小説【アコースティック・ブルー】Track9: Desperado #3
小さな事務室の中でひしめき合いながら、コンピューターの画面を覗き込む四人。頭と頭がぶつかりそうになりながらも強い好奇心に駈られて押し合いへし合い全員がモニターを見つめている。
「さぁて、何が入ってるのかなぁ~?」
普段は経理計算くらいにしか使わない店のコンピューターを前に、鈍いスタッフの土井が意気揚々と楽しげに声をあげると、試合開始直前のスポーツ選手よろしく首や肩の間接をパキパキと鳴らした。モニターを見つめる土井の目は嬉々としていて、いつもの彼からは想像がつかないくらい凛々しい横顔を覗かせている。カタカタと軽快にキーボードを打つ姿は別人が憑依したような機敏さがあった。
「元々システムエンジニアやってたんだって。
人間関係に疲れて辞めちゃったらしいけど」
「マシンに触るのは半年ぶりくらいですぅ」
土井の豹変ぶりに驚いているセイイチにケンジが小さな声で伝えると、それを聞いた土井がいつもの調子でノロノロと答えた。人は見かけによらないなとセイイチが一人ごちる。
「さぁ、開きましたよぉ~」
デスクトップの画面にはタスクが残したデジタルプレイヤーの中のファイル群が映し出されている。
ユウコはピックガードに書かれた文字列がディレクトリパスだと気づき、デジタルプレイヤーの中に他にもファイルが隠されているのかもしれないとセイイチに教えたのだったが、機械音痴のセイイチは自分では操作できないのため、代わりに偶然居合わせた土井にPCを操作させることにした。
ルートディレクトリにはシステムファイルなどを格納するフォルダの他にもいくつかのフォルダが存在していて、音楽ディレクトリには”Notitle ”というファイル名のmp3が一曲だけ保存されていた。
「これってあの曲か?」
画面に映し出されたNotitle.mp3を指さしてセイイチがそう聞くと、ユウコが「そうだと思います」と答える。土井がミュージックプレイヤーを起動させてファイルを開くと、例の録音が再生された。
「他には?」
ケンジが人一倍ワクワクした様子で土井に操作を促す。
ルートディレクトリ直下の音楽フォルダ以外は映像や画像を格納するためのフォルダが存在しているが、ファインダーに表示されているファイルのサイズはどれも0MBばかりで中には何も入っていないのが解る。しかしその中で1つだけ大きな容量を占めているフォルダがあった。
“data …… size 527MB ”
土井がフォルダを開くとさらにその下に”sonar ”と名付けられたフォルダが格納されていた。
「ピックガードのメッセージ……」
ファインダーの下部に表示されているディレクトリパスには、タスクがピックガードの裏に書き込んだアルファベットの文字列と同じ階層が表示されていて、それを目にしたセイイチが思わず声を漏らす。
“data/sonar ”ディレクトリの中には大量のファイルが格納されているが、PCでは認識できない拡張子のため開くことができず、ファインダーには真っ白なアイコンが大量に並んでいた。
「多分、何かのソフトのファイルじゃないかと思うんですよねぇ。
専用のソフトがないと開けませんねぇこれはぁ」
土井がノロノロとそう説明するとセイイチは思わず「くそっ!」と声に出して悔しがった。しかしそこでユウコが考え込むような表情で土井に指摘する。
「このsonarってもしかして、音楽ソフトのsonar (ソナー)じゃないですか?」
ユウコの発言を受けて土井がネットで情報を調べ始める。
ファイルの拡張子を見る限りではユウコが指摘した通り、いくつかSONAR独自のファイルが存在しているようだったが結局解るのはそこまでで、公式HPに行くと残念ながら開発が2017年で中止されてしまっているためそれ以上の情報は得られなかった。
「昔使ってたんです私も。彼はデータを常に持ち歩いてたみたいですね」
「そういえば、たまにスタジオのパソコンでなんか作業してたな、あいつ」
「ああ、僕も見たことある。
みんな疲れ寝てる横で黙々と一人で編集作業してたよね」
セイイチとケンジがTASKについての思い出を語りながら顔を見合わせた。
専用ソフトが無ければ開けないデータではこれ以上進展が無さそうだという失望がその表情に現れている。するとユウコが何か思いついたのか、急に土井からマウスを奪い取るとファインダーの中を調べ始めた。
