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【第一章:上級コースへ】あの私が決断しました!〜7回のコーチングを完了して〜

やっと肌寒さを感じるさつまいもの季節になりました。いただいたお芋で、せっせと大学芋を作っていますが、なかなか上手につくれません。今日は飴が美しい糸を引く、まさにシルクスイートな仕上がりになりました。

荒んだ私だったからできた事

今から8か月前のまだ寒さが残る3月末、私は思い切った行動を起こしました。私にとって「住んでいる世界が違うコーチ」に連絡したのです。
その時の行動を「おこがましい。何て恥ずかしいことをしてしまったんだ」と思ったのを覚えています。でも、その行動があったから、今の「上級コース(資格取得コース)に進む私」があるのは間違いありません。

当時の私は一言で言うと人生史上最も「荒んでいた」わけですが、それでも前に進みたいという気持ちを持ち合わせていました。私生活で心に大きな穴を空け、仕事はやりたい事を見つけることもできず、一人ではこれ以上進めない、それでも進みたい…うぉぉぉ~な状態。
そんな中、起業プログラムの体験に参加して感じた事…「コーチングの方がいいのでは?」

その時に頭に浮かんだコーチは一人だけ。ずっと思いを寄せているけど遠い存在のように感じていたその人に依頼する以外考えていませんでした。その人しか選択肢はなかったわけだけど「おこがましい」がどうしても頭から離れない。けれど、人生史上最も荒んでいた私に怖いものはなかった。その後、私の依頼を快諾してもらっても当分「身分の差」を感じ続け、恥ずかしいことをしたと感じていた…。私の劣等感や自信のなさを物語っていると思います。

「チーム」として

それから私たちは「チーム」として半年程を過ごすことになります。
コーチングに魅力を感じて→学んで→劣等感による離脱→それでも離れられない→やっぱり無理→でも→コーチング嫌い…そんなドツボにはまった4年間を背景にした半年。
テーマは「人生の目的や本当にやりたい事に気付くきっかけを得たい」

春から夏にかけて

覚えているのは「意図的な協働関係を築くってコーチとしては何をするんですか?」って聞いたこと。荒んだ心と「コーチって何?」というひねくれた気持ちでそんな質問をしたと思います。myコーチは「信じる」と短く答えてくれましたが、この「信じる」は私のすべての可能性を信じるという意味だと解釈しました。この言葉とその揺るぎない態度は、半年間私に安心感を与え続けてくれました。

「コーチングはやりたい事ではない」を前提に、頭の中にあるやりたい事をとことんやりました。取り組んだのは「ひと月で100個イラストを描く」という挑戦的なホームワーク。仕事は軽くしかしていなかったので時間はいくらでもあって、ひたすら描いていましたが、「誰に届けたくて描くのか?」「これが本当に社会に対してやりたい事なのか?」という疑問は解消できませんでした。イラストを描くのは好きだし楽しいけど…この時はそれだけな感覚。それ以上の何を求めているのかも分からない。だから「私はどうすれば、何をすればいいの⁉」な状態。

今感じるのは「本当にやりたい事はこの時から分かっていた」ということ。ただ、そこから逃げるために他の事で収入になることをやろうとしていた。
この後気付くのですが、自分の行動を妨げる不安や恐れの感情(サボタージュ)の威力たるや…

そうこうしているうちに暑い暑い季節に突入。
新しくプログラム受講が始まったりオフラインのワークショップに参加する中で新しい出会いがあり、多くの刺激をもらいました。そして、就職→退職もありました。激熱な夏でした。
この夏、私は自分の望む方向性の出会いを自身で選択しました。その出会いは、私の「同性が苦手」の価値観を揺るがす大切な大切な出会いになりました。出会いに心から感謝します。

そして、まだ暑さが残る10月。コーチング開始から半年が経とうとしていました。そんな時期の激動の数日がこちら。


沼にダイブ

4月から7回限りで終了と決めて始めたコーチングも、気が付いたら次回で完了セッション…

なのにやりたい事に辿り着けていない!!!
あ~~~何やってんだ!!
やりたい事はどこなんだーーー!!
ああああああああああ

テーマだった「本当に自分のやりたい事や人生の目的に気付くきっかけを得たい」を思い出して、一瞬で沼にダイブしたかのようにぬめ~っと沈んでいきました。最悪な時間。また半年前と同じ所に戻って来ました…

