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ゼレンスキー氏がフランス政府専用機に搭乗し、航路を開示するのは異例ではない

先日のG7広島サミットにおいて、ウクライナのゼレンスキー大統領がフランス政府専用機で電撃来日し、その経路が公開されていることが話題となっているようです。

しかし、ゼレンスキー大統領が外国の政府専用機に搭乗することも、搭乗機の現在位置を公開することも特に新しい動向ではありません。今回はOSINTの手法を用いて得た情報を用い、要人搭乗機の航路データやゼレンスキー大統領による過去の海外訪問を解説していきます。

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本稿は筆者個人の考えを示すものです。現在および過去の所属、本文中に言及した人物・組織などとは何ら関係なく、文責は筆者に帰属します。
また、本文に誤りを含む可能性は排除できません。訂正が必要な場合、出来る限り対応し、訂正箇所を明示します。

OSINTとは?

オープンソース・インテリジェンス(Open Source Intelligence)の略で、公開情報を用いた(≒侵入や不正入手によるものではない情報を用いた)諜報活動が原義です。近年はその手法がジャーナリズムなどにも応用されており、ウクライナ侵攻の戦況分析やファクトチェックにOSINTのノウハウは不可欠となっています。著名なOSINTグループとしてイギリスのBellingcatやオランダのOryxが挙げられます。

「航路データが筒抜け」は通常通り

朝日新聞の記事では、評論家の方が「航路データがFlightradar24において一般人にも筒抜けであった」ことを問題視しています。筆者は、過去のデータ追跡の経験より、これは今回に限った話ではないと考えています。背景知識が長くなるのですが、順を追って説明していきます。

Flightradar24というサイトはご存じの方も多いと思います。世界中の航空機の位置をリアルタイムに表示するWebサイトです。
このサイトの仕組みについて説明する前に、ADS-Bについて解説する必要があります。

ADS-Bとは

放送型自動従属監視(Automatic Dependent Surveillance–Broadcast)の略で、簡単に言ってしまえば「航空機が衝突防止や航空管制のために、GPSなどで取得した自分自身の位置情報を周囲に発信する仕組み」です。この電波は文字通りブロードキャスト(配信)されており、アンテナを立てれば誰でも合法的に傍受することができます。また、その受信データも機密扱いされることはなく、多くの国でこれを他者へ転送しても違法性はありません。
Flightradar24は世界中のボランティアによって収集されたADS-Bのデータを集めて、リアルタイムに表示しているというわけです。

……というのが基本的な解説になります。こういった解説はよく見かけると思いますが、後ほど重要になるため、この記事ではもう少し踏み込んだ解説をしましょう。
筆者がセキュリティの勉強会で以前使用したスライドを用いて説明します(航空管制の仕組みは複雑であり、本記事の説明は簡易的な説明にすぎないことをご留意ください)。

レーダーの仕組み

大昔、ADS-BはおろかGPSが存在しない時代の航空管制といえば、シンプルなレーダーによるものです。電波を送信し、それが物理的に跳ね返ってきた様子を画面に表示するというものです。この画面に映る「点」は航空機を表すわけですが、どの航空機か識別する情報は載っていません。当時の管制官はこれを人力で区別していたわけです。これを1次レーダーと呼びます。

ここで2次レーダー(Secondary Surveillance Radar:SSR)の登場です。2次レーダーは、管制側が質問信号を1030MHzで送ると、航空機のトランスポンダが1090MHzで応答信号を送信します。1次レーダーでは遠くの航空機を捉える際に強い電波・電力が必要でしたが、2次レーダーでは航空機側が応答してくれるため、効率が良くなります。また、物理的な反射ではないため、航空機側が自機の情報を伝達できるようになります。

※なお、1次レーダーと2次レーダーは組み合わせて使用されます。1次レーダーで捉えた物に2次レーダーの情報を載せる、というイメージです。

また、2次レーダーも時代と共に発展してきました。初期のSSRでは、航空機側のトランスポンダは航空機の識別符号と高度(SSR ModeA/C)を管制に伝えていました。1983年に登場したSSR ModeSでは、これに加えて、様々なデータが載せられるようになりました。現在の旅客機のほとんどはModeSに対応しています。

国土交通省のスライドより
国土交通省のスライドより

ADS-BはこのModeSに存在する拡張スキッタを用いて、GPS(GNSS)で取得した情報を1090MHzの応答信号に載せているのです。

ADS-Bのメリットとして、以下の様なものが挙げられます。

  • 1次レーダーに依存せず航空機が自分で取得した位置を使うことにより、設備が簡略化できる。

  • 航空管制側だけでなく、上空に居る他の飛行機も位置を取得できるようになり衝突防止に役立つ

しかし、ADS-Bにも弱点はあります。

  • そもそも、ADS-Bに対応していない航空機は位置情報を発信できない

  • 精度が機上のGNSSの測位に依存してしまう

これを補うため、MLAT(マルチラテレーション)という仕組みがあります。MLATとは、ADS-B情報が載っていないSSRの応答信号を複数の無線局で受信し、受信時刻の差から航空機の位置を推定する仕組みです。

