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いらない思い込みを手放す 【オンラインヒーリングセッション】HANATSUのご案内
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※このセッションでは、一般的にスピリチュアルといわれる手法を活用します。
はじめに。
私は無宗教で無信仰、何のビジネス団体や協会にも属していません。
以前はスピと聞くだけでガクブル~となるほどでした。
そんな私が、意識変容ヒーリング(シータ・ヒーリング)と出逢い、スピリチュアルを哲学として学び、このスキルはいいぞ!と感じるものだけを素直に実践(瞑想やエネルギーワークなど)しはじめてから、とても人生が好転していきました。
内面で言えば、物事の捉え方がニュートラルとなり、感覚や感情に振り回されず、平穏で穏やかでけれど力強く逞しく、何より、愉しくのびやかに人生を創造するという感覚を実感しています。
(食わず嫌い王をしていた自分がもったいなかったー!)
この軽やかにのびやかに人生を生きる人達と一緒に、人生をクリエイティブに創造していきたい。
今の私が目指す未来です。
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【自己紹介】
はじめまして。
HANATSU代表
ちえさん(藤井千恵)と申します。
数多くあるnoteの中から、ご縁で繋いでいただいたことに感謝します。
私は今、自己実現の真っ最中です。
2024年、人生でやりたかったことの1つ、「田舎移住」を爆速で実現し、庭に畑を作り、地域の方々の温かさに触れ、海でサーフィンし、地域の方に繋いでいただいて農業のお手伝いをし、そして今、本当にやりたいことを仕事にすることもでき、さらなる夢の実現に向かっている最中です。
それまでの私の人生は、ただただ自分の存在意義を確認するために、人のために尽くして尽くして、自分を大切にできずに、自分の感覚も感情も好きも嫌いも何も感じなくなるほどに、自分を置き去りにして生きているような人でした。
そんな私が、3年かけて自分を変えて、人生変えて好きな人達に囲まれて暮らす、最高に充足した毎日を送れるようになったのは、内面と向き合いきって、意識変容ヒーリングという潜在意識を書き換えるスピリチュアルな手法に出逢ったからでした。
もしお時間あれば、そんな私の
【人生の転換期から意識変容ヒーリングに出逢い大好転するまでのエピソード】
をぜひ閲覧いただきたいです。
【転換期:命の火を消すところだった】(2021年)
元々約15年近く、社会福祉士、精神保健福祉士として行政機関で勤務していました。
仕事のストレスから過去最高63キロまで太り、焦った私は毎日のHIITと過度な食事制限を多忙な毎日の中で行い、最終的に13キロの減量を行いました。
「着たい服が着られるー!」と喜んでいたのもつかの間。
ある日、ベッドから起き上がれなくなりました。
朝起きると、ピクリとも身体を動かすことができない。
「やばい。これは、死んでしまうかも」
得たいのしれない恐怖が沸いてきて、「病院に行かなければ」と部屋を這いずり回り、重たい身体をひきずり、顔も洗わずパジャマのままたどり着いた心療内科。
診察室に入るなり、Drから「明日仕事に行ったら死にますよ」と宣告を受けました。
今思うと、朝6時にサービス出勤し、夜22時にサービス残業して帰宅、そこから1時間HIITして、眠る。食事は、炭水化物を減らし、野菜を多く摂る。
睡眠も栄養も休息すらとれていない状態で1年以上突っ走っていました。
職を失う恐怖から、「休みたくない」と泣いて訴える私に、Drは厳しい表情を崩さずに続けました。
「あなた死にます」
「診断書を受け取り、朝一に提出しなさい」
診断書を受け取る時には手がガクガク震えていました。
「大好きな家族を置いていきたくない」
このときは、これだけが支えになりました。
次の日、職場に行き、事情を説明し、何か起きた時のためにと用意していた引き継ぎの書類や緊急ケースの説明を行い、帰宅。
