いい人でいるのはやめて! The road to hell is paved with good intentions.
私のクリニックでは、スタッフに向けたある指導方針があります。「いい人でいるのをやめなさい」という、一見厳しく思えるこの方針には、深い理由が存在します。
例えば、スタッフのAさんが担当するべき任務を忘れていることが発覚しました。通常ならば、その周りの人々がAさんをフォローすることが「いい人」とされる行為です。具体的には、別のスタッフであるBさんが、「Aさんの分も私が対応しました」と報告するケースです。表面上はチームワークの良い例に見えますが、私は即座にBさんに問いかけます。「Aさんは自分の失念に気づいていますか?」と。大抵の返答は「いいえ、伝えていません」となるのです。
この対応は、本当にAさんにとってもチームにとっても、また組織全体にとっても良い結果をもたらすのでしょうか?多くの場合、このような「いい人」の行動は、一時的に問題を解決するように見えますが、根本的な課題解決には至りません。最も重要なのは、Aさんが自分の責任を認識し、それを忘れないことを学ぶことです。
そのため、私はBさんに対して、自ら代わりに仕事をするのではなく、Aさん自身が責任を果たすよう促すことを勧めます。「Aさんが自分の仕事を忘れていることに気づいたのなら、それを指摘し、対応を促してください」と私はアドバイスします。この方法により、Aさんは自己のミスに気づき、そこから成長の機会を得ることができます。最初このような指摘を行うと、多くのスタッフは驚きを隠せません。「えっ、何かわたし注意されるような悪いことした?」という表情が見受けられます。これは、従来の「いい人」であることを優先し、価値があるとしていた今まで自分の育ってきた環境にはない新たな視点だからです。
さらに、Bさんが常にAさんのフォローをすることで、Aさんが自分の役割を学ぶことなく、同じ過ちを繰り返す可能性があります。これは真のチームワークとは言えません。本来のチームワークは、Aさんが自らのミスを認識し、適切な理由がある場合にのみ、Bさんが支援を提供することです。
プライベートでは「いい人」であることが望ましいかもしれませんが、組織運営の視点では見直す必要があります。自分の置かれている立ち位置によって同じ「いい人」でもその定義が変わるんです。誰もがAさんのミスを正視せず、結果として組織全体の機能不全を招くことになりかねません。「地獄への道は善意で敷き詰められている The road to hell is paved with good intentions」ということわざが示すように、善意の行動が必ずしも最良の結果を生むとは限りません。組織として機能するためには、個々の自覚と責任が不可欠であり、それを維持するためには時に厳しい対応が必要です。これは、リーダーシップのもと、戦略的に考慮されるべき重要なポイントであると私は考えています。