国土交通省のスライドより

Flightradar24は航空管制設備を用いているわけではなく、ボランティアの基地局ネットワークによるものですが、世界中に十分な数の基地局があれば原理的には同じことができます。
つまり、ADS-Bに対応していない航空機だったとしても、航空管制を受けるためにSSR ModeSの応答を実施するための電波は出しているわけで、それを受信できればFlightradar24は表示できるということになります。

実際、"Data Source"の欄を見ていただけると、一部の機体は「MLAT」と表示されている事が分かるはずです。

MLATによって位置が表示されている機体の例

Flightradar24の"検閲"と別サイト

ここまで説明した通り、ADS-BやMLAT由来のデータで航空機の現在位置を取得できることがわかりました。しかし、航空機の所有者、特にプライベートジェットや政府専用機の所有者にとっては現在位置が表示されることが好ましくありません。
こういうケースでも航空管制を受ける以上はSSRの応答信号の送出は停止できません。そのため、次善策としてFlightradar24に表示ブロック申請を行います。
ブロックを申請したことを宣言する例はあまりないのですが、2014年に日本国政府専用機の情報がブロックされた際には防衛省からの申し入れが報道されています。

ちなみに、ブロックされた機体は以下のいずれかの表示になります。

  • "BLOCKED" と表示される(直近の例では海保のシーガーディアンなど)

  • 機種名のみが表示される(ビジネスジェットの多くはこのパターン)

  • 何も表示されない(日本国政府専用機など)

BLOCKED表示。実体は広島サミットを警備する海上保安庁のシーガーディアンで、この前日までは機種名が表示されていた。ADS-Bの発信なし(MLAT)。
機種名Boeing 737-900を示す「B739」 実体はサウジアラビアの政府専用機

しかし、これはFlightradar24での表示ブロックに過ぎません。実はFlightradar24以外にも、同様の仕組みで運営されているサイトは複数あり、そちらでブロックされていなければ航路を表示することは可能です。

これらは基地局の数が最大手のFlightradar24には及ばないというデメリットはありますが、Flightradar24ではブロックされている航空機が表示されることがあり、OSINTでは複数のサイトを併用する手法が用いられています。

つまり、ADS-Bを発信せずとも、Flightradar24で隠れていても、航空機は追跡される

先述した朝日新聞の記事もそうですが、残念ながら「ADS-Bの電波が全てであり、ADS-Bを切っていれば機体の航跡は分からない」「Flightradar24で表示されなければ一般人は航路を知らない」という誤解がよく見受けられます。
ここまで見てきたように、ADS-Bを切っていても航空管制を受ける以上はMLATで追跡されますし、Flightradar24で表示されなかったとしても別サービスにその機体は表示されます(もちろん、レーダーのカバーエリアやMLATの誤差により検出できないケースもあります)。

これはOSINTの業界においては周知の事実であり、ましてや各国の空軍や諜報機関がこの情報を知らない事はありえないと言ってよいでしょう。そのため、現代の要人機は「位置情報を外部に知られる」という前提で飛行しています。

もしSSRの応答も切るようであれば、確かにレーダー上には映らなくなるでしょう。しかし、それはFlightradar24のみならず実際の航空管制レーダーにも応答しないということですから、外国上空を飛行するようなケースでは所属不明機・不審機としてスクランブル発進の対象となりえます。

軍用機(戦闘機など)は?

任務飛行中などで民間の航空管制を受けない場合、完全にModeSを含めてトランスポンダを切ることができます。その場合はFlightradar24などに映りません。
逆に言えば、トランスポンダをONにしている状態ではFlightradar24などに表示されることがあります。民間機と同様に飛行している輸送機などはその様子が公開されています(国内では空自のC-2、米軍輸送機など)。

トランスポンダコードが無効と表示されているが、空自のF-15と推定される機体。このとき、「視聴」ランキングは世界で5位だった。
イギリス上空では毎日のように軍用機(練習機)の訓練飛行の様子が表示されている。注目度が高く、こちらもランキング上位に食い込んでいる。データソースはMLAT(ADS-B発信なし)
意外かもしれないが、ロシア政府専用機はFR24で動向がウォッチできる

ゼレンスキー大統領の外国訪問では他国の政府専用機が使われてきた

「なぜフランス政府専用機?」という点も話題になっていますが、これも非常に普遍的な事象だと言えます。というのも、侵攻発生以降の全ての外国訪問において、陸路を除いてゼレンスキー大統領の移動は全て他国の政府専用機が使用されているからです。

また、それらゼレンスキー大統領の外国訪問も多くの場合で位置情報が公開されています。まず、G7直前に実施されていたヨーロッパ諸国への訪問を振り返ってみます。

2023年5月3日~5日 フィンランド・オランダの訪問

この際はオランダの政府専用機(PH-GOV)が使用されています。Flightradar24ではブロックされているものの、ADS-B Exchange(ADSBx)によれば、ADS-Bの信号を発信していることが確認できます。

https://globe.adsbexchange.com/?icao=485920&lat=49.647&lon=18.846&zoom=5.9&showTrace=2023-05-03