その後、何ヶ月も眠り続けました。
「私は何の役にも立たない」
毎日「何もできない自分」を責め、「消えたい。消えたい」と嗚咽しながら泣き叫ぶ私を支えてくれたのは、大好きな家族でした。
少し元気になった頃、もうこの人生を変えようと決めました。
「毎日、笑顔の人生を送りたい。家族と笑って幸せに暮らしたい」
実は20代から抗うつ薬を服用しながら仕事を続けていた私。
今回が、3度目のオーバーワークでの休職。
「もう、この生き方を手放そう」
そう心に決めました。
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【人生の転換期最中:もがきまくる日々】
人生を変えるには。
まずは、身体から。
勝手に思い込んでいた私は、本格的にトレーニングを始め、たった数ヶ月でボディメイク大会初出場にも関わらず、前回日本大会TOP10がいる中で、地方大会準グランプリを獲得しました。
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[日本大会予選敗退]
1200人以上が集まった日本大会は、出場40秒で予選敗退に終りました。
たくさんの応援を受けていた私。
わざわざ福井や大阪から東京まで、応援に来てくれていたみんな。
産まれて初めて「恥ずかしい。誰にも会いたくない」と顔から火が出る想いでした。
「ここにいたくない」と、なけなしのお金を払って買った大会観戦のチケットも使わず、ホテルに直行しました。
【新たな決意】
大会までの間、オーバートレーニングで腰椎ヘルニアになり、動けない期間でウツをぶり返しつつあった私。
壊さない身体と心作りの勉強を徹底的にしよう。
そして、もう一度挑戦しよう。
もうこんな悔しい想いはしたくない。
そこからは、パーソナルトレーナーの学校に通い、解剖学、バイオメカニクス、身体作りの食事に関する資格を取得し、生活を整え、心と身体を整えることに注力しました。
[家族(ワンコ)の癌発覚、自身の病気](2023年)
うまく事が進んでいたある日、大切な家族であるワンコの癌が発覚しました。
それに続き、私自身が内臓の病気を患いました。
大好きな方から繋いでいただいたジムでのアルバイトに行けなくなり、また自分を責め、ウツをぶり返してしまいました。
心身ともに弱っていた私だからこそ、さらなる事件が重なり、ストレスから帯状疱疹を起し、アルバイトもトレーナーの学校も辞めることになり、また人生のどん底を味わうことになりました。
【人生を変える出来事】
ある日、カフェで何気なく見ていたSNS、
「あなたの人生を変えた出来事は何ですか?」
と質問された方が答えた内容が目に留まりました。
「人生ビジョンを立てたこと」
と、その方が答えた一言を聞いた瞬間に身体に電気が走り、その勢いで本屋に駆け込み、「人生」「コーチング」「自己啓発」に関する書籍を買い集め、読みあさりました。
[そして、「決断」]
自分の人生ビジョンを捉えた私は、そのビジョンに必要のないものを徹底して手放すことにしました。
物質的なものを3ヶ月かけて、毎日毎日徹底的に断捨離しました。
あとになって、
「断捨離は小さなものからコツコツと手放していくことで、後に大きな決断をするときのためのトレーニングとなる」
と知りました。
それを表すかのように、断捨離をはじめると、自身の病気を手放したくなりました。
そして、手術するという決断をし、痛みや不快感から解放されることができました(ワンコも同じく手術で全ての癌細胞を取り除くことができた)
すると、驚くことにウツが寛解に向かっていきました。
あの決断、実行した日からもう1年以上、ウツウツとした「消えたい」という感覚は一切なくなりました。(はぁダメだなって思っても、それ以上にはいかないという感覚です)
ウツウツとした気分が晴れていく中で、自身の好きだったことを思い出し、心理学や認知科学、生命科学の本を読み続けました。
そして、自己理解を進める中、「潜在意識」との出逢いや「未知の世界」との出逢いから私の人生は一転することに。