「もしかしたらレンダリングされたファイルがあるかも……!」
僅かな希望に縋るようにユウコがモニターをじっと見つめながら、沢山のファイル群をスクロールしていく。そしてある瞬間操作の手が止まりユウコは目を輝かせた。ひとつだけPCが認識しているファイルが存在していた。
Fullversion.flacという名前が付けられたファイルだけ8分音符のアイコンで表示されている。そのファイル名が意味するものを全員が同じく理解した。一同は誰が言うでもなく皆一様に同じ期待に息を飲み、小さな空間が沈黙に包まれる。
「それ、再生できるか?」とセイイチがユウコに聞くと、マウスを奪われた土井が「ちょっといい?」とユウコから再びマウスを取り返してアイコンをクリックした。しかし画面には”サポートされていないファイル形式のため再生できません”というメッセージのダイアログが表示され、ファイルを開くことが出来なかった。
「ああ~、やっぱりダメですねぇ。
flacは標準ではサポートされていないので変換しないとぉ」
「どういう意味だ?聞けないのかこれ!?」
苛つくセイイチが声を荒げて土井に詰め寄る。しかし土井は焦れるセイイチのプレッシャーには全く動じずに「ちょっと待ってくださいぃ~」と軽く受け流して、ブラウザで音声ファイルを無料で変換できるサービスを探し始めた。
「flacファイルはぁ~、圧縮率の低いファイルフォーマットなのでCDと同じくらいの音質があるんですぅ。最近だとハイレゾの音源なんかにもよく使われてますねぇ~。容量が大きいのでそのまま再生できるプレイヤーが少ないんですよぉ~」
専門用語がさっぱり解らないセイイチは土井が何を話しているのか殆ど理解できていないため、ただその作業の成り行きを見守ることしかできず、ますます苛立ちを募らせた。
「CDにして誰かに渡そうとしてたってことなのかな?」
「そうかもしれませんねぇ~」
ケンジが土井に対してそう言ったのを聞いて、セイイチは記憶の琴線に何かが触れるのを感じた。しかしその正体が何なのか解らず、ひとまずはそのまま土井の作業を見守る。
目当てのサイトを見つけた土井がflacファイルを変換サービスに読み込ませると、ブラウザには変換完了までのカウントダウンが表示された。約三十秒ほどで変換が完了する。
「二年間持ってたのに気づかなかったなんて、セイイチ君マジで機械ダメなんだね」
「うるせぇ、俺はアナログが好きなんだよ」
「CDはデジタル音源ですよぉ、セイイチさん」
土井のツッコミに対して腹立たし気にセイイチが悪態を吐くと隣でユウコがクスクスと笑った。何時か聞いたやり取りだな。とセイイチが口の中で呟くとその瞬間に思い出した。TASKとあの夜に交わした最後の会話を。
新曲の構想があると明かしたTASKに対してSEIICHIはCDにして寄越せと要求した。その時も彼と全く同じ会話をしている。
つまりタスクはこのデータをセイイチに渡そうとしていたのだと気づいて、セイイチはTASKの意思を二年間もこの中に眠らせてしまっていたことに居た堪れない気持ちになった。
PCに接続した小さなスピーカーから変換完了のアラートが鳴り響く。ブラウザからmp3に変換したファイルをダウンロードすると、いよいよ待ちに待った瞬間が訪れて、室内の全員が固唾を呑んだ。
土井が画面に表示されたmp3ファイルをダブルクリックしてミュージックプレイヤーを起動させると、勿体ぶるようにはじめの数秒間だけ無音のままタイムカウントが進み、その後サンプリングされたギターやドラムの音が流れ始めた。
打ち込み音源のようで楽器の音は機械的な音色を発しているが、緩やかなメロディーはMor:c;wara 初期の楽曲を思わせる力強いロックバラードに仕上がっている。
楽曲の導入部を耳にしてセイイチは「あの曲だ……!」と力強く頷いた。
「バンド編成でロック調にアレンジされてるけどこれはあの録音と同じ曲だ」
「じゃあ、これがMorcwaraの新曲――」
「いや、たぶん違う」
「え?」
セイイチはそれ以上の説明はせず再び音声に意識を戻した。じっくりと吟味するように眉間にシワを寄せて音源を聞いている横顔に、ユウコはセイイチの発言の真意を掴めず困惑する。