2023年5月13日~15日 イタリア・ドイツ・フランス・イギリスへの訪問

ジェシュフ=ヤションカ空港~ローマではイタリア政府専用機(A319)が投入されています。Flightradar24でもその様子はリアルタイムに表示されていました。

ちなみにイタリア首相を乗せて広島にやってきたのも同じ機体

ローマ~ベルリンでは、同国政府専用機のA319(15+01)がゼレンスキー大統領の輸送を担当しました。予備機としてA321(15+04)もローマに向かいましたが、A319が問題なく出発できたため基地に帰投しています。

その後、ベルリンからNATOのガイレンキルヒェン航空基地にはA350(10+01)で移動しています。Flightradar24ではブロックされているものの、ADS-Bは発信されています。

https://globe.adsbexchange.com/?icao=3ea12c&lat=49.943&lon=9.603&zoom=8.0&showTrace=2023-05-14

ガイレンキルヒェン航空基地~パリの輸送では、フランス空軍のF-RAFBあるいはF-RAFAが通常と異なる機体コード(tactical code)を用いています。tactical codeは軍用機が存在を秘匿したいときに別の機体に偽装する手段として知られています。また、今回はADS-Bも発信していません。
しかしながら、MLATとADSBxにより航跡が一般に公開されています。

パリ~ロンドン、ロンドン~ジェシュフ=ヤションカに関してはイギリス政府専用機が利用されました。この際はシンプルにADS-Bを発信しているうえ、Flightradar24にも表示されています。

https://www.flightradar24.com/data/aircraft/g-gbni

それ以外の国外訪問

これ以降、スクリーンショットが多くなるのでリンクのみとします。

2023年2月 イギリス・フランス・ベルギー

  • ジェシュフ~ロンドン:英国空軍のC-17。ADS-Bあり(ソース:ADSBx)。

  • ロンドン~ボーンマス~パリ:英国政府専用機G-GBNI、ADS-Bあり(ソース:FR24The Sun

  • パリ~ブリュッセル:フランス政府専用機(FA7X:F-RAFA/F-RAFB)、ADS-B不明だがADSBxで参照可能(ソース:ADSBx

  • ブリュッセル~ジェシュフ:フランス政府専用機(F-RAFB)、ADS-Bあり(ソース:ADSBx

2022年12月
ジェシュフ~アンドルーズ空軍基地:米軍C-40B、ADS-B発信なしだがMLATで追跡可能(ソース:ADSBx)。FR24でも表示(ソース:Twitterへの複数件の投稿 1 2)されていたが、履歴は表示できず。

以上の通り、すべての訪問において外国政府の政府専用機あるいは軍用機が利用され、航路データが一般人からも参照可能な状態であったことが示せたと思います。

※参考 ロシアの侵攻前はどうだったか

ウクライナは政府専用機(エアバスA319、UR-ABA)を保有しており、それが運用されていました。2019年には即位の礼に伴い、羽田空港に飛来したこともあります。

※参考 広島サミットでG7首脳はどうだったか

上記はG7広島サミットに飛来した各国政府専用機の動向です(筆者作成)。フランスに限らず、多くの国がADS-Bで追跡可能であったことがわかります。また、米軍のエアフォースワンでさえもMLATによりADSBxに表示されていました。

ADS-B・航路データへの正しい理解を

先ほども述べましたが、Flightradar24やADS-Bのデータに対しては誤解が蔓延っているように思えてなりません。確かに「要人がここを飛んでいる!筒抜けだ!」というのは「それっぽい」のですが、それだけでは事実に繋がりません。その先には航空管制・軍事・OSINTに対する正しい理解が必要です。

昨今の時代、プロパガンダやフェイクを見抜くのは市民の力によるところが大きいと考えています。ベリングキャットやOryxに代表されるOSINT集団を見ていると、ネットで活動する市民の集合知はプロをも凌駕するのではないかと思っています。軍事評論家の小泉悠氏も触れておられるように、日本でもこういったムーブメントは実現可能なのではないでしょうか。

そのためには、(航空機に関して言えば)より多くの人が航空機の航路データに対して正しい理解を持ち、正しく情報を追う必要があります。もし本記事を見て興味を持った方がいらっしゃいましたら、「フライトレーダーに○○軍が表示されている」だけではなく、その背後にある情報を調べてみたり、少し深追いをしてみていただけないでしょうか。もしかしたら、そのような皆さんの積み重ねが将来的に安全保障に活きる可能性があるかもしれません。

もちろん私もまだまだ理解が足りませんし、まだ勉強が必要だと考えています。一緒に理解を深めていけたらと思っております。

※本稿の執筆に際して、一部情報収集を手伝っていただいた @space_osint さんに感謝します。I really appriciate you!


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