【サイキック(超感覚)経営者の方との出逢い】(2024年)
自己理解を深める過程で、自分史を作成していた私。
ここで、自分自身が持っている不思議な能力をどんどん思い出していきました。
・幼稚園のプレゼント隠しゲームで、「○○先生が隠しました」の一言で、15、6個あったプレゼントの半分以上を探し当てたこと。
・夜中にゴミ袋から火が上がる映像を見て、母を起し、まだ火のあがっていないゴミ袋を見て、どこかにやってくれと泣きわめき、不信がる母が袋を開けた瞬間に炎があがったこと。(たばこの火の不始末だったよう)
・人の周りの色や数字に色が見えていて、幼いころ、父から「言わないほうがいい」と言われたこと。
・認知科学を研究している学生さんから、「あなた、人が話をする前から大体この人、何を話すかって分かっているよね」と言われ、研究の対象にされそうになり母が助けてくれたこと。
などなど。
この話を夫にしたところ、「サイキック(超感覚)」という言葉を知りました。
このときはまだ「やめてくれい!」の状態でした。
だって、幽霊とかみれへんし、江原さんとか、宜保愛子さんとかみたいなすんごい力持ってへんし、まぁ違うやろうと。
【意識変容シータ・ヒーリングとの出逢い】
ある日、ふと目にとまったnoteから、直感ですぐさま連絡をとった方がいました。
株式会社ライフツリー
組織と個人の意識変容コンサルティングをされている山城さんという方。
何をするのかも分からないままに、セッションをしていただき、はじめましての会話で一言。
「ぁぁ。ちえさんは、直感者(サイキック)であることは間違いないですね」
なぜか、このときは素直に、「はい、そうですよね」という感覚でした。
そして、これまでの人生で初のスピリチュアルなセッション(ハイヤーセルフリーディング)を受け、たった1時間30分で自分自身の身体の感覚が変わり、そして、モヤモヤと霧の中にいたような頭の中が晴れてスッキリとクリアになっていました。
この日は、不思議な感覚が残り、なんかすごくワクワクした不思議な楽しい時間だったなぁという感じでした、が、次の日以降から自分自身の思考が変わっていることに気がついていきました。
例えば、これまでならやろうと思っても、どこか思い切ることができずにモヤモヤと時間だけがかかっていたことに対し、先延ばしせずにスムーズに動くことができている。
また、内部で明らかに違うのは、「自分を責める」ことがなくなっていったこと。
すぐに自分を責める思考のクセがあった私は、いつの間にかその傾向が薄くなり、とても軽やかな感覚で生きることができていました。
このことからどんどんと自己肯定感があがり、行動して「ぁー」と思う出来事があっても、自分を責めなくなっている私は、「次もやってみよう」と立ち直りが早くなっただけでなく、行動しているからこそ、自己効力感も高まり、「よし行くぞ!」のエネルギーが尽きなくなりまりました。
さらに言えば、ずっと確執のあった母親との関係が変わり、このことから母親自身も今、人生を変え、自分のやりたいことを存分に楽しんで生きる人生にSHIFTしています。
さらにさらに、夫や家族の人生が変わりました。
(そして、1番嬉しいことは、1番身近な人達が今、私のやりたいことを理解し大手を振って応援してくれていること)
(さらに、ずっと夢だった田舎暮らしも4月に急に思い立ち物件を内覧、最高のご縁があり、9月末には移住しました)
思い起こせば、現実創造が格段に早くなっています。
【才能が開花した日】
すでに、このセッションを受ける前から、なぜか、この意識変容ヒーリングをマスターすると決めていた私、本当なら2ヶ月後に受ける予定にしていたものが、たまたまの偶然が重なり、セッションから半月ほどで講座を受けられることになりました。
初めてのスピリチュアルな学びは、とても新鮮で、これまでの怪しいとか訝しいとかのオカルト的な印象はなくなりました。
結局は、
何を思考し、そして、人の持つ最高のギフトである感覚・感情を味方につけ、行動していくか。
