ピグルと精神分析的世界観
ウィニコットの『ピグル』を読んでいる。そして面食らっている。自分が馴染んできた世界とあまりにも異質な言語世界に驚きを隠せないでいる。この本に書かれていることがそのまま受け入れられている状況が全然想像できない。やろうとしていることや起きていることはなんとなくわからないでもないのだけれど。
ピグルは精神分析に通じた両親のもとに生まれたが、妹が生まれてからの成長が想定通りの望ましいものではなかったらしく、心配した両親に連れられてウィニコットのところに精神分析的治療に来るようになった。それは通常の週に3〜4回のセッションではなくオンデマンドで、2年余りの間に全16回の面談?とそのあいだの文通で構成されている。
で、ウィニコットはどうやらピグルの言語世界に合わせることで子どもの理解を得て、それを精神分析的に解釈してまたピグルの世界の言語に落とし込んでいるらしいことはわかる。それがポジティブな影響を及ぼしているらしいこともなんとなく伝わってくる。おじさんであるウィニコットが「ウィニコットはとっても欲張りな赤ちゃんだから、全部のおもちゃが欲しいんだ。」(p.34)とか言ってるのはかなりシュールなのではないかと思うが、まあわかる。
しかしだ。たかだか2歳そこそこの幼女に向かって妊娠とか出産とか、とにかく解釈が性的すぎる。「それは、父親のペニスに対する母親の口唇的に貪欲な体験の空想を示唆していた」(p.60)とか言われても、幼児の頭の中をこういう風に理解するんだというのは、正直全然ついていけない。いいとか悪いとか以前に世界観が違いすぎる。
私は3回目まで読んで、母親の不安や緊張があまりにも強くてそれがピグルに伝播してるのが直接の要因で、妹が産まれたことで相対的に手薄になったことが間接的な要因なんじゃないかと思ったんだけど、まあそういう通俗的な言葉では説明しないんだな。
今のところ流し読みみたいな感じだけど、最後までたどり着けるかしら…