ぼく夏みたいな夏休みが欲しい
日が暮れると、外は虫の合唱に包まれる。
あぁ、夏だなぁ、と思わせる。
そのうち、窓を開けているのも苦しいほど蒸し暑さに覆われてしまう日本の夏だけれど、5月あたりから今のまだぎりぎり夜の涼しい風を感じられるこの季節が、一年の中で最も好きだ。
ここ数年、歳を重ねるごとに、自然を追い求めるようになった。
20代の頃は、社会に出たばかりで、それもサラリーマンの街で一人前にも働いていたから、都会を堪能した。
お化粧して、そこそこの洋服を着て、
満員電車に揺られて、
高層ビルの隙間を縫って毎日通勤して。
いじわるな先輩に対処したり、
困った上司の対応に追われたり、
同期たちと束の間の休憩時間を過ごしたり、
仕事終わりに近くの居酒屋で愚痴大会したり、
時にはちょっと高めのレストランで同期女子会したりした。
通勤に便利なように、何線も路線が使える駅の近くに住んで、
周りは高層マンションだらけの場所。
たしかに便利だったけれど、疲れは溜まる一方だった。
駅前に行けばなんでもあって、人はたくさんいるのに、体温を感じない、
冷たく無味な街並み。
心は渇き切って、カラッカラ。
そんな生活を何年もしていたからか、
次第に耐え切れなくなり、
無意識に自然を求めるようになった。
ベランダで花や野菜を育てて、
時間があれば駅とは反対方向の大きな森林公園がある方へ散歩して、
家の中でもできるだけ太陽の光に当たるように過ごした。
都会の生活の中で、なんとか自然を求めて彷徨っていたみたいだ。
戸建てに越して、まわりも戸建てばかりでスーパー以外に大して何もない長閑な街に暮らすようになった今、
一歩外へ出れば、自分の庭はもちろん、
近所の軒先にもたくさん草木があって、
高層ビルがないから空もよく見えて、
地に足がついた状態で生きている心地がする。
背の高い建物に囲まれて、
便利な街でたくさんの物と人に囲まれて、
暮らすことは意外にもストレスだったのだなぁ、と今になって改めて感じる。
虫の歌声、猫の鳴き声、鳥のさえずり、風の通る音、木の揺れる音、雨の落ちる音…
そんな自然の音に囲まれて、家庭菜園やガーデニングで太陽をたくさん浴びて暮らすようになったら、だいぶ自然への欲求が満たされてきた。
けれど、しばらく旅行にも行けていない昨今、どこか遠くの自然あふれる地で、少しのんびり過ごしたいなという欲求は消えない。
それどころか、じわりじわりと蓄積されている気がする。
虫の音色が響くこんな静かな夜風が気持ちいい夜は、
日中の暑くてギラギラしていて蝉の声や野球をする子供達の声がする騒がしくて輝いている雰囲気とは対照的で、またその落差にとても惹かれてしまう。
そんな夏の音を聴くと、
経験したこともないけれど、
昭和の昔懐かしい、絵に描いたような夏休みを恋しく思うときがある。
山に囲まれた田舎の畦道。
広大な田んぼに広い青空。
じいちゃんばあちゃんの家に帰ると、
冷たい麦茶に、よく冷えたスイカ。
縁側に座って、風鈴の音を聞いて、
お腹が空いたら木の桶に入った素麺をたべて、
扇風機にあたりながら、猫と昼寝。
目が覚めたら、私だけが知る秘密基地に潜入して、集めた木の実や葉っぱでおままごと。
虫かごと網を持って、ザリガニとか、雨蛙とか、虫とか捕まえて。
夕方戻ると、家族一同でたくさんのお皿を囲んで、賑やかな食卓。
食後は、縁側でみんなで花火したりして。
ちょっと近くの小川でホタル見たりして。
蚊にさされまくってキンカン塗って。
帰ったら薪で炊いたお風呂に入ってクタクタになってぐっすり眠るんだ。
そんな夏休み経験したかったなぁ。
経験したみたいに、懐かしく、恋しくなるのは、なんでかなぁ。
そんな穴を埋めるかのように、毎年この時期になっては、ゲームのぼくのなつやすみをやりたくなる私なのだった。
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