その本質的なものに気づいて、行動できるかできないか、ただそれだけで人生が変わるのだなと。
初めてのヒーリングセッションで練習相手になってくれた方は、心を固く閉ざして「とにかく受けろと言われてきたけれど信じていないです」と言う方でした(今では、外国で伸びやかに暮らしておられます)
たった1回の練習セッションで、「生きる喜び」を思い出して泣いてくれた彼女。
そして山城さんからの一言。
「シータ・ヒーリングは誰でもできること。超感覚的なスキルって、日本人は空気を読むって言うでしょ。空気を読むって見えないものを読んでいるんだよね。その持っているものをさらに高めるかどうか。ちえさんは、もともともっている能力が高いだけでなく、これまでの対人スキルに対しての確固たる自信も高い、人への想いも強い、だからここまで一瞬で人の意識変容を起すことができるんだよ。初めてで、なかなかここまでできる人はいない」
と。
そして、
「私もずっとキャリアコンサルタントとしてどん底にいる方達と向き合ってきた。本当に苦しんでいる人たちに自分の生命エネルギーを使って、寄り添うことしかできない自分がしんどかった。そして、この意識変容ヒーリングに出逢って、こんなに一瞬で人の苦しさを取り除き、人生をより良いものにできるものがあるのかと知った時、私は震える手で自分がサイキックであることをnoteに綴り、それまで取引していた会社を1社だけ残して手放した。ちえさんも、そうじゃない?これまで、自己犠牲的に”人のために”ってやってきたんじゃないかな」
と。
まさにそうでした。
これまで、3000人以上の方の人生を伴走し、自分で大きく人生を変えた人は、たった1人。
こちらがどれだけ頑張っても少しよりよい生活になるだけで、すぐに元に戻る。
自分には人をよりよい人生に導くことはできない。
この無念感から自己評価を下げて下げて、散々、燃え尽きてきました。
[半信半疑で自分の能力を認められなかった日々]
意識変容ヒーリングを学び、こんなにすごいスピードで現実創造を早めてくれるものはない!と、早速モニター募集をはじめました。
なんと、たった16日で定員10名を超え「こんなに受けたいと言ってくれる方がいるのか」と驚きました。
ただ、受けてくださった方の変容ぶりに私自身が、「こんなに変わってしまっていいのかな。私は責任とれるのかな」そう感じてしまい、怖くなり、12名の方に受けていただいた後、1ヶ月ほど、募集を停止しました。
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この時期、山城さんへの相談や、信頼する方からの一言。
「人生を決める選択をするのはクライアント自身」
「動機付けだけのこと(内発的動機なら何も問題ない)ですよね」
そして、ありがたいことにお問い合わせをいただいた一言。
「まだ、モニター募集されていますか?」
そして、モニター参加してくれた方からの一言。
「もう一度受けたいんですが、受けられますか?」
ここから、再度、モニター募集を行い、たった2度の告知だけで、55名の方に初回体験モニターを受けていただくことができました。
本当にありがたいです。
また、2度以上のセッションも5名の方が受けてくださり、人生を変えていらっしゃる姿を見て、私自身が私の殻を破り、自分の能力を認め、開花させることで人生を華々しく生きられる人を増やすことができる。
そのことを実感することができています。
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【恥ずかしい種あかし】
自分が体感し、たくさんの方の意識変容をしてきたにも関わらず、私は、ヒーリングに疑いをもち、また自身がスピリチュアルな手法を用いることを否定的に感じていました。
そのために、脳科学、量子力学、認知科学、潜在意識などを学び続けています(山城さんの講座は、この半年で基礎3回、応用2回も再受講していました)
そして、ある一定自分の中でつじつまが合うようになったころ、このつじつま合わせをしている自分が恥ずかしくなるほどに、自分の能力を活かしてお仕事をされている方々に出逢いました。
