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【サーフィン小説】ビジタリズム|第8話
8ラウンド目 万里に来た理由
南端のピークへ向けてパドルしていくオッキーの後ろ姿を、力丸と和虎は、ミドルセクションに漂いながらしばらく黙って眺めていた。
「大丈夫だった?」
沈黙を破ったのは和虎だった。
「大丈夫……ではなかったかな」
力丸は、まだ解放された安堵感よりも、トラブルに巻き込まれたことによる興奮状態の方が強かったが、努めて冷静に受け応えた。
「だよね。沖野さん、かなりクセ強そうだったし」
「カズ、なんでなかなか来なかったんだよ?俺死ぬかと思った」
「いやあ、わりいわりい。ミドルで割れるいい波が次から次へと入ってくるからさあ。なんか揉めてたっぽいのはインサイドから見て分かってたんだけどね」
揉めてるのが分かってたんなら、すぐ来てくれればいいじゃんか——そう感じずにはいられなかったが、友人のピンチよりもいい波を優先するのが和虎という男であることは、力丸自身が一番よく知っていた。
それに、結局は本当に大ごとになる前に現れて、実際に力丸を救ってくれているのだから、文句を言うのは筋違いだろう。
それでもやっぱり、口を突いて出るのは皮肉になってしまう。
「ギリギリで来るって、ヒーローかよ」
「まあまあ、結果的に無事だったんだからよかったじゃん。それに、多分沖野さんって、そんなに悪い人じゃないと思うよ」
「いや……俺にとってはかなり凶暴だったけどな……カズはボードの話で意気投合してたからいいかもしれないけど」
「そう?」
「そうだよ。それに、凶暴と言えば、あのナミノリとかいう……」
力丸は南側のアウトを振り返った。少女は、ピークの一番深いところにポジションを取りつつ、何事もなかったかのように、手を水鉄砲にしてリズミカルに海水を飛ばしていた。その水鉄砲のスキルが、また異様に高い。
「ああ、ミキタさんの娘?どうりでヤバいサーフィンしてるよね!あんな上手いヤツ初めて見たかも」
「ああ、ヤバいね。あの子、波に乗りながら俺を突き飛ばしたし」
「マジで?それは確かにヤバいけど……まあでも、あれはマエノリくんの前野りが圧倒的に悪いよ」
和虎に痛いところを突かれ、力丸は不満げな表情を隠せなかった。
「いや、そうなんだけどね……絶対に抜けられないと思ったんだよな」
「もっと視野を広げた方がいいよ。確かに、マエノリくんのいたところはいいピークだったよ、他に誰も乗ってなければね。でも、ポイント全体を俯瞰して見たら、あれは南端のピークから乗ってくる人の波だって分かるから」
「な、なるほど」
「例えばさ、自分のいたポジションからだと間違いなくレフトの波に見えたからそっちにテイクオフしたら、前から乗ってきたサーファーに怒られたこととかない?」
「ああ……確かにあるかも」
「それもさっきのシチュエーションと一緒で、視野が狭いとウネリの一部分だけで判断しちゃうから、間違った行動に繋がりやすいんだよ。だからウネリがどう入ってきて、どう割れていくか、ポイント全体で大きく捉えないとね」
「分かった、気をつけるよ」
和虎のこの手のレクチャーは、すべて素直に聞き入れる。それが上達への最短距離につながるということが分かっているからだ。
仕事では、デザイナーとして傾聴すべきアドバイスを全くもらえず、独学で苦労しながらスキルを伸ばしてきた力丸にとって、サーフィンにおける和虎は本当に得難い存在だった。
このコーチングを受けられるのなら、行き帰りの運転でハンドルを握るのが力丸だけになっても、お安い御用というものだ。実際、力丸がステップワゴンを入手して以来、和虎が運転したことは未だに一度もない。
ただ、和虎が気まぐれすぎて、アドバイスがいつ飛び出すかわからないのがたまにキズではある。
「ところでさ……」
一連の騒動が落ち着いてしまうと、にわかに先程オッキーと和虎が自分を差し置いて盛り上がっていた話題のことが気になり始めた。
「イイナシェイプスって?」
「え?俺の乗ってるボードのブランドだよ」
「それは分かってるって。ミキタさんがどうとかって、沖野さんと盛り上がってただろ?」
和虎がわざと話をはぐらかそうとしているように思えて、力丸は苛立ちを覚えた。
「ああ、飯名ミキタさんのことか。ミキタさんは117シェイプスの創業者なんだけど、その前はプロサーファーだったんだよ」
「プロ……だった?」
「うん。若い頃は大会にも出てたみたいなんだけど、すぐにコンテストシーンからは身を引いて、今で言うフリーサーファーの走りみたいなことをやってたんだよね。俺が見たミキタさんのサーフィンはその頃のだな、多分」
「見たって、どこで見たんだよ?」
