ゴールデンカムイを語りたい・鶴見劇場について【加筆】
執筆後に再検討して加筆や修正した部分は太字にします。
・2023・08・10
ただいまゴールデンカムイ3周目。
1周目は「杉元と谷垣ニシパ大好き」で胸いっぱい。
2周目は「一番シンパシー感じるのは月島軍曹だわ。鯉登くんサンキューな」って浄化された気持ち。
で、3周目は「鶴見劇場は本当に劇場?鶴見中尉って本当の本当にはどんなお気持ちでいたの?」を考えながら読み返している。
「愛」?「劇場」?それぞれ何パーセントずつ?
ちなみに「妻子の復讐のため(私情優先)」か「戦友たちのため」かっていう「目的はどちらか?」ではない。
これは最後の指の骨をあの表情で手放したことからも、どちらも同じ道筋にあり、妻子の復讐はその道筋の小脇にあったことだと自分は解釈している。
目的のために必要な仲間づくりで行った「鶴見劇場」はすべて脚本で演じる「劇場」だったのか、「愛」があったのか?
答えなどないことはわかっている。
が!色々な意見を聞きたい。あーでもないこーでもないを語りたい。
とはいえ、周りにゴールデンカムイ読んだ人、弟しかいない。
弟に聞いたら「本当に本当に月並みな意見だけど、半々だと思う」とのこと。
んん~ どっちかに偏った意見が聞きたい。そう思う理由付きで聞きたい。
ということで、現時点での自分の意見を書いておく。
「愛」が80%
「劇場」が15%
だと思う。5%は無意識だと思う。「劇場」だと自覚している部分が15%。
「愛」割合が大きいのは、自分の願望かもしれないとも思っている。(月島軍曹に感情移入しすぎて…!)
脚本が巧妙すぎて怖いし、目的のためにバッサリ切り捨てることもできるから「コマ扱い?」感が強くなってしまうけど、目的が第一だから仕方ないだろう!って自分の中の鶴見中尉が言ってる。
宇佐美とのやりとり部分を読み返していて、やっぱり鶴見中尉自身は「部下を駒と思っていない」と宣っている!
これはですね、本気ですよ。本人はそう思ってないのだよ。他者評価が何であれ、本人的にはやっぱり「愛」。
この辺は進撃の巨人で心情考えると「ぐあああ」ってなるエルヴィン団長の生き方と共に語りたい部分だから、別でアウトプットしようと思う。
「愛」の比重が大きいと思う一番の理由が、その人がその時に欲しいだろう言葉を与えてあげられるのってやっぱり「愛」がある行為だと思うから。
その人のことどれだけ考えてきたのか・その労力分だけその人のことを欲しいと思っている=愛ってことだよね。
でもここまで書いていて「すべて見返りを期待している愛」だと気づいた。
「無償の愛」って言葉があるから、愛って見返りを求めない無償のものなのか?
そもそも「愛」ってなんだろう。これも哲学対話しても結局まだ自分なりの結論が出ていない。
ここで自分の考察は止まってしまった。
自分の根本の基準がわからなくなったからジャッジは宙ぶらりんだけど、やっぱり鶴見中尉自身は自分は「愛」で行動していると言い切れるお人なのではと思う。
見返りを求める愛もあるんじゃない?と思ってきた。ていうか、ほとんどの人間が自分の思い(愛)に相手からも同じように返して欲しがっているよね。
婚姻制度とか「付き合う」とか「浮気しないで」とかほとんど自分の思いと対等に相手からも返してほしがっている、いや、返すべきという考えに基づいた仕組みですよね。
私的にはそういう感情ある人間には「鶴見中尉の部下への思いは愛ではない」と言い切れませんよね?と思ってしまった。
また拗れているのか私は。
愛がどんなものかは人それぞれ違うしね。