私はそれを知っている
今日夕飯のときに実家から電話が掛かってきた。
最初に電話口に父が出て、挨拶だけするとなぜかすぐに母に替わった。
そして母が「もしもし」と発したその瞬間から、すでに私はそれを理解していた。”これは良くない報せだ”と。
とっさに頭をよぎったのは祖母のことだ。
老人ホームで暮らしている96歳になる祖母は、このコロナ禍でずっと家族とも面会ができなくて、きっと頭と身体も弱っちゃうよね、とみんなで心配していたので、すぐに「おばあちゃんがどうかした?」と聞いてしまった。
そして、祖母ではなくて叔父さんが亡くなった。
叔父さんが入院していたことを知らなかった私にとって、それは本当に寝耳に水だったし、家族の誰も今回の入院でもう二度と帰らぬ人となることは予想していなかった、そんな急な死だった。
それはショックで、辛く悲しい報せだった。
だけど、こんな風に誰かの予期せぬ訃報を実家の母から電話で知らされるという経験、もう私は4人目なのだ。
あの、電話に出た時の母の一瞬言いよどむ感じや苦しそうに出す声。それを耳にした瞬間に、”私がこの先に聞かされることは、誰かの死についてだ”と、私は知っていた。そして、実際にそうであった。
高齢で入院していて亡くなった祖父母とは違って、彼らともう二度と会えなくなるなんてこれっぽっちも思わずに最後に別れた、そんな人たちのことを思い出す。私はきっと、前世も含めて何度も何度もこんな報せを受け取ってきたような気がする。
だから、私はそれを知っている。という不思議な感覚がある。
そしてそれは、私に何をメッセージとして伝えてくれているのだろうか。