沼から抜け出す

でも、救いだったのは沼にはまったことを認識していたことです。そして、そこにいるのがダメだと思えたこと。だから、myコーチと今後の自走のために決めていた「瞑想」をし、落ち着きを取り戻すことができました。
これまでの私ならもう少し沼でゆっくりしていたかもしれません。

元職場の…

その夜、元職場の知り合いが「社員の採用試験に合格した」と連絡をくれました。3回目の挑戦でした。私なら1回で絶対絶対絶対あきらめて「私なんて」って思っていたところ。彼女は3回も挑戦したんです…感動です。

そして、ふと私の頭によぎったある企て。
「元職場にいるような人たちにコーチングを提供するとか…」

私が数年間コーチングに抱いている思いで「コーチングはビジネス界のマネージャー層以上のものなのか?」というのがありまして…。

元職場の多くは小さい子供がいてフルタイムの出勤は厳しい女性の方。マネージャー経験のある方もいらっしゃるだろうけど、そんな方たちばかりではないし、現状マネージャーだったりエグゼクティブではありません。
私がコーチングを提供したい人達なんじゃないかと…。

自由になりたい。もっともっと…

そんな企てを面白がっていたらなぜか湧いて来たとても強い感情。

「自由じゃない。自由になりたい!!もっともっともっと!!!」

何か不自由さと言うか、がんじがらめにされている感覚がして、あ~~~もっともっと自由になりたい!!!!じゆうに!と強く思いました。

何に対して感じているのか?何が自由じゃないのか?何があれば自由なのか?本当はどうしたいのか?何から解放されたいのか?常識的とか非常識の話なのか?結局、一晩考えても分かりませんでした。

そして翌日、本当にやりたいのはコーチングと決めていいのか?…なんて考えていた時に気が付いた。ずっとずっとセッションでも言われてたし、分かっていたのに、今さらサボタージュが私を縛り付けていたことを実感したんです。

私はサボタージュから解放されたかったんです。
自分の心がサボタージュから自由になりたいと叫んだんです。
私が私に反抗したんです。

サボタージュからの解放

サボに反抗して「コーチングやります。やりたいんです。」そう言っていいと自分で自分に許可を出せた感じ。
そしてサボから解放された今「やったーー!やっと自由だーーーー!!!」と解放感を得ているわけではありません。残念です…。自由を喜ぶと言うよりは「やりたい事をやるんだ」という情熱や力を手に入れた感覚。

幼少期からサボを大事にしすぎると無意識のうちにサボが人生の舵を握り、情熱と力を奪うようです。それでも「私はどうしたいか?」に根気強く向き合い続けることで、サボからハンドルを取り返すことができるのだと思います。私の場合、サボという名の呪縛だったかもしれません。

サボは巧妙な罠を仕掛けてくる

遡って、少し前の出来事。
あるプログラムを受講中だったこともあって、私は過去の出来事の意味を考えていました。いつまでも進めない自分に区切りをつけるために、コーチングを学んだ事を「絵を描くためだった」と意味づけました。(これには理由があるのですが割愛します)

まぁ、その時の解放感と言ったら…。心が軽くなり「これでコーチングの事を考えなくていい。やっと終わった」とほっとしたんです。楽になったんです。

ただ、正直なところその時から絵を描いていませんでした。コーチングも手放し…私には何もなくなったんです。そして、ここの始めで書いた「沼にダイブ」したんです。
サボに従うことで心が軽くなる。それは巧妙な罠です。心が軽くなっても何も進められないんです。力と情熱を持った行動ができない。呪縛です。

長年、巧妙な罠にかかってきたけど、もうこれからは無意識で罠にかかることはないと思います。ちゃんとサボを意識してどうするかを決断します。
サボとの付き合い方は難しいです。私を守ろうとしてくれていて、必要な時には従ってもいいのだから。

まとめ

劣等感強めでサボと距離が近い私が、4年間の葛藤を経て上級コースに進む決断ができたのは、コーチングだけのおかげとは思っていません。そして、コーチングを受けて、4年間進めなかった私が今決断している事は紛れもない事実です。

私たちのコーチング「第一章」は一旦完了しましたが、この後「第二章」に進んでいきます。上級コースではどんな苦しいトレーニングの日々が待っているのかと思うと不安もありますが、なんとかなるでしょう!


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