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それでも私たちのアリエルは死なない。映画『リトル・マーメイド』感想

映画の感想といいつつも、これはほぼ世の中の声に向けての私が思っていること。

毎日思いがあふれて止まらないので、

誰にも見つからないかもしれない。でも誰かの目に留まって何かを変えるかもしれない

海にメッセージを入れた小瓶を流すような気持ちで、ここに記しておこうと思う。

実写版『リトル・マーメイド』を観てきました

まずは純粋に映画の感想から。

ディズニーで一番好きなプリンセスはアリエル、こどもの名前はメロディにしたいと本気で思っていた子供時代でした。

プクプクのフランダーを返せ。許さないからな。と闘う気満々で観にいった『リトル・マーメイド』in シネマイクスピアリ

そこはあるんだ、そこはないんだ、といろいろな改変があるものの、概ねアニメ通り。
なにより私は、アリエルとエリックが惹かれあう明確な理由が描かれたことがよかったです。
ふたりの恋の中心にはお互いの尊敬と共感がある!
それが伝わるからこそ、原作ではなんとも思わなかった執事のグリムズビーとの絆も際立ったり。
逆にルイという最高に濃いキャラクターがいなくなっていたけど…
彼に会いたくなったら、アニメ版に会いにいきましょう(笑)

そして、アリエル。
驚きました、ハリー・ベイリーはアリエルだったから。

流石のアースラや、話題になっているヴァネッサもすごい再現力の高さ。
スカットルはオークワフィナがパワーアップさせて、心配だったセバスチャンもフランダーも実写だったらこうなるのか~と納得できた。

でもアリエルは本当にそこにいました。何より歌。
誰もを虜にし、時には怪しい魔力を持つようにも描かれる人魚の歌。
ハリー・ベイリーは並みじゃない圧倒的な歌唱力で、アリエルを演じてくれました。

アニメのほうが好きな部分もあるけど、実写の好きな部分もたくさんある。
これが2023年の『リトル・マーメイド』か!
そう思いました。

それから、少し離れていた席に座っていた女の子。
最初から泣いていました。
わかるよ、夢に描いてきた世界がもっとそばに来てくれた。とっても感動したよね。
わたしももらい泣き。

これも映画館でみる映画の醍醐味。

ハリー・ベイリーのキャスティングについて

そしてここからが本題。
あらゆるSNSで議論の的となっている、アリエル役についてのキャスティング。毎日のように、みないようにしていてもたくさんの言葉が目に入ってきます。


私もアニメのアリエルが好きな子どもたちの一人でした。
イメージが違うのではと思ってしまった、その気持ちは理解できます。
でも「人種差別ではない、黒い肌をもつアリエルは原作通りのイメージではない」と批判することに、大きな疑問を抱きます。

忘れてはいけないのは、ハリー・ベイリーは何百人のなかの候補から選ばれたアリエルなんです。
オーディションを行い、たくさんのアリエル候補たちがオーディションにチャレンジした。
その中には白い肌で緑の目(わざとこう書きますが)の子もいたかも。
それでも、誰よりも“原作通りのイメージだった”のが、ハリー・ベイリーなんです。
それは、映画をみればよーーーーくわかります。

それに、これってすごく素敵なことなのではないでしょうか。
オーディションでは人種や見た目に関係なく、アリエルになるチャンスがあったってこと。
自分のような見た目のアジア人がアリエルになったかもしれない。
アリエルは遠い憧れだった時代から、アリエルになれる時代に。(アジア人はいなかったのなら、私は抗議します)
それって素晴らしくディズニーらしいじゃん。

こう考えてみてほしい。
これは私の妄想だけど、
ある日、アリエル役のオーディションを受けたハリー・ベイリー。
監督に「彼女がアリエルだ!」といわせ、実力で役を勝ち取りました。
しかし現れたヴィラン。どっかのなんか偉そうな人が「ハリー・ベイリーは黒い肌で、アリエルではない。ふさわしくない」
こうしてハリー・ベイリーのアリエルはまだ撮影できていません。
ここで世界中にニュースになっていたら?
みんな、「それは人種差別だ!」と思うのでは。

「アニメのファンだったから」「これは人種差別じゃないんだけど」というコメントには
それは結局人種差別なような…と思わせるもの、
え?と思うような悲しい言葉が続くこともある。

なかには肌の色と美しさという概念を一緒くたにしているひどい発言もある。

こんなんじゃ、「セバスチャン、やっぱり人間の世界は最低だった」と海に帰るしかないよ。
みんな、優しいきもちを思い出して。

「これは人種差別じゃなくて」という言葉は免罪符になる?

インターネットのリトルマーメイド関連のコメントは、「これは人種差別じゃなくて」というコメントがお決まりになっている。

「この意見で納得した」と賛成が多く見えるようなものに、
「これは人種差別じゃなくて、ティアナやモアナを白人が演じても私は嫌だ」というもの。
これに私は疑問を感じ得ない。

言いたいことは伝わる。
でも、“ティアナやモアナを白人が演じて”というのはホワイトウォッシングと呼ばれる人種差別問題のタブー。
私も大人になって学んだことなので、日本で暮らす人々にとっては耳なじみないかもしれないが、簡単にいうと現在のハリウッドではあり得ないこと。

これを知らなかったのは問題ではなく
人種差別のタブーを知らない私たちに、この発言は“人種差別ではない”と判断できるのだろうか?

「ハリー・ベイリーにはモアナを演じてもらえばよかった」というのもそう。
ハリー・ベイリーと、ポリネシアン系のモアナが“同じ”にみえる私たちに、人種差別が何たるかがわかるのだろうか。

歴史をみればわかるはず。
差別はいつだって、してきた側は気づいていなかったこと。

それでも私たちのアリエルは死なない

それでも私のアリエルは壊されたくないんだ!
そう思う人はいると思う。
わたしはそんな人たちの隣に座って、こう言いたい。
「私たちのアリエルは、泡になって消えたりしないよ」

夢も好きな人も自分でつかみとるアリエルが現れても、シンデレラや白雪姫は消えなかった。
王子様は出てくることのなかったモアナが人気になっても、ベルやラプンツェルはそこにいる。
ディズニーだって、アニメ版アリエルは間違いでした!と言っているわけでなはい。

ただ、私たちが大切なおもちゃを次の子どもたちに渡すときがきた。
大丈夫、心のなかの思い出は消えない。
わたしは、今の子どもたちにもわたしが「宝物」とおもったものを、同じようにおもってほしい。

もちろん大人だってリトル・マーメイド(2023)が好き!と思っても
子どもたちがリトル・マーメイド(1989)のほうが好きと思ってもいいよね。

リトル・マーメイド(2023)が成功だったのかは、すぐにわからない。
10年後くらい、もしかしたらもっと早く
今のこどもたちが大人になり「実写版のリトル・マーメイドでアリエルが大好きになった!この映画は宝物」と同じように思うのなら、
この映画は大成功といえるだろう。

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