやったらファッションと融合する空間を演出できるのか」
『クライアントの問題解決ができない作り手なんていらねーんだよ』
新卒にはない価値を、中途は企業側に提供する必要がある。同時に『業界という場所に縛られるな』という意味もある。
ファッションって、生きること。
洋服って、纏うモノ。
表現方法の一つであり、誰かの人生に寄り添い・支えるもの。
常に進化するもの、意志を受け継ぎ進化させるモノ。
そんな優等生な答えがストン、とわたしのお腹に落ちるには一体どのくらいの時間があればいいんだろうね。
実際、仕事としてはわたしの経歴がファッション業界でどう役に立つのかなんて、その中を知らなきゃ「絶対できます!」なーんて、言えないし。むしろ邪魔でしかないでしょ。普通に考えたら。一時、ダンサー業界にいたとは言え、わたしの人生の8割は『建築』の中に埋もれてて。振り向けば多くの時間が建築を中心に積み重なっていた。
もし、何か通用するとしたら『中間管理職』『人事』『プレゼン』『折衝』ぐらい?あとは、洋服の魅せ方に必要な空間とか??どちらにしても、『企業』の域を出れなかったの。『自分で』作り出そうって強く強く思えなかったの。
ないなら、作ればいい。
誰の問題解決をどう、請け負うのか。
いろいろやってみたけど、どれもこれもカタチにならなかった。
余計なことに時間と精神力を削がれたのも、めちゃくちゃ痛かったし。
一言で言えば、「大失敗ーーっ」な2021年。
正直なところ、学校なんか行かずにさっさと誰かのアシスタントかどこかのメーカーに入れてもらった方が、もしかしたら経験として良かったんじゃないかとか、もっと違う道が見つかったんじゃないかって思う時もある。
でも、当時は会社をすぐに辞めるということを考えていなかったし。なんとなーく、手にしたパンフレットからココに行くべきだと思った。直観的に。
結果、1年経った今でもわたしは1枚も洋服を作ってない。
でも、必要に迫られたイラレとフォトショがちょっぴし使えるようになって。パンフレットとかのデザインに口出しできるようになった。
尊敬する先生たちに出会えたおかげで、思考に幅は確実に広がった。会社を辞めた今でも組織や教育、企画・プレゼンは磨き続けたいとおもっているし、なぜかちょっぴり関わってる。
学校に通ったおかげで、建築とは違う『色』の捉え方と伝え方を学び。
おかげで、今バースカラーインストラクターとして色を生かすことで生まれ持った得意を強化する仕事にも繋がっている。いろんな方の人生の側面を、並走できることはいい刺激にもなっている。
やっぱり、いくつになっても人生いつでも思い通り!!ってわけにはいかないけれどww求めてた答えは、すぐには手に入らなかったけれど。
結末はいつでも意外な方法で次の道を示してくれる。
間違った道を進んでる時は、強制終了が入る。
卒業できた、ってことは意味のある時間だった。
服、まだ作ってないけど。
掛け算の仕方をもう一度考え直してみるか!っと思ってたら、あっちゃんのYouTubeが突然上がってきたのでww
我慢しない働き方でどこかの誰かに貢献するために。
『能力は、タグれ♪』