その方々とお話すると、皆おっしゃいました。
「最初はみんなに伝えるのは怖かったですよ。けど、それ以上に、この能力を活かして誰かを救うことができるなら、そんな自分のエゴどうでもいいなって思ったんです」
なんかもう、その潔い姿に、自分はどこまで人の目を気にして生きているんだろうと恥ずかしくなりました。
私以外の人のすごい能力(サイキックしかり、ADHDやHSPやエンパス、アスペ、霊能力などなどなど)をもている人を見た時に、もっと!もっとその能力を社会に活かしてほしい!って思うんです(ちなみに私は間違いなくADHDです。毎日服は裏表前後どれか必ず間違えるし、物はいつの間にか消える!けれど今はそんな自分が大好きです)
なのに、自分のことになると守りに入ろうとする。
もう、いい加減、この自分をあきらめて手放すことに決めました。
折角、持って生まれた自分の個性、燃え尽きるまで活かして生きたいですよね。
そんなこんなで長くなりました(ここまで読んでくださり、ありがとうございます)
私は、山城さんと出逢い、意識変容ヒーリングで自分の気づいていない深い部分から解放(手放し)し、自分の潜在能力を引き出していいと知ってから、出逢う人達が変わりました。
山城さんの周囲には、いつも朗らかで純真でのびやかで、その人がその人らしくあることを心から応援している人達で溢れています。
そして、今、私の周りにも同じようにのびやかで純真なエネルギーの人達が集まってきてくれています。
こうして人は変わることができるのだな、人生を変えることができるのだなということを実感するとともに、今、昔の私のように、ガチガチに肩肘張って自分を追い込んでしまっている人がいるのなら。
「肩の力を抜いて、脱力することから人生が好転することだってあるんだよ」
ということを伝えていきたいという想いです。
(少し重たい話しになります)
私は、過労で30才だった義兄をなくしています。
夜中まで途切れない涙する多くの人達(義兄は教師でした)を見て、
「もうこんな悲しみを生み出すものを絶ちたい」
そう心に誓っていました。
今、とても義兄を近くに感じています。
自身が何度も対人支援でオーバーワークをしてきたことからも、もっと自己犠牲的でなく、かつ効果的な意識変容の方法はないかと探し続けていました。
私の最終到達ビジョンには、「対人支援の在り方を変える」という目的があります。
今、意識変容ヒーリングに出会い、この第一歩に向かっている感覚があります。
もし、私に興味・関心をもっていただき、のびやかに生きる仲間になりたいと感じてくださる方がいらっしゃれば、ひとまずXのDMまで、ご連絡ください(これから連絡先等構築いたします)
お待ちしています。
https://twitter.com/chiesmilebody
ちなみに、よく「何でもバレそうで怖い」と言う方がいらっしゃいますが、幼い頃に痛い目をした私は、自身でスイッチのONOFFを切り替えることをしていました。
サイキックを自覚してからはなおさら、勝手に読み込みはしないと決めています。
めちゃくちゃ至って普通のどこにでもいる人間です☺
【どんなお悩みをお持ちの方々がセッションを受けてくださっているか】
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【もっと私のことを知りたい方へ】
1980年 京都の鴨川そばの産院で産まれる。
父は、身体障がいがありながら、15才で1人京都に友禅作家の修業を積み、70才で亡くなる直前までの55年間、友禅作家一筋で人生の幕を終えました。
母は、無邪気で純真で破天荒な生き方をしています。
現在、74才で田舎移住を叶え、田舎生活を満喫中。
私は、小さな頃から「変わっている」と言われていました。
小1で、「なぜ出たくもない授業に出ないといけないのか」と考えていました。ある日、ロシアからの転校生が学校になじめず、授業を飛び出し始めたときに、一緒に授業を抜け出すようになり、転校生と雨の中並んで座りながら「なんて小さい世界で生きているんだろうか」と疑問に感じていました。
