大阪兵庫戦争

 令和二年六月十四日、コロナウィルスによる往来自粛問題を巡って三ヵ月前に始まった、大阪・兵庫両知事の舌戦は、遂に、大阪兵庫戦争の勃発をもたらした。
 大阪勢の竹中工務店部隊が、神崎川の橋を全て落とし、交通を遮断する。これに対し、兵庫勢は神戸製鋼の資材でバリケードを築いて防戦体制に入った。
「なんで、大阪の連中に簡単に尼崎の橋全部落とされとうん!」
「尼の連中信じたらアカン。あいつら市外局番06や」
 井戸兵庫県知事は、淡路からの玉ねぎの海上搬出を停止。これに対して吉村府知事が、「泉州には玉ねぎでも何でもある。淡路なんて、玉ねぎしかないやん」と発言し、激高した淡路北部の海上保安庁支部は、ヘリを搭載した、つがる型巡視船を大阪湾沿いに展開して海上封鎖を図った。
 軍事衝突となると、兵庫勢には強力な陸自第三師団が伊丹にある。府知事は側近に尋ねた。
「うちの自衛隊基地は?」
「知事、府内に自衛隊基地ないんです。唯一あるんが難波の『ナンバ募集案内所』です」
「何で自衛隊カタカナやねん。ナンパの斡旋所かと思たわ」
 蓬莱が兵庫から撤退して、兵庫の豚まん飢餓状態を狙うが、兵庫勢は、老祥記、一貫楼、四興樓が、供給を保証し、膠着状態に入る。
 ところが、大阪王将が、京都の餃子の王将との半世紀に渡る抗争を終わらせ、珉珉とも手を組んで、今度は餃子飢餓を狙う。兵庫には餃子のチェーンがなく、個別の店だけでは、餃子の大量供給は望めない。
 兵庫勢の心配は、餃子だけではなかった。長さ二キロちょっとの滑走路一本の神戸空港だけでは制空権を失う。井戸県知事は叫んだ。
「伊丹空港確保や!」
 兵庫勢の苦境を見た吉村府知事が叫ぶ。
「大阪空港確保や!」
 かくして、両府県にまたがる空港が、最大の激戦地となった。
 滑走路に兵庫勢が展開する中、空港ビルを大阪勢が占拠し、屋上で餃子を見せびらかせながら食べ始める。
「そこどいたらんかい!」
 山菱の代紋が金色に光る消防車が、空港ビルに迫る。これは兵庫勢への神戸からの援軍だ。
「うちら大阪のヤクザは何してんねん!」
「大阪はヤンキーはいるけど、ヤーさんは全部神戸の組の傘下や」
「そら、あかんわ。あ、消防車が、何か噴射しとる!」
「味噌だれや! あんなもん、餃子にかけられたら、食べられんようになる!」
 周りには、餃子に味噌だれをかけられた府民が悶死してる。
 県内に飢餓状態がないことを見せつけようと、川崎重工のクレーンがお好み焼きを空港ビルに向かって大量投てきし始めた。
「何これ。お好み焼きに牛筋入ってる!」
「信じられへん! あ、でもこれいけるやん」
 これを機に大阪勢の投降が相次ぎ、令和二年六月二十九日、後に歴史で言うところの大阪兵庫十五日戦争、いわゆる、ぼっかけ戦争は終結した。