在外公館派遣員の試験、記憶の限り話してみる。
こんにちは、ビバです。
私は、第70回在外公館派遣員として、2009年9月~2011年9月の2年間ペルーの日本大使館で働いていました。
在外公館派遣員になるには、
・一次試験:外国語試験、一般常識、日本語作文、 適性検査
・二次試験:日本語面接、外国語会話
と、2回試験を突破しなくてはいけません。
今回はその試験について、記憶の限り覚えていることを全て話してみます。
10年以上も前なので、もしかして今は違っているかもしれませんが……
あ、ちなみに面接に1回落ちてるんです。
なので、その時の記憶はめちゃめちゃ鮮明です笑。
それではいってみよー!
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一次試験:外国語試験
2種類プリントがありました。
1つは、スペイン語基礎的なもの。
A4サイズの冊子で、ページ数はそんなになかったような。マーク式で、単語・発音・文法について回答して、全然難しくなかったです。
スペイン語基礎を勉強していれば、
問題ないレベルだと思います。
もう1つは、翻訳や長文解読的なもの。
小学校でよく使っていた安いザラザラのわら半紙みたいな紙だったことが、私の中ではインパクト大でした笑。
(disってはいない)
日本語→スペイン語も、
スペイン語→日本語も、
どちらもあって、全部で6問くらいかな?
試験対策として、international Pressというサイトで私はスペイン語を勉強していて、たまたま汚染米と花火大会延期の記事を読んだのですが、なんと!なんと!同じような翻訳問題が試験に出題されたんです!
あれは超ラッキーでした。
もうすんごい記憶に残っていて、心の中でガッツポーズしました。
一次試験:一般常識
正直、あんまり覚えていません……
(ふざけんな)
当時、就職活動もしていたので、「あー、就活しててよかったー」っていうのはなんとなく覚えています。
つまり、新卒就活の一般常識ってやつだと思います。
一次試験:日本語作文
これもちょっと曖昧です……
(おい、ふざけんな)
「どんな派遣員になりたいのか」「なぜ派遣員になりたいのか」とか意気込み的な作文を書いたと思います。
文字数は限られていて、A41枚に小さいマス目が文字数分あって、そこに記入する形式でした。あと、マス目がめちゃ小さい。
あらかじめ文章構成を組み立ててから書くといいと思います。
「コミュニケーション能力があるから、海外で働けます!働きたいです!」とかだと、文字数がもたなく印象の薄い文章になるので、「自分なりのこういう経験がある→だからこれが得意だと実感した→だから派遣員でこんな風に働きたい」とかだと文字数を程よく満たして、説得力を持つんじゃないかと思います。
あ、あくまでもこれは持論です。
一次試験:適性検査
心理テストみたいで、意味不明でした。
これは努力のしようがない。
検査の中に、1〜9までの数字をランダムにひたすら書くやつがあったのですが、途中で頭がおかしくなりそうで、自分の携帯番号とか実家の電話番号を書いてしまいましたwww
二次試験:日本語面接
ここで一度落ちてます。
(悲しい思い出)
2回目の受かったときよりも、落ちたときの面接のほうが、記憶に残ってますね。
まず、ドアをノックすると、
THE面接って感じで、長机にスーツの大人たちが4名くらい座っています。
自分の椅子が真ん中にひとつ。
サイドに、事務的な人が3名くらい。
でもね、ドアが緩かったのか、ドアをバーーーーーーーーーーンッ!!!!!!!!!と開けてしまいまして……まるでジョジョの効果音が付きそうな勢いでしたね。
面接官の上品なマダムが「ヒィッ!!」と言いながら両肩を上げて、すごい冷たい目で見てきたことが今でも忘れられませんwww
もうその時点で落ちたと実感していたので、あとはあんまり覚えていません。
たぶん志望動機とか、どんな派遣員になりたいとか、派遣員の経験を活かして将来はどうなりたいとか。
2回目の面接では、ドアに気をつけて無事合格しましたが、ドアに80%くらい集中してたので、あとは全然覚えていません。
とりあえず、木のドアには気をつけろ!
二次試験:外国語会話
こんなのあったっけ?www
趣味とか休日の過ごし方とか、ライトなものだったと思います。
ちなみに、面接前は全員同じ部屋で待機なのですが、異様な緊張感でした。
手のひらに人という文字を何度も書いている人、落ち着かないで歩いている人、よし!って気合を入れて出ていった人とかいたな。
何が評価されたのか
試験のフィードバックや合格理由は教えてくれないので、正直わかりません。
ただ、実際に大使館で働いていてみてわかったのは、語学力や海外経験ではなく、集団の中で周囲の人とどれだれ協調性をもって生きていけるかどうかが大切ということ。
海外ではあるけれど、私達が行くのは日本大使館です。つまり小さな日本社会であって、そこで定められた期間ちゃんと生きていかなければいけません。そこで人間関係が悪くなったら、逃げ場がないんです。
だから、日本人、現地職員さん、現地の日本人コミュニティ、など周囲と協力してコミュニケーションが取れて生きていける人が大切だと実感しました。
(わがまま、自我が強い人は終わるぞ)
最後に
あくまでもこれは2009年時点のものです。
今は内容が変わっているかもしれませんが、最後に言ったことはいつまでも変わらないんだろうなと思います。
色々とザックリはしょりますが、本当にいい経験でした!自分の人生の誇れるパートです!
目指している方は、頑張ってくださいね!
アディオス!