小3、9才の頃、丁度父が首になりど貧乏がはじまり、毎日のように繰り返される大げんかを横目に「消えたい」と感じ始めるようになりました。
たまたま図書館で見かけた心理学関連の本、偉人の伝記などに生き方を学ぶことにどはまりし、授業を抜け出して図書館に籠もる日々が始まりました。
14才母が居酒屋を始めたことをきっかけに、私も毎晩店を手伝うことになりました。
学校と店の往復。
当時は「つらい」と感じていましたが、今では母親に感謝をしています。
なぜなら、いち早く働くということや「対人」の本質を学ぶことができ、ここで出逢えた年上のお客さんたちが、毎日「ちえちゃん聞いてー!」と悩み相談に来てくれて、「一発で欲しい言葉をくれるんよ!」と清々しい笑顔で変えるその姿を見ることが私の最高の贅沢で、自己肯定感や自己効力感を高めてくれた元となっているから。
そして、ここで出逢い、数日前まで楽しくお話をしていた大好きなお客さんの自○。
この出来事が、私を「精神分野(メンタルヘルス)の仕事に就きたい」と突き動かしてくれている最大の源となっています。
経済的な理由から高校を中退し、自暴自棄になりかけた時もありました。
その時期も、夢があるからこそ、働きながら一発で大検を取得し、大学費用を貯めることができました。
働きながら勉強して入った大学(精神保健分野)を、親の借金に貯金を充てたことで、たった半年で退学することになり夢をあきらめそうになった時も、3つのバイトを掛け持ちし、通信制の社会人大学に入学し、その大変さに涙しながらレポートを作成し、卒業すら数%しかいないと言われている中、4年で卒業したときも。
どんな時にもこの大好きなお客さんが胸の中にいてくれることで、社会福祉士として、精神保健福祉士として誠心誠意目の前の人と向き合い、よりよい人生をサポートする専門家として大学や公的機関で仕事を行うことができていました。
【約15年の士業 大学や公的機関での相談援助専門職での経験】
少なく見積もっても3000人以上のクライアントさんの人生を伴走してきました。
平日の勤務時間を全てクライアント支援にあて、朝晩休日のサービス残業で事務作業を行う。
そんな自己犠牲的な生活が当たり前の生活を送っていました。
「藤井さんでなければ支援を受けたくない」そう言って、引っ越しをしてまで担当を希望してくださる方がいらっしゃるほど、多い時には1人で175件の担当をしていたこともあります。
あの頃自己評価の低かった私は、求められれば求められるだけ、応えなければいけないと責任感の塊のような仕事の仕方をしていました。
【働く中で感じていた違和感】
時間をかけよりよい生き方を手に入れるチャンスが巡ってきた時に、ある人はすんなり手に入れ、ある人は手に入れることができない。
その人にとってのよりより人生へ転換できる人と、チャンスが来ても転換できない人の違いは何なんだろう。
生活保護という同じ基準で生きる人たちの中でも、気高く誇り高く皆に愛され生きる人と、誰からも愛想を尽かされ、後悔の念で生きる人。
この違いは何なのか。
ずっとずっと疑問に感じていました。
自分自身が今、
「変わることができない自分」
という思い込みを手放していくことから
理想の人生へとSHIFTさせているように、
全ての人が自分自身で自分を縛っている思い込みから解放され、軽やかにそして、生燃え尽きるその日まで、自身の可能性を発揮させ、人生を謳歌してほしい。
その想いが強まっています。
「笑顔は世界を救う」
「一人の意識変容は、2000人に拡がる」
私はこの言葉が大好きです。
もし今、近しい人や社会に対し、変わってほしいとモヤモヤしている人がいるのなら、まずは、自分を変えることからはじめてほしい。
人は変えることができないけれど、自分が変われば、変わります。
そして、
大好きな人達に囲まれて、大好きな場所で、大好きなことをして生きましょう。
最高の人生に。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
藤井千恵