「ユーチューブにも上がってるよ、昔の映像だから画質は悪いけど。すげえフローがあって激シブなんだよ。完全に脱力しててさ。サーフィンが普遍的っていうか、絶対に古くならない感じ。ああいうサーファーになりたい!と思ったね。俺と同じグーフィーだし」
話を少し聞いただけで、その飯名ミキタさんという人物は、いかにも和虎が好みそうなサーファーだな、と感じた。
「シェイパーでもある、ってこと?その、ミキタさんは」
「そうそう。自分で削った板でサーフィンしてたのが、だんだん仲間内で評判になって、それで117シェイプスを起ち上げたんだって。その頃はこの辺にファクトリーがあったらしいよ」
「万里に?」
「うん。その後だんだん事業が拡大していって、泥和井の方に移転したんだけど、そのタイミングでミキタさんは117シェイプスから離れたんだよね」
そう言えば、先程オッキーが、和虎のボードを指して、ミキタさんが商業シェイプから身を引いてからのモデルだとかなんとか言っていた。
「で、今はもうサーフィンしてないの?その、ミキタさんは」
「いや、まだやってるんじゃないかな。ていうか、実はさ、今でも万里にいるらしいんだよね」
「へええ、じゃあ今日もいるかもね。それでカズは万里にこだわってたってわけ?」
「ん、まあ、それもあるけど」
「それも?」
和虎は、ちょっとバツが悪そうに濡れた長髪をかき上げて撫で付けた。
「いやあ、昨日兄貴に聞いたんだけどさ、ミキタさん、117のシェイパー辞めた後、万里にマイクロブルワリー建てたらしいんだよね。しかもタップルーム付きの」
力丸はここでピンと来た。なぜ和虎が万里浜に固執したのか。
コイツは今、サーフィン以外の関心ごとと言えばクラフトビールなのだ。
仕事の付き合い上、サンマリーの定番ビール「プレシャスモルティ」しか飲まない力丸は、ビールの味なんてどれも大して変わらないだろうと思っているのだが、和虎に言わせれば、お前はまだ本物のビールの味を知らないだけだ、ということらしい。
「それってやっぱり……」
「うん、サーフィン終わったら行こうよ!ミキタさんのブルワリー。伝説のサーファーが造るビールだよ?しかも、ここでしか飲めない。このストーリー聞いて飲みたくならなかったら、そいつはもうサーファーじゃないね」
「いやいやいや、俺飲みたくても飲めねえじゃん!運転どうすんだよ!」
和虎にとって、これは想定内のツッコミだったようだ。悪びれもせずに頷くと、力丸を諭すように続けた。
「まあまあ、もしかしたら持ち帰りできるかも知れないしさ」
「ビールで持ち帰り?だって缶とか瓶とかでは売ってないんだろ?だから希少価値が高いんだろ?」
力丸が憤慨すると、和虎はやや大袈裟に手を広げて首を振った。
「素人だなあ。ビールにはグラウラーっていう詰め替え専用の容器があってだな……」
「いやいや、そういうトリビアはどうでもよくてさ。ビールが飲みたいなら最初からそう言えばいいじゃんってことだよ!」
「うーん、だって素直にそう言っちゃったらマエノリくん万里に来てくれなさそうだったからなあ」
さすが、和虎は自分の気持ちを手に取るように理解してやがる。半分感心し、半分呆れながら、力丸はため息をついた。
和虎は宥めるように続けた。
「まあさ、そのおかげでこんないい波に出会えたんだし、いいじゃん。リップの練習にもってこいでしょうよ」
「めちゃくちゃ怖いローカルにも出会ったけどね……」
力丸が釈然としない表情でつぶやいた時には、すでに和虎はアウトに向かってパドルを開始するところだった。
「うん、でも結果的にキーパーソンっぽい人に挨拶できたことだし、今日はたっぷりやろうよ。最低2ラウンドね!」
和虎はパドルしながら肩越しに振り返ると叫んだ。
「前野りには気をつけろよ!」
言われなくても、もう2度と、誰かが乗ろうとしている波にパドルすることはないだろう。
(勝手に話を終わらせやがって)
置き去りになった力丸がアウトに向けた目は、朝陽を乱反射させながら自分たちに向かって迫ってくる美しいウネリの姿を捉えた。
〜〜つづく〜〜
ビジタリズム
作=Ario Ike/池 有生
イラスト=ミヤタジロウ
ある時、ふたりのサーファーが初めて訪れた「万里浜(まんりはま)」。そこは、異色のサーファーたちがひしめくワケありのポイントだった!?クセの強いローカルサーファーに翻弄されつつも、そこで割れる最高の波、そして人々に、ふたりは徐々に惹きつけられていく——
ビジターサーファーの視点を中心に、ポイントで交差する様々なサーファーたちを描く、日本初?のリアルサーフィン群像劇。
「ビジタリズム(visitorism)」とは、ビジターサーファーとしての振る舞いや考え方を意味する造語。決して「ローカリズム」と対立するものではなく、それぞれ海への距離感は違えど、最終的にはサーフィンを通じてリスペクトし合える世界を実現したいという祈りも込められています。