イントロが終了し歌唱パートが始まると歌声の代わりに電子ピアノの旋律が流れ始めた。タスクの歌声を聴けるかと期待していたユウコは少し残念に思いながらも、歌声の代わりにメロディーを紡ぐ電子音に意識を向けて、なぜ自分で歌わなかったのか?と疑問を感じた。
自分の歌声で聞いていた時とは違い、電子音が無機的なために音階だけがより際立って聞こえる。ユウコは記憶のなかでタスクの歌声を再生し、PCから流れる音楽にその面影を重ね合わせようとしたその瞬間―― ユウコはセイイチの言葉の意味をようやく理解した。
「キーが高い……!」
思わずそう呟くユウコに、隣でセイイチが満足そうに何度も頷く。
「録音を聞いた時からずっと疑問だったんだ。あいつの音域ではこの曲は歌えない」
「じゃあこれはなんのために……?」
「はじめから君のために書かれた曲だったんだ」
「え? 私の――?」
単なる思い付きの鼻唄がタスクの手によって生まれかわり、ユウコ以上に強い思い入れを抱いていたのはタスクだった。そのためユウコにとってはタスクの曲という認識しかなく、Mor:c;waraの曲として書き直すつもりなのだろうとずっと思っていたが、それが自分のために書かれた曲というのは一体どういうことなのか理解できなかった。
趣味で歌う程度の自分に曲を残そうとした理由がユウコには検討もつかないし、バンドに託そうとしていたというセイイチの話を信じるならば大きな矛盾が生じる。セイイチの発言を俄かには信じられないユウコが困惑する一方で、大いなる謎解きに成功して喜ぶように、ひとり納得しているセイイチが続ける。
「もしかするとアイツは自分の代わりを捜してたのかもな」
「え?」
「残された時間が少ないことを知ってあいつは自分の代わりに歌い続けてくれる誰かを捜していたのかもしれない」
そう言うとセイイチが黙ってユウコを見つめた。その目には真っ直ぐな力強さがあり、ご褒美を待つ少年のように熱い期待が込められているように感じた。そしてセイイチと同じようにケンジも強い眼差しでユウコを見つめている。
「まさか、それが私だって言うんですか?」
悪い冗談でも聞いたように狼狽えるユウコに、セイイチは何も言わずに頷いた。その態度と眼差しは真剣そのもので、冗談を言っているようにはとてもみえない。
思いもしなかった事態に混乱してしまったユウコが返答に詰まっていると、ケンジがセイイチの考えを補強するように告げる。
「僕もセイイチ君の言う通りだと思うよ。
TASKの才能を見出だしたのはセイイチ君だったからね。
セイイチ君に曲を託したのは、ユウコちゃんの才能にも気づいてくれると信じたからなんじゃないかな」
タスクにそんな計画があったなんて信じられないと感じながらも、ケンジとセイイチの二人が認めてくれているという事実をユウコは嬉しく思った。そしてセイイチはユウコが一番気に病んでいたことに答えを出してくれた。
「アイツが羨ましいと言ったのは、君なら自分の思いを具現化するのに十分な才能を持っていると信じたからだと思う」
羨ましいと言われたときから、もう二度と歌ってはいけないような気がして、ずっと音楽から遠ざかっていたというのに―― また歌っても良いのだろうか?と、ずっと押さえ付けていた衝動が疼くのをユウコは感じた。
曲が中盤に差し掛かり、デモ音源では失われていた部分に差し掛かると、ギターによる伴奏がしばらく続いた。ギターソロが挿入される予定だったと思わせる構成で、次第に全ての楽器の音が厚みを増していくと、そのまま曲は盛り上がりが最高潮のまま再び歌唱パートに雪崩れ込んだ。
「完成してたんだな」
「……約束守ってくれたんだ」
タスクと会話を交わした最後の夜、彼は明言しなかったものの、きっと完成させてくれるとユウコは信じていた。二年前既にその約束は果たされていたことに気づいて、ユウコは瞳を潤ませながら嬉しそうに微笑んだ。
曲の再生が終わり小さな空間に静寂が訪れると不思議な高揚感が4人を包み込み、しばらくの間誰一人として言葉を発しようとしなかった。セイイチは二年間ずっと探してきた答えをようやく見つけ、ユウコと出会ってから胸の奥で膨らみ始めた希望の光が現実味を帯びて目の前に現われたことを実感した。
そして、セイイチがユウコに向き直りずっと抱いてきた思いを言葉にする。
「君のことを俺にプロデュースさせてくれ!」
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