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椿の咲くころに(休職時代)


20代。保育士。
休職していた。


好きな仕事、やりたかった仕事に就いたはずだった。
希望の道に進んでいたはずだった。
現実は厳しい。


やりたいことだから
上手にできるわけではない。


頑張ったから、心血注いで努力したから、
たくさん考えたから、
上手にできるわけではない。


一つ年上の「デキル」先輩との差も歴然だった。


あの先輩が今の私と同じ年次の頃なら、
既に保護者懇談で先輩保育士が
付き添いに入ることなく、
1人で対応していた。



大きな園内行事のリーダーを託されていた。



保護者に電話して丁寧に説明し
子どもへの対応を

冷静に対応していた。


園長とも子どもとの関わり方の
具体的な話をしていた。


それなのに私は。
なぜ私は。
なぜこんなにダメなのか。
子どもたちを楽しませるのが難しい。
ペアの保育士をイラつかせてしまう。


頑張れば頑張るほど
空回っている。
自分でもわかっている。


上手くいかない。




運動会があった。
本番の日は、
普段と違う雰囲気に気持ちが敏感になり


気分が乗らない子もいる。


保護者ももはや気分が乗らなくなった我が子を
無理矢理参加させる気は起きず、


途中で帰ってしまった。


私の責任だった。
別の場を対応していたペアの担任は


満足に対応しようとすらできなかった私に



「自信がなかったのか?」

「それでも、その親子に関わって対応することは
他の誰でもない、担任のあなたの仕事だった」
と言い放った。



園長からは
「実力不足だ」
「普段の保育も真剣に考えられてないってこと」「給料泥棒だ」




そう言われた。




仕事における自信は、
底をついていた。


自信がなくても目の前の子どもと関わらなければ
いけないことを、
わかってもいた。


なんとか振り絞って毎日
「私は先生」
と心で唱えながら出勤していた。


職場にいても、
一人暮らしの家にいても
仕事のことを考えていた。
止まらなかった。



そんな日々を無限には続けられない。
むしろ、数年で限界。



限界点に着地するきっかけなんて、
何気ないものだ。


いつも通り、子どもとの関わり方について
指摘をしようとする
園長からの言葉だった。


既に心が疲れ切っていた私にとっては
部分的な注意も


普段の仕事ぶりの全てを
否定される言葉にしかならなかった。



翌日からは24時間、心に不安がくっつき、
子どもたちと何をしていても
心から笑えなかった。


もはや頑張ろうとしても
子どもたちに応えようという
気力が残っていなかった。



入りたくて入ったはずの職場。


もう、普通通りに1日の業務をこなす気力も
残っていなかった。





(続く)


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